第2話 軍師の影
宇都宮署の喧騒から離れた大通り沿いの古本屋。そこが日向隼人の「本営」だった。
日向はカウンターの端で、使い込まれた文庫本――富樫倫太郎の『謙信の軍配者』に目を落としていた。
「『戦は算術ではない、理だ』……か。軍配者も楽じゃないな」
独りごちてページを捲る。日向が惹かれるのは、華々しい武将ではなく、常に二手、三手先を読み、泥を被ってでも勝利をたぐり寄せる軍師たちの孤独だった。今の自分は、主君を持たない浪人の軍配者といったところか。
店の自動ドアが、乾いた音を立てて開いた。
入ってきたのは、宇都宮署の若手刑事、伊藤和馬だ。彼は周囲を警戒しながら日向の隣に座った。
「日向さん、よくこんな時に読書なんて……。現場はひっくり返ってますよ。加納さんと宮さんは、宇喜多課長の指示通り、現場の証拠を『整理』し始めました」
日向は本に栞を挟み、ゆっくりと顔を上げた。
「伊藤、上杉謙信がなぜ強かったか知ってるか? 圧倒的な情報の収集力と、それを分析する冷徹な頭脳だ。感情で動けば、宇喜多の思う壺だぞ」
「……課長は、黒武者と会っていました。署の裏口で、密談を。町長の貞子さんから、相当な突き上げを食らっているようです。今回の自殺、どうしても『事件』にしたくない奴らがいる」
日向は懐からタバコを取り出そうとして、ここが禁煙であることを思い出し、苦笑して手を止めた。
「黒武者はただのヤクザじゃない。あいつは警察が飼っている狂犬だ。だが、犬は時として飼い主の喉元を噛む……。水野巡査部長には連絡したか?」
「はい。彼女は今、2015年の木下時生の検死報告書を、書庫の奥から引っ張り出そうとしています。デジタルデータは消去されてますが、紙の原本が残っている可能性があるって」
その時、日向の携帯が震えた。画面には番号未登録。だが、日向にはその主がわかった。
「……日向だ」
『よう、軍配者殿。読書の時間をお邪魔したかな』
電話の主は、黒武者だった。受話器越しに、風がひまわりを揺らすような、ざわめきが聞こえる。
『今、ひまわり町の町長室にいる。貞子様がお前に会いたがっている。10年前、お前が投げ出した「宿題」について、話をつけたいそうだ』
日向は『謙信の軍配者』をコートのポケットに深くねじ込んだ。
「宿題だと? 忘れたことは一度もない。時生の遺体が、俺の背中にずっとへばりついているからな」
『くくく……。なら、今すぐ来い。軍配を振る準備はできているんだろう?』
電話が切れる。日向は立ち上がり、伊藤の肩を軽く叩いた。
「伊藤、お前は水野を助けてやれ。俺は、ひまわり町の『本丸』へ乗り込んでくる」
「一人でですか? 危険すぎます!」
「案ずるな。軍配者は、死に場所くらい自分で決める」
日向は店を出た。夕暮れに染まる宇都宮の空は、まるで戦国時代の合戦場のような、血の混じった茜色をしていた。
今回のポイント
日向の矜持: 『謙信の軍配者』の一節を引用することで、彼の行動が「単なる復讐」ではなく「理に基づいた戦い」であることを強調しました。
警察内部の動き: 水野が物理的な資料を探し、伊藤が現場の動きを伝えるという分業体制が整いつつあります。
黒武者の誘い: 敵か味方か分からない黒武者が、物語を動かすトリガーとなります。
次は、いよいよ町長・木下貞子との対峙シーンでしょうか。それとも、水野が秘密の資料を見つけるシーンにしましょうか?
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