彼の絵を描いたのは

久世 空気

第1話

 私が彼と出会ったのは、カズマ君が引退した日だった。

 デビューしたときカズマ君は12歳だった。結成された注目のアイドルグループに同年代の少年がいることに、まず興味がわいた。カズマくんはグループの中でも最年少で、弟キャラだった。他のメンバーに必死に付いていこうとしているのが、カズマ君のダンスや歌の成長から分かった。頑張っている彼は美しかった。

 その出会いから15年。カズマ君は親の会社を継ぐと言って引退した。世間はイケメン社長の誕生だと盛り上がっているが、私の気持ちは一気に落ち込んでしまった。ミュージックビデオの衣装でスーツを着ているときは格好良く見えたのに、記者会見で経営者の顔をしているカズマ君は私の知っているカズマ君ではなかった。

 カズマ君はいなくなった。世界を作っていた張りぼてが一気に倒れたような寒々しさを覚えた。部屋を見渡すと15年で作り上げたカズマ君グッズの部屋が色を失っていた。すべて遺影だ。私は泣きながらそれをゴミ袋に詰め込み始めた。

 その時、彼が付けっぱなしのテレビに映ったのだ。

 軍服を着た青年。両手のひらの上に雀が乗っていて、目を細めて微笑んでいた。

 東京の美術館で戦争体験者による作品の展示会を催すというニュース。

 青年は油絵で、その展示の目玉のようだった。

 私は掃除の手を止めてテレビに釘付けになった。宣伝は数分で終わり、天気予報に切り替わった。

 彼は誰なんだろう。何故軍服を着ていたのだろう。徴兵されたのだろう。では何故あんな風に微笑んでいたのだろう。

 スマホで覚えていた展示会のタイトルを打ち込み詳細を探した。展示は明後日から。やはりあの絵は大きく宣伝に使われていた。

「国の豊穣を願って」

 という題名が書いてある。画家は「日野薫」。それ以上の情報は無かった。

 行かなければいけない。そう思うやいなや、私はネットで東京行きの新幹線を購入していた。


 実際に見た彼はやはり美しかった。

 そして大きかった。縦2メートル、横2.5メートルほどのキャンバスに描かれ、木製のシンプルな額縁にはめられていた。彼は単独で一つの壁に掛けられ、スポットライトが当てられていた。

 2ヶ月ほどの開催期間で、私が彼と会えたのは30回ほどだった。週休はもちろん、有給休暇を消費し、時には仮病も使って、彼に会う時間を作った。他の作品を見たのは最初だけで、後は彼を見つめることだけに費やした。

 そのため、この短期間で彼について少しだけ知ることが出来た。

 若くして徴兵された彼は、特攻で亡くなった。亡くなる前に故郷の父親(母親は彼を産んですぐに亡くなっている)に手紙を書き、育ててくれた感謝と、先に逝くことを謝罪していた。そして、天国で母親に会って父親とのたくさんの思い出を語ると書いてあった。

 彼は少し母親に夢を抱いているところがあった。美しい母、優しい母。でもそれは幸せなことだった。そういう母親像を心に持つことは、つまり父親が亡くなった母親の良いところを惜しげも無く息子に語って聞かせていたと言うことだから。

 どこまでも無垢で純粋な息子の死に、父親は人知れず涙した。

 その後、終戦し後添えをもらう。若い娘だった。若妻こそこの絵を描いた日野薫だった。薫は父親から聞いた息子を絵にした。記憶はいずれ消えていく。消えていかないよう、いつでも思い出せるよう。父親と薫の間に子は生まれなかった。たった一人の血のつながった息子を夢幻にさせないことは、薫の愛だったのだ。

 悲しいことに、父親は認知症になり、息子どころか薫のことも分からなくなり亡くなった。


 一度だけ、日野薫が展示会に訪れた。その老婆は、これまた老齢の女性に車椅子を押してもらい、傍らに主催者らしきスーツの男を侍らせていた。

 老婆がその人だと分かったのは、車椅子を押す女性が「薫さん」と呼んでおり、スーツの男が「日野先生」と声を掛けていたからだ。

 日野薫は一言も発さず、目だけはしっかりと作品を見つめ、小さくうなずきながら会場を回っていた。

 

 会期が終わった翌日、私は日野薫の家を訪ねた。

 平屋建ての一軒家。門の中を覗いていて見たが、あまり庭の手入れがされていないのか鬱蒼としていた。

 インターホンを押すと、出てきたのは日野薫の車椅子を押していた老女だった。グレーのを軽くパーマをした上品そうな女性だったが、私を見る目は厳しかった。

「どなたですか?」

 私は名乗ってすぐ、 

「絵を売ってください」

 と言った。

 本題は早いほうが良いと思ったから。

 彼女はここに来てもらっても依頼は受けない、絵も売れないと断ってきた。そして大変迷惑なのでこのような行為は辞めるようにと苦言を呈してきた。

「日野薫さんの絵が欲しいんじゃないんです。『国の豊穣を願って』が欲しいんです」

「あの絵は売り物ではありません!!」

 それまで強い口調ではあったが穏やかに話していた女が豹変した。驚いたが、私も引くつもりはない。

「日野さんとお話しさせてください。きっと判ってくれます」

「帰ってください!」

言い終わる前にドアを閉めようとするので、私は慌てて隙間に足を突っ込んだ。勢いがあり痛かった。

「やめて!」

 年齢の割に大きな声を出すので、口を押さえようとしたが、こちらも勢いが止まらず顔面を叩く形になってしまった。

 怯んだ女はドアから手を離した。私は転がるように中に入り込んだ。

靴のまま狭い廊下を歩き、目についた扉を片っ端から開けていく。女は追ってこないが、玄関からわめく声が聞こえている。

 置くの引戸をあける。その部屋は庭に面しているようで、ひときわ明るかった。

 ぷんとシンナーの匂いが鼻を突く。部屋の真ん中にはリーゼル。その横に日野薫がいた。

 日野薫が口を開く前に、私は叫んだ。

「『国の豊穣を願って』はどこですか?」

 日野薫はじっと絵を見るように私を観察していた。聞こえていないのかと思って、もう一度言おうとしたら

「待って、大丈夫」

と、低い声で日野薫が言ってきた。いつの間にか私の後ろに女が追い付いてきていた。戸にしがみついてやっと立っているようだ。

「あの絵はここにはない。次の展覧会のためにアメリカに送ったから」

 ない? アメリカ?

「なんでそんなところに? 彼を殺した国なのに?」

「殺した?」

 日野薫の眉間がきゅっと寄った。

「彼の父親もそんなこと望んでない。愛しているのならやめてあげて!」

「待って、あなた何の話をしているの?」

日野薫は車椅子をゆっくりと私に向けた。

「あなたはあの絵のことをどこで知ったの?」

「東京の展覧会です。彼のために何度も足を運んだんですよ」

「そこで、誰かと絵の話をした?」

私は頭をふる。ただ彼を見つめていたから。

「彼を見て、彼を知って、彼を好きになりました」

「彼の名前を知らないの?」

「……はい、でも、彼がどれ程純粋で、無念のまま亡くなったのか……」

「その、彼は死んでませんよ?」

日野薫はずっといぶかしげな表情をしていた。

「彼は生きて帰ってきました。下肢に大怪我を負って、両親に勘当されたんです。あの家では家業の手伝いを出来ないと、価値がないと考えていたので」

 彼女は誰の話をしているのだろう? 動かなくなった私を覗き込むような姿勢で日野薫は聞いてきた。

「あなたは誰にその話を吹き込まれたの?」

 吹き込む? まるで彼の話が嘘みたいに。私は彼を見て、彼を知ったんだ。彼は、彼は、彼は……。

「彼の名前は日野薫です」

 私が反応するより早く、後ろの女が「あっ」と声を上げた。

「公表するつもりはないのですが、彼は私の出兵前の姿です」

「薫さん、それは」

「いいんです、この方が誰かに何か吹き込まれてこんなことをしているとしたら、不憫です」

 頭に靄がかかってきたように、彼女たちの言葉の意味がわからない。何も聞こえない。

「私は怪我で男性の機能を失いました。長い間悩みましたが、人生の大半を女性として生きています。誰があなたをそそのかしたんですか?」

誰? この人は誰?

彼のことは、彼から聞いた。いや、感じ取った。何度も展覧会で彼を見るうちに、頭の中に彼の人生が流れ込んできた。だからこれは彼の。

「彼は、彼の名前は」

「日野薫です。私なんですよ」

 目の前の干からびたような老婆が、私をあわれむように言う。

 まだ何か言っている。さっきより、頭が回らない。でも、うるさい。この老人はうるさい。黙らせないと。

 私は枯れ木のような首に手を伸ばした。


『国の豊穣を願って』を探してください。

私の絵なんです…

私の大切な人の絵なんです。

戦争に行ってしまって帰ってこなかった。だから描いたんです。

彼の名前は日野薫です。

いいえ、作家の名前ではなく。

え? 強盗?

しりませんよ、関係ないおばあさんじゃないですか。

お巡りさん、そんなことはいいんです。私の大切な人の絵を取り戻してください。

私が描いた。

私が描いた。

私の大切な人の、絵を。

彼と私の間に、他に誰もいません。

私の絵なんです。

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彼の絵を描いたのは 久世 空気 @kuze-kuuki

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