第4話:後方腕組みモブ、推しカプを説き伏せる

 屈辱の昼休みから一夜明け、私はある「悟り」の境地に達していた。


 昨日の私は、彼女たちの物理的な圧力に屈し、精神的な「壁」を一時的に崩壊させてしまった。だが、それは私が彼女たちを「生身の人間」として捉えすぎていたからだ。


(……思い出しなさい、瀬良結衣。彼女たちは、私が前世で何百回とプレイし、台詞の一つから立ち絵の差分まで暗記した『推しキャラ』なのよ)


 彼女たちが私を「一人の女」として攻略しようとするなら、私は彼女たちを「攻略対象」として、その行動パターンの裏をかくまで。


 どれほど執着されようと、私が彼女たちの想定を上回る「解釈」を提示し続ければ、主導権は再び私――観測者の手に戻るはずだ。


「今日こそ見せてあげるわ。……オタクの意地と、聖典(原作)の重みを」


 私は寄宿舎の自室で、封印していた「攻略メモ」を広げた。


 クラウディア・フォン・ローゼンブルク。彼女は高潔でプライドが高いが、実は自分の「正義」や「品位」を否定されることに極端に弱い。


 真白。彼女は一見して全肯定の聖母だが、その実、自分の「計算」が狂い、予測不能な事態に陥ることを何よりも嫌う。


「二人の連携を崩し、本来の『美しい百合』の形へ強制送還する。……これが、私の聖戦ジハードよ」


 私はいつも通りの無表情を装い、しかし瞳の奥に不退転の決意を宿して教室へ向かった。


 ◇◆◇


 放課後。場所はいつもの「薔薇の東屋」。


 もはや「教育」という名の密会は、三人の間の暗黙の了解となっていた。


 扉を開けると、そこには優雅に椅子に腰掛けるクラウディア様と、その肩に手を置く真白様の姿があった。


「ご機嫌よう、瀬良。今日も貴女を……ふふ、じっくりと『磨き上げて』あげるわ」


 クラウディア様が、昨日の勝利を確信しているかのような、余裕のある笑みを浮かべる。


 だが、今日の私は違う。私は彼女の言葉を待たず、流麗な動作で二人の正面に座ると、冷徹なまでに落ち着いた声で口を開いた。


「……クラウディア様。昨夜、私は考え直しました。お二人が仰る『教育』。……それは、あまりにも稚拙で、お二人の高潔な魂を汚すものであると」


「……何ですって?」


 クラウディア様の眉がピクリと跳ねた。


「私を弄ぶことで、お二人は満足感を得ているのかもしれません。ですが、それは真実の愛ではありません。……クラウディア様、貴女は昨日の行為の最中、一度でも真白様の瞳をご覧になりましたか? 貴女が私の首筋に顔を埋めている時、真白様がどのような『孤独』に耐えていたか、想像したことは?」


 私は、原作ゲームの「クラウディア不遇ルート」の独白から引用したフレーズを、最も効果的なトーンで繰り出した。


「……孤独? 真白が……?」


 クラウディア様が動揺し、隣の真白様を見る。


 真白様は一瞬だけ目を見開いたが、すぐに微笑みを崩さなかった。


「瀬良さん、何を言っているの? 私は寂しくなんてないわ。クラウディア様が、貴女を熱心に可愛がっている姿を見るのは……」


「いいえ、真白様。貴女は嘘をついています」


 私は真白様の言葉を、鋭く、しかし慈しむような声で遮った。


「貴女は、クラウディア様が自分以外の存在に夢中になるのを、何よりも恐れている。……それゆえに、自ら『教官』の立場に回ることで、主導権を握ろうとしている。ですが、その心の内側では、クラウディア様の指が私に触れるたび、魂が削れるような痛みを覚えているはずです」


 これは、原作の「真白ヤンデレ化イベント」の解析結果だ。


 私は立ち上がり、あえて真白様の方へと歩み寄った。


「真白様。貴女が本当に望んでいるのは、私を共有することではない。……クラウディア様の瞳の中に、自分だけが映ることでしょう? なのに、なぜ私という不純物を使って、彼女の愛を試そうとするのですか? それは、お二人が築き上げてきた『聖域』に対する、最大の冒涜ではありませんか?」


 真白様の指が、微かに震えた。


 彼女の鉄面皮とも言える微笑みに、初めて「亀裂」が入ったのを私は見逃さなかった。


「……瀬良さん。貴女、何を知っているというの……?」


「すべて知っています。……お二人が、どれほどお互いを求め合い、どれほどその想いに臆病であるかを。……私を汚すことで、その恐怖から逃げないでください。お二人が向き合うべきは、私ではなく、お互いの魂なのです!」


 私は、テーブルをドンと叩き、演劇の舞台のような大声で告げた。


 観測者としての矜持が、私の言葉に神聖なまでの説得力を与えていた。


「クラウディア様! 貴女のその溢れんばかりの情熱は、モブである私に向けるべきものではありません! 真白様の、その繊細で壊れやすい独占欲を、正しく包み込むために使われるべきです!」


「あ、私は……私はただ……っ」


 クラウディア様は、顔を真っ赤にして立ち上がった。


 彼女は、私の「正論」という名の、あまりにも精緻なキャラクター解釈に圧倒されていた。


「……真白、私、そんなつもりじゃ……。貴女を、寂しくさせていたの……?」


「クラウディア様、それは……。瀬良さんの言うことは、ただの……」


「……いいえ、分かっているわ。瀬良の言う通りよ。私、貴女が……私を導いてくれることに甘えて、貴女の心を見ていなかった……!」


 クラウディア様が、真白様の手を強く握りしめた。


 二人の間に、昨日のような「私への執着」とは違う、本来あるべき「二人だけの熱」が再点火される。


(……勝った。これよ。これが、私の見たかった『公式の輝き』よ!)


 私は心の中でガッツポーズをした。 主導権は今、完全に私の手にある。二人の意識は、私という供物を離れ、お互いという名の深淵へと回帰した。



 ◇◆◇



だが、私の勝利はそこで終わらなかった。 私は、二人の「揺らぎ」を逃さず、畳み掛けるように指示を出した。


「さあ、お二人とも。……今この場で、お互いの本心を打ち明けるのです。私を『壁』として、空気として扱いなさい。私がここにいるのは、お二人の愛を正しく記録するため。……クラウディア様、真白様の唇に触れなさい。昨日のような、私への嫌がらせではない……魂の、本当の結びつきを証明するために!」


「なっ……! 貴女、何を言って……!」


 クラウディア様が狼狽えるが、私は厳しく首を振った。


「教育係なのでしょう? ならば、お手本を見せてください。真実の百合が、どれほど気高く、どれほど美しいのかを。……私を黙らせたいのなら、その輝きで私の目を眩ませてみせなさい!」


「…………!」


 クラウディア様の青い瞳に、強い意志が宿った。


 彼女は、真白様の頬に手を添えると、吸い込まれるような仕草で顔を近づけた。 真白様もまた、私の「観測」を意識しながらも、それ以上にクラウディア様の瞳にある真摯な熱に当てられたのか、潤んだ瞳でそれを受け入れた。


 二人の唇が、重なり合う。


 それは、昨日のような暴力的な侵略ではない。


 互いの存在を慈しみ、確認し合うような、静かで、しかし重厚な「聖なる接吻」だった。


(……これ。これよ、これこそが『聖アングレカム学院の調べ』、第3章最高のイベントスチル……!!)


 私は後方で腕を組み、鼻血が出そうなのを必死に堪えながら、その光景を脳内のハードディスクに永遠に刻み込んだ。


 二人のヒロインが、お互いの愛に目覚め、第三者を排除して二人の世界に没入する。これこそが百合ゲーのトゥルーエンドへの第一歩だ。


「……はあ、はあ……っ」


 唇を離したクラウディア様は、見たこともないほど柔らかな、慈愛に満ちた表情をしていた。


 真白様もまた、頬を薔薇色に染め、クラウディア様の胸に顔を埋めている。


 二人の間に、私はいない。 私は今、完璧に「壁」と化していた。


「……瀬良。貴女、本当に……不思議な人ね」


 クラウディア様が、私の方を向き、微かに微笑んだ。


 その笑みには、昨日までの加虐心や執着ではなく、どこか「畏敬」に近い念が混ざっていた。


「貴女の言葉は、まるで私たちの心の奥底を覗き見ているかのように鋭いわ。……おかげで、私は一番大切なものを見失わずに済んだ。……感謝するわ」


(……感謝された! 悪役令嬢に感謝されるモブなんて、前代未聞じゃない!?)


「真白様も、いかがですか? 私という不純物が介在しない愛の味は」


 真白様は、クラウディア様の腕の中から、私をじっと見つめた。


 その瞳には、まだ底知れない「何か」が残っていたが、先ほどのような一方的な支配欲は影を潜めていた。


「……ええ。瀬良さんの言う通りだったわ。私、少し……道を見失っていたみたい。……でも、瀬良さん。貴女、それで満足なの?」


「はい。私は、お二人がこうして睦み合っている姿を見られるだけで、もう何もいりません。これが私の、唯一にして最大の幸福なのですから」


 私は、心からの、一点の曇りもない笑顔で答えた。


 これこそが、私の勝利宣言だ。


 彼女たちを自分に執着させるのではなく、彼女たちを「本来の愛」へと導くことで、自分を再び自由な観測者の立場へと解放する。 これこそが、最強のオタクの戦法なのだ。



 ◇◆◇



 お茶会が終わる頃、東屋には清々しい空気が流れていた。


 二人は仲睦まじく肩を並べて歩き出し、私はその後ろを、適正距離を保って「後方腕組み」をしながら付いていった。


「瀬良。貴女、明日は……」


 クラウディア様が、少しだけ名残惜しそうに振り返った。


「明日は、図書室のテラスでのお茶会ですね。……承知しております。私は、適切な位置からお二人の語らいを観測させていただきます。お気になさらず」


「……そう。貴女がそう言うなら、好きになさい」


 クラウディア様は、満足げに頷くと、再び真白様との会話に戻った。


 真白様も、去り際に一度だけ私に視線を送ったが、それは昨日のような「獲物を狙う目」ではなく、どこか「共犯者」を認めるような、穏やかなものだった。


 私は、二人の背中を見送りながら、資料室の陰で一人、勝利のポーズをとった。


「やった……。やったわよ!! 目隠れモブの完全勝利!! 二人の愛は加速し、私は壁に戻った! これで明日からは、安全な場所から尊き『てぇてぇエネルギー』を吸収できる……!」


 私は、鼻歌混じりに寄宿舎へと向かった。苦労の末、ようやく手に入れた平穏。


 物語の修正力(オタクの情熱)が、歪んだ運命をねじ伏せたのだ。


 ……だが。 私はまだ、真の意味で「執着の深淵」を理解していなかった。



 ◇◆◇



 自室に戻った私は、興奮冷めやらぬまま、ノートに今日の成果を書き込んだ。 『第4章:観測者の逆襲。……ヒロインたちを正道へ導き、壁の座を奪還。完全勝利』


 その時、机の上に置かれた「銀のチャーム」が目に留まった。


 真白様が昨日、私に握らせたもの。 私はそれを手に取り、まじまじと眺めた。


「……あれ? これ、銀じゃないわ」


 チャームの裏側に、微細な文字で何かが刻まれている。 私はルーペを取り出し、その文字を読んだ。


『――観測者が神を創るのではない。神が、自分を観測させるために、観測者を創るのだ。……瀬良さん。貴女が私たちを見ている時、私たちはもっと強く、貴女を見ているのよ』


「…………え?」


 背筋に、氷を流し込まれたような寒気が走った。


 それは、原作ゲームのどこにも存在しない、不気味な警句だった。


「……瀬良さん、まだ起きてる?」


 ノックの音もなく、ドアがゆっくりと開いた。


 そこには、純白のネグリジェ、もといパジャマ姿の真白様が立っていた。


 彼女の手には、クラウディア様の私物であるはずの「薔薇の扇子」が握られている。


「……真白、様? なぜここに……。それに、クラウディア様は……」


「クラウディア様なら、ぐっすり眠っているわ。……今日の貴女の『教育』が、あまりにも刺激的だったから」


 真白様が、音もなく部屋に入り、ドアを閉める。カチャリ、と鍵をかける音が、静かな夜の廊下に響いた。


「……瀬良さん。貴女は、自分が勝ったと思っているでしょう? クラウディア様と私をくっつけて、自分は高みの見物に戻る。……ふふ、本当に貴女らしい、残酷で愛おしい計画だわ」


 真白様が、私のベッドの縁に腰掛けた。


 彼女の瞳は、昼間のあの穏やかさを失い、底なしの「黒」に染まっていた。


「でもね、瀬良さん。……クラウディア様は、今日、貴女に諭されて気づいてしまったの。……自分は、真白(私)のことが大切だ。……でも、それと同じくらい、自分をこんなに深く理解し、導いてくれる『瀬良結衣』という存在を、決して手放してはいけない、って」


「……は?」


「貴女が私たちを『正しく』あろうとさせたせいで、クラウディア様の中の貴女への評価が、ただの不審者から『自分を理解してくれる唯一の理解者』に昇格しちゃったのよ。……おめでとう、瀬良さん。貴女は、観測者ではなく、彼女にとっての『聖母』になってしまったの」


 真白様が、私の首筋に手を伸ばした。


 その指先は、昼間よりもずっと冷たく、震えていた。


「……そして、私も。……貴女が、あんなに美しく私たちの愛を説く姿を見て、確信したわ。……貴女こそが、私たちの愛を完成させるための、最後のワンピース。……貴女がいなければ、私たちの愛は、もう形を維持できないの」


 真白様が、私の耳元で囁く。


 その声は、もはやヒロインのものではなく、破滅へと誘う悪魔の囁きだった。


「勝ったつもりでいたのでしょうけれど、瀬良さん。……貴女が今日やったことは、私たちの愛に、貴女という名の『毒』を永遠に混ぜ込む作業だったのよ。……さあ、夜の続きを始めましょう? 今度は、クラウディア様に内緒で……もっと深いところまで」


 私は、手に持っていたチャームを落とした。 銀色の音が、私の敗北を告げる鐘のように響いた。


(……なんで。……なんで正論を言ったのに、バッドエンドに向かってるのよ……!!)


 私の「勝利」は、わずか数時間で、さらなる巨大な「執着」へと書き換えられた。


 目隠れモブの平穏は、まだ、はるか遠い彼方の話のようだ。

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