第4話 ルーキーの洗礼

 日向は『謙信の軍配者』を読み終え、次に古いバッグから取り出したのは、堂場瞬一の『ルーキー』だった。

​ 若き日の情熱と、組織の壁にぶち当たる新米刑事の葛藤。それは、かつて日向自身が歩み、そして今まさに、自分の背中を追っている伊藤和馬が直面している現実そのものだった。


​「日向さん……僕は、間違っていないですよね」

無線機越しに聞こえる伊藤の声は、微かに震えていた。

​「堂場瞬一の『ルーキー』を読んだことがあるか、伊藤」

 日向は、学園の裏門を監視しながら静かに問いかけた。

​「えっ? こんな時に何なんですか」

​「主人公の一ノ瀬は、迷いながらも自分の足で一歩を踏み出した。組織の正義と個人の正義が衝突した時、最後に残るのは、お前がその手で何を掴みたいかだ。……前を見ろ。竜と勝村が動くぞ」

​ 日向の予見通り、特殊部隊の精鋭・竜と勝村が、漆黒のタクティカルギアに身を包み、音もなく学園の寄宿舎へと突入を開始した。指揮官・武田の非情なカウントダウンが響く。彼らの狙いは、証拠を握る教師・松尾葉子の確保、あるいは「排除」だ。


​ だが、事態はさらに混迷を極める。

 寄宿舎の屋上から、一本のワイヤーが伸びた。音もなく滑り降りてきたのは、マフィアの処刑人、アレック・ミック。そしてその影から、信じられない速さで地を駆ける人影があった。

​「あれは……カンフーの使い手、余(ユエ)!」

 カラオケがモニター越しに叫ぶ。

​ トニー佐々木が呼び寄せた異邦の凶器たちが、日本の特殊部隊と激突する。銃声と打撃音が、静まり返ったひまわり町を切り裂いた。

​「加納さん、あいつら……!」

 現場で困惑する宮に対し、怪人20面相こと加納聡は、薄笑いを浮かべながら、どこかへと姿を消した。彼はこの混乱に乗じ、誰よりも早く「本丸」へ辿り着くつもりなのだ。

​ 一方、町外れの老人ホーム『陽だまりの家』。

「島田さん、大丈夫ですから。私の後ろに!」

 ヘルパーの関谷葉月は、震える手で島田澄江の車椅子を引いていた。

​ 目の前には、金星会残党の七尾と、派遣会社社長の六角が立ちはだかる。

「その婆さんが持ってる日記を渡しな。2015年、木下時生が最後にここに逃げ込んだ時の記録をな」

​「渡さない……これは、あの子の生きた証です!」

葉月が叫んだその時、廊下の暗がりに一人の男が立った。

​「そこまでだ、小悪党共」

​ 現れたのは、日向が密かに連絡を取っていた男たち。かつて日向が憧れた伝説の刑事たちの遺志を継ぐ、宇都宮署の隠れた良心――円谷と柴原の流れを汲む、今はなき『KSP』の精神を持つ者たち……を彷彿とさせる、水野光希と、彼女が連れてきた徳田署長の直卒部下たちだった。

 ​日向は、手元にある『ルーキー』の表紙を一度撫でてから、それを地面に置いた。

「伊藤。これからはお前の時間だ。俺は、黒武者と片桐警備部長の会談に割り込む」

​「日向さん、殺されますよ!」

​「案ずるな。俺には最強の軍師たちがついている」

 日向はポケットから、かつて東武署時代に徳田署長から預かったままの、古びた警察手帳を取り出した。それはすでに効力を失った革の塊だったが、日向にとってはどんな武器よりも重い。

​ 闇の向こうで、片桐謙二郎警備部長の乗った黒塗りの車が、学園の正門を潜るのが見えた。

 隣には、不気味な沈黙を守る警察公認ヤクザ、黒武者明慶。

​「さあ、10年越しの検証(デバッグ)を始めようか」

​ 日向は、光のない瞳をギラリと光らせ、単身、権力の中心へと足を踏み入れた。

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