想いを贈る旧暦《ふるこよみ》

龍羽

想いを贈る旧暦《ふるこよみ》




「今日は旧い暦で元日に当たるらしいな」


 脈絡無くそんな言葉が聞こえてきて、お茶の準備をしていたノエルは手を止め顔を上げた。


 弍ノ月は昨日で十日を過ぎた冬の昼下がり。彼女がほとんど自室のように使っている薬園管理棟の、会議兼休憩スペース。いつものようにふらりとやって来てはまるで自室のようにくつろぎ出したラカギガルこと王陛下は、これまたいつも通り彼が勝手に物置から持ち出したノエルの論文原稿に目を通している。

 はて、彼が今 目を通している原稿には確か、旅の間に記録した星の配置を記したものが書かれている筈だが。

 タイミング良く火に掛けていた薬缶が鳴いた。火から上げて適量の茶葉を匙で掬って茶漉しへ移す。

「いきなり何をおっしゃるのですか?」

「いやなに。先日書庫で興味深おもしろいものに目を通してな?旧い時代の暦に関する事が書かれていたのを思い出した」

 ポットにお湯を注ぎながら、足を組み替え珍しく落ち着きのない彼を観察する。原稿の紙を弄る手に、既に塞がって久しい傷跡が見えた。


 彼曰く、古代より月の満ち欠けに沿って暦が作られていたと云う。

 今の暦が正式に施行されたのは、ほんの二十年前の事。季節一巡りと等しくなるよう再編されたのだとか。

 今はもうすっかり慣れてしまった四季暦しきこよみに、もうそんな昔の事だったかと、当時の記憶を振り返る。

 患者と主治医の飯事ままごとのような———まだお互いに何のしがらみも無かった頃だ。


「それで一年ひととせが常に等しく整うならば、合理的ではないでしょうか?」

 ポットとカップをローテーブルに置きながら思う所を口にする。蒸らし時間が短く済むよう工夫された茶葉は、程なく透き通るようなハーブの香りを知らせてきた。ゆらりと蒸らしてお互いのカップに淡い若草色のブレンドを注ぐ。

「そうだな。だが日毎移ろう月を愛で星を追うならば、技術は要するものの安い手間でもあったのだろう」


「でも今は———」

 ノエルは言いかけて辞めた。

 続く言葉は戸惑われた。

 暦の変更は合理的。確かにそれもあったのだろう。

 けれどそれは建前で、本音は違う所にあるのではないだろうか。


 王都を覆う厚い雲。

 雲は雨も光も通さない。

 月と離され早三十年。


 見えないものを基準にした暦に価値は無い。

 見えないものを知らせる暦は辛いだけだ。

 先人がそう思ったのも無理はない。


「っ・・・!」


 痛みに息を飲む音を耳ざとく聞きつけて、ノエルは眉間に皺を寄せた。カップを置き、ずかずかとラカギガルの側に迫り膝を折る。

「ディア?」

「失礼します」

 いつもなら訂正する所を、構わずぐいっと青年にしては細い手をすくい取る。男のものと言えば聞こえは良いが、痩せて骨張っているとも言える手だ。子供の頃は病や毒で弱った事もある———おかげで中々肉が付かない。


 その指先にぷっくりと赤。

 彼女はふぅ、と大きく聞こえるように息を吐いた。腰のポーチから畳紙たとうがみを取り出し止血する。

「紙で切っただけだ。そう大袈裟なものでもあるまい」

「ええそうでしょうとも———ですがこちらは?」

 当人の言う通り大した事ではない。1日もあれば治るものだ。けれど彼女が溜息を吐いたのは、それのせいではない。「違いますよね?」と示したそこは、薄くなってはいるが瘡蓋カサブタだ。切れ味の良い刃物で掠ったような。

 彼女の指摘に「ぐうぅぅ」と口籠る。何かやらかした時によく見せる顔は、今も昔も変わっていない。

「いったい何をなさっていたのですか?傷跡から診ておおよそ7日から10日ほどでしょう」

 ポーチからさらに硬膏を取り出し、指を鳴らした魔那マナの火で膏材を柔らかくする。もう一度「大袈裟だ」と言う抗議は一睨みで黙らせた。何が原因で体調を崩すか分からないのだから、大袈裟ぐらいが丁度良いのと云うのに。


 ラカギガルはそわそわと落ち着きなく空いた手を彷徨わせている。膏薬が柔らかくなり、細幅の包帯でぐるりと回るまでたっぷり時間をかけてまだ動かない。

「できましたよ」

 ノエルが手当てを終えて立ちあがろうとしたところでふわりと彼の匂いが強くなった。ラカギガルが彼女に覆い被さり、小柄な彼女はすっかり腕の中におさまってしまう。

「ちょっ…お戯れもほどほどに———」


 チャリ…ン


 自分の首元から金属か乾いた木のような音がした。触れればかどが丸くなった菱形の木の感触。金属で繋がった先は皮革のようだ。

「窮屈ではないか?」

「いえ———ぴったりです・・・」

 手で感触を追えば皮はぐるりと首を一周して帯のようだ。チョーカーだろうか。ペンダントトップの木は表面に凹凸がある。よく見えないが、色の異なる木で組み合わせてあるようだ。


「良かった。実は手作りでな———サイズに困っていたのだ」

 あきらかにホッとした様子のラカギガルに、何を言われたか理解するのが遅れて珍しくポカンと静止する。ようやく言葉を飲み込んだノエルが


「職人に作らせれば良かったのではないでしょうか?お仕事を奪ってはいけませんよ」

「そうだが———それは嫌だ」


 子供のようにつんと目を逸らす。今日は本当に子供のようだ。

 ラカギガルにとって魔技の鍛錬はからきしでも、このような手仕事は好きだった。あまり器用ではないが、手作業は寝込んでいてもできる少ない遊びだったから。

 ただそれでも組み木細工があんなに難しいとは思わなかった。職人とはかくも素晴らしい芸術家なのだと、無事 希う場所にゆれる様を見て彼は思う。


「うん、今日の用は……それだ」

「どう言う事です?」とノエルが聞き返す間も無く、颯爽と立ち上がり去っていく背中。当たり前のように原稿を持ったままである。ああまた彼の右腕ヒェッダ老の仕事が増えるではないか。眉も目尻も下がり切った押しの弱い老爺に心の中で謝罪する。


「次の出立前に渡せて良かった———ではな」

 そうしてラカギガルは管理棟を後にしてしまうのだった。



 すっかりお互いの気配が届かなくなった頃。


 彼は言祝ぎ忘れたのを思い出し。

 彼女は本日の日付を思い出した。


 今日はノエルの誕生日。



 祝いの品がチャリ…とゆれる。




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想いを贈る旧暦《ふるこよみ》 龍羽 @tatsuba

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