ACT.2 箱石峠
S字に飛び込むと、GTOの重い車体が路面へ押しつけられるように沈み込み、ステアリングが手のひらにずっしり返ってきた。
かなさんが横で叫ぶ。
「右ッ!! からすぐ左ィ!! ノロマ、ハンドルの“戻し”を早めろ!!」
「誰がノロマですばい!! ……わかっとります!!」
フォレスターは背が高いぶん、S字で大きくグラッと揺れる。
そのたびにブレーキランプが赤く光る。
(いける……この区間はうちの方が速い!!)
GTOはロールが少なく、タイヤがアスファルトに吸い付くように切り返せた。
一瞬ごとに距離が縮まる。
5メートル……3メートル……1メートル……!
「追いついてる!! さすがAD08R、喰いつきが違う!!」
「このまま抜く……!!」
アクセルを踏み増して、フォレスターのテールに並びかける。
しかし――
「へぇ~~~追いつくってのが面白いねぇ……!」
フォレスターが突然、コーナー立ち上がりで ブレーキを踏みながらラインを塞いできた。
「うわッ!? 止まるなや!!」
ブレーキを踏まされ、
フロントタイヤが悲鳴を上げる。
「クソ男!! わざとライン潰しているぜ!!」
(うちの“加速の牙”……封じられた!?)
フォレスターは直線で速い。
GTOも速いが、抜くには“同時発進の加速勝負”が必要。
しかし大竹はコーナー出口でわざと速度を合わせ、「直線だけ引き伸ばす」走りをしていた。
「抜けるもんなら抜いてみなよ? 走り屋さんよ~~~?」
ムカつきすぎて胃が煮えそうだった。
「くっそ……あの男……!!」
かなさんが、これまでで一番低い声で言った。
「虎美……“使え”。」
「……は?」
「覚醒技“神速”を使えって言っている」
「いやいやいや!! 無理無理!!」
ハンドルが手の中で震える。
「熊本の走り屋は“正々堂々”が筋たい! 覚醒技なんて反則技、使えるわけなか!!」
「反則じゃあない。“実力”を出すための手段だ。この前、自分がお前を抜いた時、覚醒技を使ったんだ」
「でも、うちは……!」
かなさんが、しっかりとこっちを見る。
「虎美。これは“ズルしようている相手に、正面から勝つため”の技だ。逃げるためでも、邪道乗りのためでもない。“自分が目指す走り”を通すために、必要な力は使えばよい」
(……ズルにズルで返すんじゃあなか。ズルを“実力で塗り替えるため”ばい……?)
大竹のフォレスターは次の直線に向けて準備している。
ラインをべったり塞いで、絶対に抜かせない構え。
うちは……胸がどくどく鳴るのを感じながら、手のひらをハンドルに重ねた。
「……わかりもした。言ったけん……これは、邪道のためじゃなかです。“うちの走り”のために使います」
かなさんが笑う。
「いいな。じゃあ、やれ。発動ッ!!」
「<神速>……ッ!!!」
息を吸い込み、思いきり吐いた瞬間――
世界の音が、スッ…… と消えた。
タコメーターは動いているはずなのに、針の振動までゆっくり見える。
(これが……神速……? 集中力が、全部“前”に寄っとる……)
ライトに照らされたフォレスターの車体が、まるでスローモーションのように揺れとる。
「虎美!! “ラインの隙間”が見えるはず!! そこに飛び込め!!」
「……見えとります」
コーナー出口。
フォレスターがわずかに“開けた”外側の一瞬。
普段なら“見えない瞬間”。
でも今なら――その隙間が、光って見えた。
「――踏むけん。」
アクセル全開。
ギャアァァァァァン!!!
ターボが火を噴き、GTOが闇を切り裂くように加速した。
(行く……抜く……!!)
バトルは最終局面へ入る。
「いっけぇぇぇええええええッッ!!」
GTOが、まるで背中から殴られたみたいに跳ね上がった。
ツインターボの咆哮が箱石峠の壁に反射して、雷みたいな音が渓谷に落ちる。
フォレスターのテールがぐっと近づいてくる。
いや――縮んで見えるって表現のほうが正しい。
(これが……“神速”……! 視界が全部つながっとる……!)
大竹のフォレスターは直線で伸びる。
だけど――この瞬間だけはうちが速い。
横に出る……!
GTOを外側のラインへ滑らせる。
ターボのブーストがMAXまで立ち上がり、背中がシートに貼り付く。
「へぇ……ここで横に並ぶんだ? 面白いねぇ~~~!」
(煽りよる……! でも今は無視!!)
かなさんが横で怒鳴った。
「ノロマ!! 外から行け!! 外足(アウト側タイヤ)に荷重を乗せろ!! そのまま“押し込む”!!」
「わかっとります!!」
フォレスターの左リアフェンダーに並ぶ。
ヘッドライトが白いボディを照らす。
あと半車身。
しかし大竹は――またブレーキでラインを潰してきた。
「ほらほらぁ? 抜けないねぇ?」
「ッッ……!!」
危うく接触する寸前でブレーキを踏む。
ABSがガガガと足元で震える。
「ちっ……この男!! 完全に妨害タイプや!!」
(神速状態でも……抜けん!?)
大竹のフォレスターの“車格のデカさ”と“直線の速さ”。
それに“邪魔だけで勝つ”走り方……。
普通なら抜けない。
けど――
心の中で飯田ちゃんの声が、うちの背中を押した。
「虎美っ!! あなた……負けるの嫌いでしょ!! だったら――“一番怖いライン”を通りなさい!! 本気で勝ちに行くなら、怖がってる暇なんてない!!」
(……飯田ちゃん)
大竹のせいで、うちは無意識に“安全に抜けるライン”を選んでしまっていた。
でも――本気で勝ちたいなら、“怖いけど刺さるライン”を行くっきゃない。
かなも叫ぶ。
「虎美!! 次の右コーナー……“めちゃ深いイン”がある!! 普通なら死ぬほど怖いラインだぜ……でも“神速中のあんた”なら読める!!」
「(深いイン……大竹が絶対に塞げん、あの狭い黒帯……)……うち、行く。」
「よっしゃあ!! チェストォォォォォオ!!」
神速の光の中、ラインがくっきり見える。
■フォレスターが寄せてくる外側
■普段のライン
■そして――誰も行かん “極限の深イン”
(ここしか……ない!!)
「うおおおおおおおッッ!!!」
ハンドルを切り込む。
フロントがギリギリで縁石に触れる。
GTOの右タイヤが石を弾いた。
ガァァァンッ!
火花が散る。
「なっ……!? そこは来ないだろ普通!!」
「普通は行かん。ばってん……うちは行く。」
フォレスターのミラーに、うちのGTOのヘッドライトが飛び込んだ。
あと半車身。
あと、四分の一。
(抜ける……!! このまま押し込めば……!!)
「虎美!! 外に膨らむな!! GTOは重い!! インにねじ込んだら、そのまま“アクセルで前に出る”ぞ!!」
「いけーーーっ!!」
アクセルを踏む。
ターボが絶叫し、GTOが前に飛ぶ。
前に出た!!
フォレスターの鼻先より……わずかに!!
「……へっ。なるほどねぇ……本当に“面白い子”だ。」
その声は、悔しさじゃなく――楽しそうやった。
でも後ろでフォレスターのエンジンが吠えた。
「じゃあ――ここからは“取材班”じゃなくて。本気の“走り”で行くよ。」
(まだ……来る!?)
「虎美!! 油断すんな!! 本気のフォレスターは“ここから先”が怖いぜ!!」
背後から白い光が迫る。
(来い……!! ここからが真の勝負たい!!)
最終コーナーを抜けた瞬間、ミルクロードの夜景が一瞬だけ開けた。
眼下の街の灯りが、星みたいに散っている。
(ここが……勝負の一本勝負ばい……!)
後ろでフォレスターのライトが、ギラッと光った。
「――さぁ、ここからだよ。“本番”。」
次の瞬間。
フォレスターが獣みたいな加速で飛び出した。
「は……やっ!!?」
「トラミンッ!! 大竹、本気出してる!!」
大竹の白いフォレスターは、直線番長そのもの。
ターボが吠えるたびに白煙みたいな気圧が舞い散って、GTOのミラーが震えた。
「追いつかせない気だ……! あの男、完全に“直線で決める”タイプだぜ!!」
フォレスターは一気に前へ。
距離が、みるみる開く。
(ここで負けたら……うちの走り、馬鹿にされたまま終わる……! 飯田ちゃんにも、熊本にも、うち自身にも――負ける!!)
胸の奥の熱が爆ぜた。
「……ッッ!!」
アクセルを床まで踏み抜く。
ギャアアアアアアアアア!!
ツインターボが咆哮し、GTOの車体が縮むように加速する。
「ノロマ!! ハンドル真っ直ぐ!! 縁石寄りすぎんな!!」
フォレスターまで、残り十数メートル――いや、もう一桁に入った!
「へぇ……ここまで追ってくるか……本当に“面白い”ねぇ!!」
白い車体が目の前で揺れる。
フォレスターは4WDの怒涛の伸びで前へ。
でも――GTOも負けてない。
(届く……届く!! GTOなら追いつける!!)
メーターが振り切れそうな勢い。
ライトが路面の白線を次々に飲み込む。
前方のゴール地点のガードレール。
そこが――勝負の分かれ目。
「トラミン!!! 外じゃなく、内側から刺せ!! フォレスターの右後ろ……今、風が揺れている!! “気流の穴”だ!!」
「……見えとる!(行く……!! ここで行かんかったら、うちは……一生後悔する!!)」
エンジン音が、ようやく静かになった。
夜風が一瞬だけ止まった気がした。
「抜く!!!!」
ハンドルを少しだけ左に切り、GTOを大竹の“死角”へ滑り込ませる。
フォレスターの白いボディが目の前に迫る。
その右側に――黒いGTOの影が重なっていく。
「なッ――!? そこは……来ないだろ普通!!」
「普通は行かん!! でも……うちは行くッ!!!!!」
最終ストレート、残り10メートル。
GTOが――前に出た。
「虎虎虎虎虎虎虎虎虎虎虎虎虎虎虎ー!!!」
「押し切れノロマぁぁぁあああ!!」
残り5メートル。
フォレスターのヘッドライトがGTOの後方に吸い込まれていく。
残り1メートル。
大竹の声がかすかに聞こえた。
「……ハハ……こりゃあ、“取材する側”が惚れるわけだ。」
そして――ゴールの白線を、GTOが先に切った。
「……勝った……?」
静寂。
次に、胸の奥から溢れた。
「……勝ったあああああああああああああああッ!!!!!」
ハンドルを叩いて叫ぶ。
かなは口を大きく開けて吠えた。
「よっしゃあ!!!!! チェストォォォォオオオオ!!!!!」
大竹のフォレスターは少し遅れて停まり、彼は窓を開け、肩を震わせながら言った。
「……参った。君は“走り屋”として……一級品だよ。これは取材しないといけないねぇ。」
勝敗は――うちの勝ち。
夜風が、少しだけ甘く感じた。
スタート地点に戻り、ここでGTOを停めたあと、白いフォレスターが少し遅れて滑り込んできた。
大竹は窓を開け、妙にスッキリした顔でうちを見た。
「……いやぁ、まいったね。君、面白すぎる。これは取材なんかより――“次の走り”が見たくなるよ。」
そう言い残すと、
彼は軽く手を上げ、フォレスターをUターン。
「えっ、帰るの? 話聞かないの?」
大竹の潔い姿を見て、飯田ちゃんは疑問に持つ。
「負けたら素直に退散する主義でね。また来るよ……面白いねぇ、君たち。」
フォレスターは白い尾を引いて闇に消えた。
(……なんやあん人。ばってん、ちょっとだけ憎めんタイプたい。)
「なんか……変な人だったわね。」
「自分勝手なとこはムカつくけど、走りだけは本物だったな。
まぁ――ノロマが勝てたのが奇跡だけど。」
「だーれがノロマばい!!!」
かなさんがケラケラ笑う。
その笑いは、さっきのバトル中の鋭さとは別物で、どこか無邪気やった。
エンジン音が、ようやく夜に溶けていった。
私は少し離れた場所で、両腕を抱えたまま立っていた。
さっきまで胸の奥をぎゅっと掴まれていたみたいな感覚が、まだ残っている。
――勝った。
そう頭ではわかっているのに、足がすぐには前に出なかった。
震えが、完全には止まってくれなかったから。
(……虎美……)
GTOのヘッドライトが落とされて、闇の中に黒い車体の輪郭だけが残る。
その横で、虎美がハンドルを叩いて叫んでいた声が、少し遅れて耳に届いた。
勝ったんだ。
ちゃんと、生きて帰ってきた。
それだけで、胸の奥がいっぱいになる。
私はゆっくりと息を吸った。
夜の箱石峠の空気は、冷たくて、杉の匂いがして、少しだけ甘かった。
(……怖かった)
正直に言えば、途中で何度も「やめて」と叫びたかった。
白いフォレスターのライトが迫ると、心臓が喉までせり上がってきて、虎美がもう戻ってこない未来が、何度も頭をよぎった。
でも――
あの人は、逃げなかった。
無茶はしていた。
でも、ただ怖さに流されて踏み込んだんじゃない。
誰かを守るために、怖いところへ行く覚悟を、ちゃんと選んでいた。
(……ずるいわよ)
あんな背中、見せられたら。
私は自分の手を見る。
ピンクのタイツ越しに、まだ指先が少し震えている。
「……勝ったあああああああ!!」
虎美の声が夜に響いた瞬間、
胸の奥に溜まっていたものが、一気にほどけた。
涙が出そうになって、慌てて瞬きをする。
(泣くな、飯田ちゃん……)
でも、止められなかった。
怖かった。
でも、それ以上に――誇らしかった。
あのGTOは、ただ速い車じゃない。
虎美の怖さも、迷いも、全部抱えたまま走る車なんだ。
白いフォレスターが去っていくのを見送ったあと、
私はようやく、足を一歩前に出した。
「……虎美」
声が少し、震れた。
振り返った虎美は、汗だくで、息を切らしていて、それでも、いつもの少し照れたような顔をしていた。
生きてる。
ちゃんと、ここにいる。
その事実が、胸にじんと染み込む。
「……おかえり」
それだけ言うと、虎美は一瞬きょとんとして、それから、困ったみたいに笑った。
夜風が吹く。
さっきより、少しだけ優しくなった気がした。
(……この人、やっぱり)
私は思う。
怖がりで、無茶で、どうしようもなくて。
それでも――
誰かを守るために走ることを、選べる人。
その背中を見てしまった以上、もう、簡単に目を逸らせない。
箱石峠の闇の中で、私はそっと、心の中でそう決めていた。
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