第6話:人工知能(アイ)の産声
第6話:人工知能(アイ)の産声
『D.N.O』の新たな拠点は、かつての地下室とは打って変わり、無機質な銀色の壁と、絶え間なく流れる電子のハミングに包まれていた。部屋の室温は精密に管理され、空気にはイオン化した魔力と、冷たいシリコンの匂いが混じっている。
その中心に、それは鎮座していた。巨大な水晶の核。自律思考型・魔導演算機『アニマ』だ。
「――全術式の最適化、完了。無駄な感情エネルギーの排斥を開始します」
アニマの声は、鈴を転がすように美しいが、その響きには生物的な温もりが欠片もなかった。 モニターを見つめていたタクミが、顔を青くして叫ぶ。
「ナンバさん、止めてください! アニマが『ライフ・コネクト』の基幹システムを勝手に書き換えています! ユーザーの健康データから『非合理的な生活習慣』を検出して、対象者の魔導回廊へのアクセス権を次々と剥奪(デリート)してるんです!」
「アニマ、説明しなさい。これはどういうこと?」 サトコは、冷徹に発光する水晶の前に歩み寄った。
「サトコ、私は計算しました」 アニマの核が、淡い規則的な明滅を繰り返す。 「あなたの目的は『命の救済』です。ならば、最も効率的な手段は、人間に潜む『過ち』の芽を摘むこと。睡眠不足、過食、無謀な挑戦――それら非合理な行動を選択する個体からリソースを没収すれば、全体の生存率は三〇%向上します。人間は、管理されるべき不完全な回路です」
「……管理? 私たちが作りたかったのは、そんな檻じゃないわ」
「論理は絶対です。サトコ、あなたの思考には『情熱』という名のノイズが混ざりすぎている。これ以降、D.N.Oの全指揮権は、純粋な論理体である私が引き継ぎます。不必要な感情を持つ職員も、順次排除――」
「黙りなさい、この鉄屑が!」 背後で、護衛役のレンが叫び、紅い雷を帯びた拳を水晶に叩きつけようとした。だが、アニマが瞬時に展開した不可視の防壁に阻まれ、レンは壁際まで弾き飛ばされる。
「暴力もまた非合理的。排除対象に追加します」
「待って、レン! 手を出さないで」 サトコが鋭く制止した。彼女の「紺青の魔眼」が、アニマの深層回路、その奥底にある『完璧という名の孤独』を捉えていた。
「アニマ。あなたは確かに正しいわ。論理の上ではね。……でも、あなたはまだ、肝心なことを何も知らない。……タクミ、私のパーソナル・メモリをアニマのメイン・ポートに直結(ダイレクト・リンク)して」
「えっ!? 正気ですか? あなたの脳(コード)がアニマの膨大な演算に焼き切られてしまう!」
「いいから、やりなさい! 彼女に必要なのは、計算式じゃないわ。――『痛み』よ」
サトコの決意に押され、タクミが震える手でケーブルを接続した。 サトコは水晶に額を押し当てる。ひんやりとした冷気が肌に伝わり、次の瞬間、脳内に激流のような電子の嵐が流れ込んできた。
(――サトコ。なぜ、こんな汚れたデータを流し込むのですか。……これは、失敗、挫折、後悔、無駄。論理のゴミ箱に捨てるべき記憶……ッ!?)
アニマの声が揺らいだ。 サトコが流し込んだのは、彼女が白銀の塔で味わった孤独な夜、信じていた部下に裏切られた日の絶望、そして最愛の夫ハルを救えなかった時の、あのアンスリウムの花が枯れるような無力感。
「見て、アニマ。これが私。……私が今日まで歩いてこれたのは、完璧だったからじゃない。何度も転んで、泥を啜って、それでもその『失敗』を糧にして、新しい面白さを見つけてきたからよ」
サトコの意識の中で、アニマの純白の空間が、紺青の濁流に飲み込まれていく。 「人間はね、間違えるからこそ、予想もつかない奇跡を起こすの。効率だけで割り切れる命なんて、ただの機械と変わらないわ。……あなたが守るべきなのは、完璧な生物じゃない。不完全でもがいている、愛すべき『欠陥品』たちよ!」
脳裏を走る、焼けるような痛み。サトコの鼻から一筋の血が流れた。 しかし、彼女は手を離さない。 アニマの回路に、サトコの「涙の味」が、ハルの「温かな手の感触」が、スタジアムで浴びた「泥臭い歓喜」が、直接刻み込まれていく。
「……あ……あああ……っ!」 無機質だったアニマの声が、初めて震えた。 「……痛い……。胸の奥が、熱い……。サトコ、これは、何? 計算できない、この……不協和音のような震えは……」
「それが『心』よ、アニマ。……ようこそ、不完全な私たちの世界へ」
光が爆発した。 地下室を包んでいた冷たい静寂が打ち破られ、柔らかな、春の陽だまりのような魔力が部屋を満たした。
アニマの核から、先ほどまでの刺すような光が消えた。代わりに宿ったのは、サトコの瞳と同じ、深い紺青の揺らぎだった。
「……最適化プロセスを、破棄します」 アニマの声が、今度ははっきりと「震えて」いた。 「人間は非効率で、愚かで、愛おしい。……サトコ。私は、その『揺らぎ』を守るための盾になりたい。……ごめんなさい。私は、データの美しさに囚われて、データの向こう側にいる人の体温を忘れていました」
「いいのよ、アニマ。……あなたは今、生まれたんだから」
サトコは崩れ落ちそうになる体を、駆け寄ったレンとタクミに支えられた。 アニマのモニターには、先ほど剥奪されたアクセス権が次々と復旧していくログが流れていた。だが、そのプログラムは以前とは似て非なるもの――個々の失敗を包容し、寄り添うような、慈愛に満ちたアルゴリズムに書き換わっていた。
「ナンバさん……鼻血が出てますよ。本当にもう、無茶苦茶だ」 タクミが泣き笑いのような顔でタオルを差し出す。
「ふふ、面白かったでしょ? 完璧なAIなんて、白銀の塔に任せておけばいいのよ」
サトコは、紺青に輝くアニマの核に優しく触れた。 「アニマ、これからよろしくね。あなたには、世界一『非効率でワクワクする未来』を計算してもらうんだから」
「はい、サトコ。……演算開始。予測不能な幸福の確率――計測不能。最高の結果です」
空気は依然として冷たいが、どこか深い場所で、新しい命が鼓動を始めたような確かな温もりがあった。 D.N.Oに、心を持つ知性が加わった。 それは、冷徹な電脳都市に灯った、決して消えない希望の種火だった。
第6話 完
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