『おめでとう』の実験

ファラドゥンガ

『おめでとう』の実験

 それは、大晦日の夜の出来事だった。


 転勤でこの街に越してきたばかりの僕を、会社の先輩の仲田三千代なかだみちよさんが「初詣に行こう」と誘ってくれた。


 三千代さんには家族がいるのだが、二人のお子さんはすでに成人して家を出ており、旦那さんとは家庭内別居という状態らしい。

 そのために、初詣も二年前から一人で行くそうだ。


 「ちょうどね、付き合ってくれる人がほしかったのよ。ありがとうね、ヤマダさん」と三千代さん。

 

 「ハハハ、僕で良かったら、いつでも」

 ちなみにヤマダというのは、僕の名前である。


 そうして0時前に待ち合わせして神社に向かったのだが、その道中、


 ――ピカッ!


 目映い光が一瞬、夜空に閃いた。


 「なんだろう、稲妻かな」


 「まさか冬に!?どこかで年越しの花火大会でもしてるんじゃないかしら」


 「花火って……真夜中なのに」


 三千代さんと僕が不思議に思っていると、 


 「オ……――」


 通りの向こうから、 フラフラとした足取りの男が近づいてきた。


 「オ、オ……」


 ひどくガラガラの声で、何事かをうめいている。


 「きっと酔っ払いね、近づかないようにしましょ」


 しかし、そんな三千代さんの願い叶わず、男はゆっくりとこちらに迫ってきていた。


 「オ、オ……メ」


 不気味な言葉を発しながら近づく男。

 よくよくその顔を眺めると、白目をむいている。


 「もう!何よ!もうすぐ年明けって時に!」


 三千代さんが怒り叫んだ、その時だった。


 ――ピカッ!


 またしても閃光!


 そして三千代さんは、夜空に顔を上げたまま硬直して動かなくなってしまった。


 「み、三千代さん!どうしたの!?」


 「あ、あなた、助け……――――オッ!」


 三千代さんはフッと意識を失ったように頭をがくりと下に垂らした。

 姿勢は真っ直ぐに保ったまま。


 「三千代さん……?」


 僕が恐る恐る声をかけるや、彼女は白目をむき、こちらに顔を近づけて、


 「オ、オメ――……」

 

 何やらブツブツと呟きながら、男と同じような足取りで歩き始めた。


 「三千代さん!しっかりするんだ!」


 「オメ――デ……」


 三千代さんは返事をしないまま、何者かに操られているように迫ってくる!


 「三千代さぁーーん!」

 大声で声を掛ける。

 すると彼女の白目が微かに震えた。


 もっと親しい人の声ならば、洗脳状態が完全に解けるかもしれない。


 彼女がこうなる直前に発した言葉、

 『あなた、助け……』

 これはきっと、家庭内別居中の夫のことに違いない。


 「だ、旦那さんを呼んできます!」




 * * *




 僕は三千代さんの住所をピピッと特定、その方角へ全速前進!


 風の如く駆ける僕。

 通り過ぎ行く人々は驚きの表情で眺めている。


 得意になって駆けていたのも束の間、思わぬところで赤信号に捕まり、停止しなければいけなくなった。


 そんな状況を見越してか、またしても……。


 ――ピカッ!


 信号の向こうに立つ人々が夜空を高く見上げて、ピタリと動きを止めるのが分かった。


 そして、すぐに前を向き直り、


 「「「オ、オメ……デ……ト」」」


 「くそっ!何なんだよ!」


 信号が青になるや、僕は人混みを掻き分けて大急ぎで三千代さん宅へ走った。


 そして、彼女の暮らしている一軒家に到着。

 家の扉を叩いた。


 「旦那さん!いるんでしょう!?」


 扉は冷たく固く閉ざされている。


 「旦那さぁぁぁん!三千代さんが大変だぁぁぁ!」


 反応がない。


 いや、こんなふうに扉を乱暴に叩く輩を相手にする日本人男性がいるわけない、か。


 ならば、と僕はドアノブを力いっぱい捻り、鍵を壊してこじ開けた。


 「お邪魔致します」


 「な、何だね君は!?」


 三千代さんの夫は、キッチンの食卓に腰掛けていた。

 卓上には、だし巻き卵と熱燗の日本酒。

 どうやら妻が出かけている間に、遅めの晩酌を一人で味わっている最中らしい。


 「三千代さんが操られました!あなたの助けを求めてはいます!声を掛けてあげたら、洗脳が解けるやもしれません!」


 「さっぱり意味が分からん」


 「とにかく来てください!」


 僕は力いっぱいに彼の腕を掴んだ。


 「アイタタタッ!よし分かった、ついていくから引っ張るな!」


 「あっ、そうだ!アルミホイルを頭に巻くのをお忘れなく!」


 「ますます分からん!」




 * * *




  「一体、何があったんだ……」


 とんがり帽子のような具合にアルミホイルを頭に巻いた家庭内別居の夫(仲田茂さんという名)は驚きの声を上げた。

 ゾンビのような具合に、三千代さんがフラフラと往来を彷徨っていたからだ。


 「さあ、茂さん!三千代さんに声をかけてあげてください!」


 「声をかけるったって、なんて……」


 三千代さんは僕らを見るや、

 「オメ……デ……ト……」

 と、呻き声をあげながら近づいてくる。


 「なんでも良いんです!あなただと判れば、それだけで!」


 茂さんはこんな時にもなぜかバツが悪そうに頬を掻いていたが、

 「み、三千代」

 おずおずと声をかけ始めた。


 「オメで……ト……」


 「三千代っ!しっかりしろ!」


 「お、オメッ……ト……サ」


 「子どもたちが巣立って、俺たちの間も冷え切ってしまったが……お前を嫌いになったわけじゃないんだ!」


 「オメデ――トゥオォォォ……オ?」


 「一人晩酌なんか、寂しく仕方がなかった!冷たくあしらってきて、済まんかった。いや……違うな」


 茂さんは三千代さんを抱きしめて、そっとつぶやいた。


 「これまで一緒に生きてくれて、ありがとう、三千代」


 「オ……オメェ……!」


 そうこうしている間に、往来の向こうから操られた人々が集まってきた。

 皆、口々に呻き声を上げている。


 「茂さん!急がないと操られし者どもが襲ってくる!」


 「なんてことだ、年明け早々……」


 「年明け?」


 僕はハッとして、腕時計を見る。


 時刻は午前1時頃。


 とっくに新年を迎えていたのだった。


 「それです!どうして今まで気が付かなかったんだ!僕は大馬鹿者だ!」


 「それ?」


 「奴らはずっと『おめでとう』とお祝いの言葉を呻いていた。だからそれに相応しい言葉を返せば、相手の心に大きな反応を起こすことができる!」


 「完璧に意味がわからん!」


 「とにかくこの場の全員に聞こえるように、大きな声で言いましょう!」


 「だから何と言えば……」


 「この時期にはしかありません!さあ一緒に!」


 僕は戸惑う茂さんに合図を出して、力の限り大声で叫んだ。


 「「あけましておめでとう!!!今年もよろしくお願いします!!!」」


 すると、


 「オメデトウ――……あんた!?」


 ふっと肩の荷が下りたかのように三千代さんは洗脳から解かれた。


 「良かった、三千代……」

 茂さんがその場に崩れて、小さく丸くなった背を震わせて泣き始めた。


 「ちょっと、しっかりしてよ!なにその変な帽子。あら!ヤマダさん」


 「おめでとうございます、三千代さん」


 「一体なんのこと……ああっ!新しい年明け!今年もよろしくね、ヤマダさん」

 



 * * *

 



 往来に集まった人々も、無事に解かれたようだ。

 ここ小一時間の記憶がなく、皆は頭を傾げていた。


 一時はどうなることかとヒヤヒヤしたが、どうにか丸く収まりそうだ。


 やれやれ、こんなことになったのも――。


 はるか上空に、ピカピカ光る飛行物。

 僕はその光に向かって、キッと視線を飛ばす。


 その時、頭の中でピピピ……と声が響いた。


 ――なるほど、『オメデトウ』には『アケマシテオメデトウ・コトシモヨロシク・オネガイシマス』と返答すればいいんだな、ちょっと長いけど。


 「φ≦ψ◢め!そんな雑な実験があるか!『あけまして……』のやり取りコミュニケーションは1年でこの時期だけだ。普段は『ありがとう』とかで返すんだよ!」


 ――ふん、『アリガトウ』はちょっと惜しかったが、を越えなかったぜ?


 「そもそもこの実験には不備が多すぎる!文脈を無視した『おめでとう』には意味なんかないぞ!今日が正月じゃなけりゃ、どうなっていたことか!」


 ――そうなったら事後処理係りのお前さんの出番だろ。だいたい現地に馴染みすぎてんだよ、お前は。これ以上のんびりしていたら教授に叱られる。調査結果をまとめて届けるのは俺なんだからな。


 そんな憎まれ口を残して、ヒュン――と光は飛んでいった。


 『異星人文化の挨拶』の研究……僕たちはその実地調査フィールドワーク中なのだ。


 しかし、とんだ迷惑ながいたものだ。

 この騒ぎの始末をつけるこちらの身にもなってほしい。


 それにしても、茂さんの必死の説得ありがとうが三千代さんの心に届かなかったのは事実だ。


 積年の恨み、というやつだろうか……?

 冷え切った夫婦間の問題、一筋縄ではいかないものらしい。

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