第10話

 たとえ全世界から嫌われてもこの人にだけは嫌われたくないと思う人間が、手首を掴んで私をどこかへ連れていく。


 目の前の小さな背中に、視線を下ろすたびに手のひらが熱くなる。


 彼女は可愛らしいのに大人で、家庭的で、悩みがあったら笑いながら頷いてくれる。


 手料理を食べて「もし一緒に住んだらこの料理を温かいうちに食べれるのか」とか、こうして連れられてるところを「生徒に見られて勘違いされちゃうかも」なんてことを思ってしまう。


 そんな想像を働かせてしまう相手。


 私の中で彼女の存在が大きくなる。


 唯乃に自分の気持ちに向き合え(意訳)なんて言われて、恋愛を感じるセンサーはどんどん彼女を指し示す。


 比山明里を、私は意識してしまっている。


「ここらへんにあったよね……ってあれ? 人集り出来てんじゃん。配信者でもいるのかな」


 そうして付近まで来てみれば、そんなどこかうつ熱じみたムードは霧散した。


「あー……」


 もう漏れ聞こえる音で分かってしまった。


 ———まただ。


 また唯乃がストリートピアノを弾いている。


「凄い上手くない? 聞いたことない曲」

「『愛の夢』……」


 私が最後のコンクールでやった曲を今度は演奏している。

 嫌味か……? と思ったけど、そんなことはなさそう。


 多分弾きたいから弾いてるんだ。


「知ってる?」

「知ってるというか……昔コンクールで弾いた曲……」


「そうなんだ。もうちょっと近くで見てみようよ」

「えっ?」


 それって……唯乃に会うってことじゃ……。


「ご、ごめん! 私ちょっと先に見たい……から! ちょっと待ってて!」

「えっ?」


 ズイと正面に回り込み、肩を掴んで言い含める。

 どうしたの。と言わんばかりに肩を気にした明里の目をただ見つめて訴えた?


「いつ変わってもらえるか、うん。交渉してくる」

「そう? いいのかな、人集りで見えないけど怖い人だったら琴乃も流石に」


「大丈夫! うん、大丈夫だから。頼むから待ってて! そんで弾くときになったら呼ぶから!」


 肩から手を離し、手のひらを彼女へ向けて制止ひた。

 そうして念を押し、私は人混みの中を突き進んでいく。


 なんで外にいるんだ私!


 2日連続なんだけど……!



   ☆


 愛の夢が構内のBGMのように響く中で、私はただ忙しない気持ちでその音の出元へ向かう。


 間違いない。

 無意識的に決めつけたけど、このピアノは間違いなく唯乃の演奏だ。


 こんなレベルでストリートピアノを弾く人間が何人もいてたまるか。

 指は回らなくても耳はそう簡単に衰えない。


「すいませ……っ! やっぱり……」


 そして弾いていたのは想像通り唯乃だった。

 昨日の外向きの格好とは違うラフなスタイルでピアノに向き合っている女性がいた。


 スウェットにコート……それ全部私のじゃん。


 髪の毛をポニーテールに纏めて、貸した寝巻きのままコートを着て、家にいた時と同じ姿でピアノを弾いている。


 ピアノ風来坊かあんたは。


「あっ、琴乃! おかえりー!」

「うわっ! ちょっと、抱き付かないで!」


 演奏を中断してこちらに飛びついてくる唯乃に、眩暈がしてきた。


 とにかく首に回された手を静かに振り払う。

 するとミルクティー色の髪の毛から良い匂いがする。


 私と同じシャンプーを使っているはずなのに、特別な……女の子の匂いみたいな。

 心臓が跳ねるような……じゃなくて!


「お仕事お疲れ様!」

「お疲れ様じゃない。なんで外に出ちゃうの?」


「あのね、この世界で孤独なのに琴乃の部屋に閉じ込められたら頭おかしくなるよ? いくら私があなたでもさ」


「こっちが頭おかしくなるわ……!」


 というか唯乃に関してはもう既におかしい


 制御不能な大型犬のようにじゃれたり動き回ったり。

 未来人の他人ならまだしも、これが別の苗木琴乃だと思うと途端に頭が痛くなる。


 酔っ払っておしゃべりになったり、変なテンションで笑ってる自分の姿を後から動画で見てる気分になる。


「ねぇねぇご飯食べに行こっ! 私ね、お肉食べたいんだ〜」

「いや、今友達と帰って……頬ずりしないで。メイク崩れるから……!」

「琴乃……?」


 そうして顔を押し付けてくる唯乃に手を焼いていると、その間をひとつの困惑が割り込んできた。


「あっ……」

「あー、知り合い?」


 瞼がピクついてこちらに笑いかけている。

 ヤバい、引かれてる。


「あ、明里? あの、これは……」

「音が止まって人が散り始めたから来てみたけど……」


 視線のやり場に困っている。


 修羅場だ。これは。


 そう思っていると、ピアノの演奏が止まって観衆が散り始めていく。

 何人かがこの状況を面白がって見つめているが、そんなことに気を配る余裕はない。


「ち、違うの! これは……その、別に明里に隠し事をしてたわけじゃ」

「いや隠し事というか、そもそもなんでそんな近い……えっ、てかピアノ弾いてたのはその人?」


「えっと、あっ……うーん」


 どうしようどうしよう。


 勘違いされる。


 両手で押しのけた唯乃へ、なんとかしろという視線を向けると彼女は驚いたままこちらを見ていた。


 役に立たなそう。


 ただ少しだけ口角が上がったように見えた。


「あー、なるほどねぇ……っ!」


 そして、唯乃は何か呟いた。


 前言撤回、ろくなことにならなそう。


「あのね! あー、だから……明里———」


「いやーごめんなさい! 私、音木唯乃って言います! 琴乃の親戚ですよ! ほら、顔似てるでしょ?」


 すると間に割り込むように唯乃は大きな声を上げて見せた。

 尻尾を振るように愛想も振りまいて。


 少し面食らったのか、明里も目をパチクリさせている。

 あまり身長高くないから、でっかい犬を見た子供みたいだった。


 あっけに取られた彼女はブルンと一瞬首を振って、こっちへ視線を向けた。


「……そうなの?」

「そうそう! 琴乃お姉ちゃんがお世話になってます! ねっ?」


 ニヤリと目尻を垂らして笑いながらこちらを見る唯乃に、細く息が漏れてしまう。


 なんか企んでる……? いや、というか。


「お姉ちゃんって……同い年でしょ?」

「あー、そうだった! アハハ、えっと、明里……さん?」


 そして私に飛ばす視線で目だけで紹介を促されたので、私が代わりに説明をした。


「比山明里さん、同僚」

「おー! 同僚ってことは先生ですね! お世話になってます。唯乃でいいですよ」


「あー……はい」


 本当なの? という目で訴えかける明里に私は首を縦に振って答えた。


 すると目を細めて警戒の様子を少しだけ表に出した後、大袈裟に肩を落として大きく息を漏らした。


「なーんだ! ビックリしたぁ。へっへー、付き合ってんのかと思っちゃったよ。琴乃って男っ気ないし」

「っ!?」


 グサリと骨と臓器の間を縫って刃物を突き刺されたみたいで、変な声が出そうになる。

 そんな私をよそに乾燥気味な笑いを浮かべながら、明里もペコリと改めて唯乃に会釈していた。


「今、琴乃の家に住ませてもらってるんです。ちょっと家がなくて……」


 なんて事を言いながら、唯乃は明里の手を取って笑う。


「これは?」

「友好の握手です。手もちっちゃくて可愛いですね!」

「手も……?」


 明里は目を見開いて、笑う唯乃を見ている。


「あ、気にしてました? 褒めてますよ?」


 彼女の大袈裟な距離感は、わざとやっているのだとその仕草で気付いた。

 なにか興味があってアプローチをしている。


 ……一目惚れした?


 唯乃も私なんだし、可能性は……なんて一抹の焦りをかき消すように私は強引に割って入った。


「唯乃、初対面なのに近い」

「あーそう? ごめんごめん。えへへ」


 ただ同い年なはずなのに情緒が幼く、子供じみた笑い方を唯乃に、明里は興味を示しているようだった。


「あー、うん大丈夫。てか同い年ならタメ語でおっけー。ピアノ弾いてたのって唯乃のほう?」


「うん、ピアノは得意」

「そうなんだ。音楽の家系なんだね」


「あーそうだね。アハハ」


 作り笑いをしてとりあえず肯定はしたけど、そんなことはない。

 親戚一同では唯一私だけが音楽をやってる。


 私=唯乃だから、2人いても唯一。


「じゃあさ! 2人でなんか弾けないの?」

「2人?」

「連弾? とか!」

「出来るよ! やろうよ琴乃」


 嬉しそうにピアノに座り直して、半分スペースを開けてトントンと叩いて見せた。

 まるで自分のピアノのようだけど、公共物だからねそれ。


 ただ連弾を期待した明里の視線も、キラキラと届いている。


「んー……いやいや、レベル差ありすぎるよ。私が唯乃についていけない」

「私が合わせれば余裕なのに、セコンドやるよ?」

「そんなの私の心が折れるって、スポーツカーに煽り運転されてるようなもんなんだから」


 ひらひらと手を振って拒否すると、彼女はため息混じり椅子の中央に座り直す。

 ウキウキだった明里もまた溜め息をもらしていた。


 ……なんか、ごめん。


「じゃあ仕方ない。私がソロでやってしんぜよう! リクエストある?」

「えっ、マジ? なんでもいける?」


「知ってればいける。ただ私の知ってる曲がここだとあるのか分からないけど」

「じゃあさ! ネットで有名なドラマがあるんだけど、あの主題歌いける? あれ大好きなんだ!」


 すると明里はそのドラマの名前を口にした。

 ネット配信で学生の間でも人気が高く評判の作品。


 明里もまた、そのドラマのファンでよく話をしていた。


「あー知ってる! 漫画の実写化だっけ? 内容ボロクソ言われてるのに主題歌だけは有名だよね〜」


 するとさらりと、弾き始める。

 私もドラマの内容はともかく曲は知っている。


 何度も転調する楽しいポップスだったはず……はずなのだけど。


「……どう?」

「それ、違くない?」

「うん、違う」


 全然違う物だった。


 お互いにドラマの名前や主演の名前を口にして擦り合わせたのに、主題歌だけが一致しなかった。


「この世界だとこんな曲なんだ……良い曲だね」


 スマホで曲を聞かせてみたものの、今度は唯乃の方がしっくりこないといった表情。

 たった1人の進路とはいえ、意外と世界に影響を与える物らしい。


「アハハ、ごめんごめん! よーし」


 そしてまた弾き直す。

 一回聞いただけでここまで出来るのかと思うくらい、丁寧かつ綺麗。


 そして小洒落たアレンジを加えた。


「凄い! ちょっと聞いただけなのに弾けるんだね! 琴乃にも一回やってもらったけど、何回か聞いてたもんね」

「慣れだからねぇ〜、でも同じDNA持ってるからすぐできるようになるよ」


「それは嫌味?」

「どっちでしょ〜」


 別に今さら上手くなろうってほどでもないけれど、やっぱり少し妬ましい。

 ピアノも、さっきみたいに明里に触ったりも、私にはできないし。


 私もこうなれればよかったな……。

 何か、少し醜い泥のような感情が積み重なっている気がした。


「でも、何回か聞けば弾ける琴乃も凄いよね。音楽できる人ってこういうのスマートで憧れちゃうなぁ」

「そうかな……?」


「琴乃は自分が思ってる以上に、割と凄いよ」

「割となんだ」

「凄いって言ったら謙遜しそうだし、先生だからね。褒め方上手いでしょ」


 ふふんと、わざとらしい小さな胸を張っていた。

 なんで自慢そうなんだと思うと、唯乃もまたピアノ椅子から言葉を続けた。


「琴乃のことよく分かってる。やるね明里さん」

「唯乃は私の事そんな知らないでしょ……でもまぁ私も明里は褒め上手だと思う」

「でしょー? 私はわかってるからね」


「”割と”褒め上手だね」


 そうやり返すと、明里は少し不服そうに口を軽く尖らせた。

 やられた。と言わんばかりに。


 その様子がまた、とても可愛らしかった。


 そんなやりとりに唯乃もまた、微笑ましそうにこちらを見ていた。

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