第11話
一通り唯乃のピアノを聴いて、なんか贅沢な気分を味わった。
周囲からリクエストがあったりして即興で答えたりと、彼女は愛想良く演奏していて、明里も驚いていた。
「今回はこれで終わりにしますね! 占領しちゃってごめんなさい!」
そしてピアノを弾き終えてそう言うと、盛大な拍手。
拍手を受けることが様になっている唯乃はピアノでご飯を食べているのだと、改めて実感させられる。
「琴乃は? 1人で弾いてくれないの?」
だからそんな明里の言葉にも
「流石にこの後は無理だよ」
なんて応えることができなかった。
「まぁそっか、ごめんね。無理言って」
「全然、話聞いてくれて嬉しかった。割と真剣な話だったから」
「いいえ〜それほどでも〜」
なんて話をしつつ、一緒に食事をしようという話にもなったけど、唯乃が何を言い出すか分からないから断った。
その場で明里と別れ、また唯乃と2人で帰宅する。
「さっき言ってた真剣な話って?」
「関係ないでしょ」
「そうなの? はー、それにしても一緒にご飯食べたかったなー」
「ボロが出る気がするから無理」
「まぁそうだね。親戚じゃなくて恋人なんて思われたら琴乃も不都合だもんね」
ふふんと鼻を鳴らしながら視線だけを向けてくる。
なにか含みを……いや、嫌味ったらしくこちらに向かって言葉にしている。
「……何が言いたいの」
「好きな人って、あの人でしょ?」
胸の中で心臓がボールのように飛び跳ねる。
でもそれを冷静に、表情に出さないよう唾を飲んで唯乃に視線を返した。
「……なんで分かったの?」
「そりゃ分かるよ! あんなに慌てて私との関係を取り繕おうとするんだもん!」
ケタケタと笑いながら彼女は改めて私の手を取った。
手首ではなく、手のひらをギュッと握られた。
「いいと思うよ。まだ好きな人がいて、そんでしっかり恋してて安心した」
「……なんで唯乃が安心するの」
「だって心配になるじゃん。片想いは悪いことじゃないんだよ。少なくとも恋は諦めきってないんだね」
そんなこと言って手をグイッと振ってみせる。
誰のせいで意識してると思ってるのか、目の前のスウェットコートの女は分かってないんだ。
こういう触れ合いで、私の中で眠る意識がどんどん起きていく。
久しぶりに運動した時みたいに、恋する気持ちを徐々に思い出していく。
「そうだね。諦めてないのかも」
いや、明里への気持ちは諦めてたよ。
けど意識してみろなんて言われたら、そういう気持ちになる。
それら全ての感情をチャンポンしてお腹の奥底に流し込む。
「嬉しいな」
「だからなんで唯乃が……」
「琴乃は私なんだから、当然でしょ?」
真剣な顔でこちらを見る。
「琴乃はさ、不器用だから愛おしく見えるんだ。ダメな子ほど可愛いっていうの?」
ダメな子って……。
まさか教師になってそんな視線を向けられると思わなかった。
そんな私を見て、さらに唯乃は言葉を続けた。
「別に私が出来る子って言うつもりはないけど、琴乃と違って私は自由に生きすぎたんだよね……あっ」
すると彼女は足を止める。
その視線の先には一枚のポスターが貼られていた。
『ピアニスト未崎唯香、凱旋コンサート』
凱旋先は実家のある地元の文化会館だった。
彼女とは地域や学区、教わった先生も違うけれど、育った場所は同じだった。
だからこそコンプレックスが刺激され続けたのかもしれない。
別に天才になりたかったわけじゃないけど、その憧れは大人になって壁に貼られていた。
「綺麗だね、未崎唯香……」
「琴乃は唯香のこと、嫌い?」
「まさか」
ドレスを着てピアノを弾く未崎唯香の姿が撮影されているポスター。
完全に大人になった彼女の指先から、中学生の頃に聞いたピアノの音がそのまま聴こえてくるような錯覚を覚える。
染み付いている感覚。
綺麗で透明のある、私とは違うと言わしめるような音。
学生時代に話したことはあるレベルの知り合いだったけど、私とは違うステージにいる。
「唯香……こっちでもピアニストなんだ」
「そういえば話してなかったっけ」
「やっぱ凄いな……見た目も変わってない」
そして、そんなふうに学生時代の彼女を考えている反面、何か温度のこもった視線でポスターを眺めている。
そうか、そういえば唯乃は諦めずにピアノと向き合って、コンクールでも一度勝ったんだっけ。
「どういう関係なの。そっちの未崎唯香とは」
なんとなくそう聞いてみたら、軽い口調でそんな顔を
「唯香とは付き合ってたよ」
「———はっ?」
つい漏らしてしまった間の抜けた声に、唯乃は眦を下げて声を出さずに笑った。
「付き合ってたよ。音大の発表で勝てたの。そしたらOK貰えた」
「どういう経緯なのそれ……えっ、てか未崎唯香もなの?」
同性愛者なの? という部分はことなのでわざわざ言葉にしなかった。
すると、喧騒溶かし込むような音量で答える。
「ううん、彼女はノーマルだよ。ただあっちも私を知ってたみたいでさ、お願いしたら『いいよ』ってね。唯乃って名前も唯香から取ってるんだ」
「そう……なんだ」
そりゃあまぁ、知ってるか。
同じコンクールに何度か出てたし、同じ地元だし。
なんて、どんな目線で向き合ったらいいか分からない返事をしていると、神妙に唯乃は口を開く。
「仲良かったんだよ。海外の音楽院に行って2人で暮らしてる時は、付き合ってみて良かったって言ってくれた」
諦めなかった世界ではそんなことになっているのか。と素直にお腹の奥で受け止めた。
付き合えるものなんだ。と思うと同時に、唯乃の諦めなかったというのはピアノだけでなく恋愛も諦めなかったということらしい。
蓋をしていたはずの熱を持った感情が背骨から湧き上がってくる。
私も諦めなかったらこうなれていたんだ。という遅れてきた羨望がフツフツと音を立てている。
なんで諦めてしまったんだという後悔も、羨望と混ざり合って暗く濁った音が頭に響く。
あの時諦めていなければ夢は叶ったんだぞ。と神様が嘲るように、唯乃が目の前にいることが一瞬憎らしく思えるほど。
「でも振られちゃった。色々とやりすぎちゃったんだよ私。ピアノ頑張りすぎてから、その辺の加減分かんなくてさ『あなたは見たいものしか見えてない』って……言われて」
空っぽの笑いが、私に届く前に転がり落ちていく。
俯いた彼女の物憂げな表情は、それまでの無邪気な明るさを思えばより一層シリアスに映る。
「もういいよ」
私自身、唯乃の発するそんな空気に耐えられず、つい口を開いた。
手のひらから感じる体温が冷たくならないように、強めに握り返した。
「どこか、ご飯食べに行こ。昨日唯乃が稼いだチップで」
「……うん!」
あなたは私なんだから諦めてほしくない。
少しでも幸せになっていてほしい。
その言葉を唯乃から投げられた。
唯乃は私だから、過剰に心配をしてくれる。
けれど私が唯乃でもあるんだ。
私だって彼女に幸せでいてほしいと思う。
夢を叶えたのだから。
諦めた私よりも手に入れた唯乃の方が、幸せであってほしい。
「だから笑っててよ」
唯乃の先を歩いて彼女に聞こえないよう、私は前へ言葉を投げ捨てた。
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