第4話:碧き獅子(あおきしし)の円形劇場
第4話:碧き獅子(あおきしし)の円形劇場
ハルの葬儀から数週間。サトコは喪服を脱ぎ捨て、鮮やかな紺青のトレンチコートを纏って港町に立っていた。 目の前に聳えるのは、かつてこの街の誇りだったはずの円形劇場――『横浜スター・ガーディアンズ』の本拠地、ベイサイド・コロシアムである。
潮風が湿った磯の香りと、錆びついた鉄の匂いを運んでくる。スタジアムの外壁は剥げ落ち、人々の熱狂の代わりに、敗北に慣れきった沈滞したエーテルが、よどんだ霧のように足元を這っていた。
「……ひどいものね。負け続けて、自分たちまで『負けるのが当たり前』だと信じ込んでしまったのね」
サトコの声に、背後のタクミが溜息をつきながら書類を叩いた。 「ナンバさん、本当に正気ですか? このチームを買収するなんて、底の抜けたバケツに金と魔力を注ぎ込むようなものです。オラクル・レギオンの幹部たちは『あの魔女もハルを失って狂ったか』と笑っていますよ」
「笑わせておきなさい。彼らは効率という定規でしか世界を測れないのよ」 サトコはスタジアムの古びたゲートに手を触れた。冷え切ったコンクリート。だが、その奥底に、かつてここに集った数万人の「絶叫」が、化石のような魔力の微粒子となって眠っているのを彼女の魔眼は見逃さなかった。
「タクミ、ハルに誓ったの。愛する者を救えない魔法は美しくないって。でも、命を救うには『生きる意欲』という燃料が必要なのよ。この街には今、それが足りない。……だから、私が火を点けに来たの」
翌日、サトコはチームの宿舎に乗り込んだ。 そこにいたのは、覇気のない格闘魔導士たちだった。かつて「碧き獅子」と呼ばれた英雄たちの姿はどこにもない。
「今日から私が、このチームのオーナー兼・最高魔導責任者よ」
サトコの宣言に、チームのリーダー格、レンが鼻で笑った。 「……戦略魔導士のお貴族様が、泥臭い格闘の何を知ってるんだ。俺たちはもう、勝つ術を忘れたんだよ。魔導回路もボロボロだ。レギオンが支援する『帝都ドラゴンズ』に勝てるわけがない」
サトコはレンの前に歩み寄り、その瞳を真っ直ぐに射抜いた。 「勝つ術を忘れたんじゃない。自分を信じることを諦めただけよ。……レン、あなたのその右腕の回路、詰まっているわね。敗北の恐怖が、魔力の流れを濁らせている」
「なんだと……!?」
「私の魔法陣を見て。……タクミ、準備はいい?」
サトコはスタジアムの中央に立ち、両手を広げた。 彼女が構築しようとしているのは、観客から魔力を奪うための搾取の術式ではない。観客から溢れ出す「応援」という名の正のエナジーを増幅し、選手たちの回路へ還流させる双方向の循環魔法陣――**『歓喜の蓄魔器(ジョイ・アキュムレーター)』**だ。
「さあ、始めましょう。敗北の澱みを、希望の火に作り変えるのよ!」
サトコが紺青の魔力を床に流し込むと、スタジアム全体のひび割れた魔法線が、水を得た魚のように青く脈打ち始めた。
数日後の試合当日。スタジアムを訪れた観客たちは、異変に気づいた。 ゲートを潜った瞬間、肌を撫でる空気が、いつもより僅かに温かい。 ポップコーンの焦げた甘い匂いや、冷えたビールの苦い香りが、これまでにないほど鮮明に感じられる。
「なんだ……? 体が軽いぞ」 「久しぶりに、声を出したくなってきたな」
観客のそんな小さな「ワクワク」が、サトコの敷設した術式によって、細い光の糸となってフィールドへと収束していく。
「……聞こえるか、レン。これがこの街の『声』よ」 サトコは放送席から、テレパシーをレンに飛ばした。
レンは驚愕して周囲を見渡した。スタジアム全体が、紺青の淡い光に包まれている。 そして、彼の中に、自分自身の魔力ではない、巨大で、温かく、そして泥臭いほどの「期待」が流れ込んできた。
「……あいつら、まだ俺たちを応援してやがるのか……!」
レンの右腕の回路が、音を立てて開通した。 「……おおおおおお!」
レンの放った魔導拳が、王者に君臨していたドラゴンズの防壁を粉砕した。 その瞬間、スタジアムの空気は爆発した。 数万人の「絶叫」が、サトコの構築した『蓄魔器』の中で増幅され、巨大な青い稲妻となって夜空へ突き抜けた。
「勝った……。俺たち、勝ったんだ!」 「ガーディアンズ! ガーディアンズ!」
地響きのような大歓声。 サトコはその震動を全身で受け止めながら、瞳を潤ませた。 五感のすべてが、生きているという実感で満たされていた。 汗の匂い、熱い吐息、涙の塩辛さ。 それは白銀の塔では決して味わえなかった、泥臭くも崇高な「命の熱」だった。
「タクミ、見た? これが循環の力よ。人々が自分たちの熱で、自分たちの運命を書き換えたの。これこそが『ライフ・コネクト』の第一歩……命を輝かせるための動力源なのよ」
「……ナンバさん、あなたの勝ちです」 タクミもまた、興奮を隠せずに笑っていた。「オラクル・レギオンが、スタジアムから放たれたこの膨大な魔力値に腰を抜かしていますよ。彼らには、これが計算外の『奇跡』に見えるんでしょうね」
サトコは、歓喜に沸くスタジアムの夜空を見上げた。 そこには、自分を導く紺青の星が、かつてないほど強く輝いていた。
「見てる、ハル? 私、まずはこの街の心を救ったわ。……次は、その力を全部束ねて、本当に『死』に打ち勝つ魔法を創り出すから」
サトコ・ナンバの不屈の魂が、港町の夜を熱狂の青に変えた。 敗北の霧は晴れ、円形劇場は、新しい神話を紡ぎ出す聖域へと生まれ変わったのだ。
第4話 完
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます