第2話:巨人の影と千の魔眼

第2話:巨人の影と千の魔眼


地下室の空気は、わずか数分前まで「思い出」の温もりに満ちていた。だが今、その温度は急速に奪われ、代わりに鼻腔を突くのはオゾンが焦げるような、暴力的な魔導の匂いだった。


「――来たわね。予想より三分早いわ。あそこの官僚(コンサルタント)たちは、少しは効率を改善したみたい」


サトコ・ナンバは、パチパチと火花を散らす端末を見つめ、愉快そうに口角を上げた。


「笑ってる場合じゃありません! ナンバさん、これを見てください!」 タクミが悲鳴を上げる。彼の手元にある魔導モニターには、都市を網の目のように覆う「エーテル・回廊」が、真っ赤な警告色で次々と塗りつぶされていく光景が映し出されていた。


「『オラクル・レギオン』が、物理回廊の基部を封鎖しました。スラム周辺の魔力供給が完全に遮断されています。このままじゃ『モバ・レッジ』の魔法陣が餓死(ガス欠)して消滅します!」


物理的な回廊遮断。それは巨大ギルドによる、法を傘に着た「兵糧攻め」だ。彼らは自分たちの利権を脅かす芽を、根っこから干渉不可能な闇へ葬ろうとしていた。


ドォォォォン……!


遠くで、重厚な地響きがした。オラクル・レギオンの執行官たちが放った、回廊封鎖用の巨大な「禁呪」が発動したのだ。地下室の天井から砂埃が舞い落ち、サトコの紺青のローブを白く汚す。


「回廊が閉じれば、ユーザーたちの『喜び』も行き場を失う。……サトコ・ナンバ、お前の遊びはここまでだ」 空間が歪み、ホログラムの残像となって現れたのは、レギオンの執政官ヴァルガスだった。その声は氷のように冷たく、一切の情緒を排している。


「ヴァルガス。相変わらず、退屈な魔法を使うのね」 サトコは立ち上がり、砂埃を無造作に払った。 「回廊を閉じる? そんな古い鍵で、この情熱の扉が閉まるとでも思っているの?」


「情熱だと? 吐き気がする。魔導は計算だ。無価値な端材を寄せ集めたところで、零をいくら足しても零だ。お前の『モバ・レッジ』は、この都市の秩序にとってノイズでしかない」


ヴァルガスの投影が、冷酷な手つきで指を鳴らす。 瞬間、地下室を支えていた微かな魔力供給が完全に途絶えた。魔法陣が弱まり、タクミのデバイスが闇に沈む。


「……っ、ナンバさん、もうダメだ。回廊が……消えた」 タクミが膝をついた。暗闇の中で、彼の絶望が冷たい汗となって床に滴る。


だが、サトコは暗闇の中で笑っていた。 彼女の「紺青の魔眼」が、かつてないほど鮮やかに輝き始めたのだ。


「ヴァルガス。あなたは一つ、大きな勘違いをしているわ」 サトコは、魔力供給の止まった魔法陣の中央に、素手で触れた。 「回廊は、あなたが作るものではない。――人々が『繋がろう』とする意志が、そこに道を作るのよ」


「……何をしている。魔力源がない場所で、何を起動させるつもりだ」


「源(ソース)なら、ここにあるわ。……タクミ、よく見ていなさい。これが白銀の塔では教わらない、究極の『逆転魔法』よ」


サトコは目を閉じ、意識を路地裏の向こう側、デバイスを手にした何十万もの「名もなき人々」へと接続した。 回廊は閉じられた。だが、人々の心の中にある「モバ・レッジ」で得た興奮、自分の出した出品物に初めて『いいね』がついた瞬間のときめき、欲しかったものを見つけた時の震え――それらは、物理的な電線がなくても、概念の海を通じて共鳴し合う。


「集まりなさい、小さな光たち! あなたたちの『楽しい』という一瞬の熱を、私に貸して!」


サトコの声が、地下室の壁を突き抜け、都市の深淵へと響き渡る。 次の瞬間。


ピカッ。


暗闇に沈んでいた街のいたるところから、微かな、だが力強い紺青の火花が上がり始めた。 それは、デバイスのバッテリーさえも介さない、人々の「感情」から直接抽出された生(なま)の魔力だった。


「な……なんだ、これは!? 数値が……指数関数的に跳ね上がっていく!?」 タクミが絶句する。 一人の魔力は雀の涙だ。だが、十万、二十万の「小さな喜び」が、サトコの魔法陣というレンズを通じて一点に収束されていく。


バチバチッ! と激しい火花が散り、地下室の空気がオゾンの匂いから、まるで焼きたてのパンや、新しい本を開いた時のような「生命の予感」を孕んだ香りに変わる。


「指向性連環魔法――『スター・ショット』!」


サトコが両手を突き出す。 収束された何十万人の感情エネルギーが、一本の巨大な紺青の槍となって、オラクル・レギオンが張った「禁呪の壁」を真っ向から貫いた。


バリィィィィィィィン!


空間が割れる音がした。 物理的な回廊を無理やりこじ開け、新しい「魔力の通り道」が再構築されていく。


「馬鹿な……!? 民衆の、あんな塵のような感情の蓄積が、レギオンの禁呪を……!?」 ヴァルガスの投影が、ノイズにまみれて歪む。


「ヴァルガス。あなたは数字しか見ていないから、一人の『面白い』が持つ爆発力を知らないのよ」 サトコは、汗で張り付いた前髪をかき上げた。 「私たちが作ったのは、ただの取引所じゃない。誰の手にも届く『奇跡の回路』なの。一度始まった循環は、あなた程度の力じゃ、もう止められないわ」


「……サトコ・ナンバ。……後悔させてやるぞ。次は、こんな手ぬるい……」 ヴァルガスの声が、復旧した回廊の奔流に流されて消えていく。


地下室には、再び「モバ・レッジ」の安定した輝きが戻った。 タクミの端末には、回廊の復旧を喜ぶユーザーたちのメッセージが、それこそ滝のように流れ込んでいる。


『繋がった!』 『今の青い光、何!? すごいワクワクした!』 『サトコさん、ありがとう!』


「……勝ちましたね。僕たち、本当に巨人に穴を開けちゃいました」 タクミが、震える手で画面を見つめながら呟いた。


「勝負はここからよ、タクミ」 サトコは、心地よい倦怠感に身を任せながらも、その瞳に宿る野心の火を消してはいなかった。 「彼らはプライドを傷つけられた。次はもっと狡猾な魔術で、私たちの『仲間』を狙ってくるはず。……そろそろ、私たちも『牙』を雇う必要があるわね」


サトコは、窓の外の夜空を見上げた。 レギオンの塔が、怒りに震えるように赤く明滅している。 だが、その足元の路地裏では、何万もの紺青の光が、まるで新しい星座のように瞬いていた。


鼻腔には、勝利の後の爽やかな夜風の匂い。 サトコの胸には、自分を信じて魔力を預けてくれた人々への、重く、そして誇らしい責任の熱があった。


「一坪の地下室を、世界で一番熱い場所にしてみせるわ」


サトコは、再びチョークを手に取った。 次の円環を描くために。 そして、この都市に蠢くさらなる「才能」を、その懐へ召喚するために。


第2話 完


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