その他

劇場 - 樂

 劇場は独特の匂いがする。深い色合いのカーペットのせいなのか、場内を囲う暗幕のせいなのか、もしかしたらスポットライトの熱の匂いなのかな、なんて思ったりもして。「ちょっとふしぎ、」「? ほのか、何か言った?」「ううん」

 しぶきちゃんがそのまま顔をこちらに寄せて、「劇場のお客さんって、なんかちょっとこわいよね。みんな仮面つけてて」とひそひそ言う。わたしが何かコメントする前に反対側に座るみぎわちゃんが「沫、失礼だよ」と嗜めるので、沫ちゃんは舌を出していたずらを叱られたこどもみたいに笑った。

 ここは樂逸烙座。宴会や挙式、カジノなどを経営している複合施設だ。わたしたち小間使いの家でもあり職場でもある。

 とはいっても、今日訪れている劇場は少しだけ管理が別になっている。お客さんの整理は黒衣さんたちが行い、舞台には専門の演者さんが上がるので小間使いが仕事で入ることはない。足を踏み入れるのはこうして、お客さんとして来る時だけだった。らくの劇場はいつでも観覧を許されているし、がくいつの劇場にもチケットを持っていれば入れる。……あんまり考えたことなかったけど、もしかしてカジノとかも遊びに行ってもいいのかな。今度オーナーさんに聞いてみよう。

 沫ちゃんは退屈そうに配られたリーフレットをひらひらさせる。何かを待つのがちょっと苦手なんだと思う。宴会のシフトでもよく、シメのお茶漬けを出すまでの間もだもだしていることが多いから。

 彼女は思いついたようにぱっと姿勢を変えて、話題を振る。「汀、今日の演目知ってる?」


「『ミスター・デイディモワルの華麗なる園芸(無農薬栽培)およびSUSHI文明との邂逅の語り』、ね。このシリーズには二百三十一通りの物語があって、タイトルが少しずつ違うの。私が一番好きなのはミセス・ワール・有機栽培・文化・再会の調べバージョン」

「何言ってるのかだいたいわからない」

「今日公演の型はお客様人気の高いものに寄っているけど、文明より文化バージョンの方が好評なような気がする。でもたぶん樂の座長さんは文明バージョンの方が好きで、文化バージョンは滅多に」

「おっけーわかった、もう大丈夫!」


「……そう?」どこか残念そうに首を傾げる汀ちゃんは一度にあんなにたくさん喋ったのに全然呼吸が乱れている様子がなかった。意外と樂の演劇好きだよね、と呆れる沫ちゃんはどちらかというと逸の演劇の方が好きみたいで、好きな演目もいくつかあるようだった。私は最近来たばかりなのでほとんど知らない……というより、ちょこっとこういう方面の娯楽には疎いみたいで面白くてもあんまり覚えていないことの方が多い。樂が喜劇で、逸が悲劇、という基本的な認識だけがずっとある。……あと、逸の方がドラマチックで、樂のほうはちょっとシュールかも。

 今日は樂の演劇を見に来ていた。そういえば、樂のお客さんたちって汀ちゃんみたいに物静かな人が多いかもしれない。公演中は台詞が聞こえないほど大笑いしたりもするからあんまり意識したことがなかったな。汀ちゃんも、大笑いはしないものの公演が終わるとよく、しばらく笑っている。彼女がそうして笑うのは珍しいので私はひそかに楽しみにしている。

 開演のブザーが鳴るのでおしゃべりが止んだ。徐々に闇に包まれていくのは眠るのに似ている。

 劇場の独特の空気が好きだ。なんだか少し安心するので。匂いもそうだし、薄暗いのとか、光の色が少し熱を帯びているのとか、あとはそう。どこか温かいような気がして。

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樂逸烙座 外並由歌 @yutackt

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