第6話 そしてまた、あの町へ……

 ――目の前に青々とした海原と、頭上に水色の空が広がっている。

 夏を前にした、日差しが少し肌に痛いような天気だった。


 上に寝転んでみたいような、ふわふわとした雲たちが空のあちこちに浮かんでいる。


「ロイ。今日は天気がいいね。船旅には絶好の日より」

「リル。暢気すぎ。ついこの間、悪い奴らに捕まって殺されかけたばっかりだっただろう」

 

 リルは、うなずく。

「うん。でもなんとか逃げ切れたわ。近くまでロイが来てくれていたから、そこから迷わずに済んだし」

「俺は、もう寿命が五年縮まったよ。もう、一人であちこち遊びに行くのだけはやめてくれ」

「でも、ロイ。よくあの場所がわかったわね。リル、もう駄目だと思っていたよ」


 ロイが、ふふん、と笑う。


「まあ、俺の分析力と直感と調査能力をあなどるなかれ……ということかな」

「ふーん。どうでもいいけれど、自慢だよね」

「……お前、本当にいい加減にしろよ、その性格。誰が、身体張ってその年までお前の命を守ってきたと思っているんだ」

「あら。ロイだけではないわ。お父さんとお母さんも、よ」

「まあ、それもそうだな」


 ロイと二人顔を見合わせて笑った。



 あの日。……リルが何者かにさらわれた日。リルが目を覚ますと、どこかの倉庫の中にいた。

 両手を背中の後ろで縛られ口をふさがれた状態に気づいて、しまった、と思った。

 なぜか、頭がずきずきと痛む。



 倉庫の中は薄暗く、トラックが、二、三台余裕で停められそうなくらいの広さと高さがあった。

 ガソリンの大きな缶が、いくつかコンクリートの地面に転がっている。



(ロイの言うとおりになった)

(このままだと、ロイを本当に一人にしてしまう。なんとか脱出しないと)


 倉庫の中で小さな小窓を見つけて外を覗いた。

 幸いなことに、リルをさらった者たちは今ここにはおらず、どこかに出て行ってしまっているようだ。


 リルは、縛られている手を、少し右にひねったり、左にひねったりしてみた。そして、それをひたすら繰り返した。


(なんとかなるかな)


 次に、意図的に手の骨をずらすように動かしてみた。しかし縄はほどけない。


 ふと、倉庫の入り口のドアの方へと移動し、後ろ手でドアノブを回してみた。

 当たり前だが、カギがかかっている。


 リルは、倉庫内を歩き回って、何か針金のようなものを探した。……見つけた。長さは十センチほどで少し長いが、太さはおそらくちょうどいい。

 リルは、針金の先を数センチ曲げて利き手の左手でにぎった。


 リルは、後ろ手でそれを持ち、またドアの方へと移動し、ドアに耳をつけてもう一度外の様子を窺った。人がいるような気配はやはりない。


 リルは、ドアに背を向けながら、針金をドアの鍵穴に差し込んだ。そこまででも時間がかかって、汗が滲み出る。

 そのまま、針金の先に神経を集中させ、細かく動かした。幾度か休憩を挟みながら、三十分くらいかかっただろうか。

 鍵穴から、「カチ」という音がした。


 外に出て、走って逃げだすと、ちょうどそこへ今帰って来たらしい輩の背の低いおやじと角刈り金髪につり目の若い男二人と、リルは対面してしまった。


 リルは一瞬固まって、おやじのTシャツに描かれている馬の絵とその顔を交互に凝視した。


「こいつ!どうやってそこから出てきた!!」

「知らないわよ!べー!」


 リルは、一目散に、走り出した。



「まてよ!」

「いやよ!」


 リルは、川沿いの通りの近辺にいくつもある倉庫の影に身を隠しながら逃げまわっていた。すると、向こうに見える高いコンクリートの壁の上にロイがいるのが見えた。


「ロイ!」

「シッ」


 ロイは、リルに黙るように促し、こちらにむかって遠くからスケート靴一足を放り投げてきた。


「リル。それでこの壁を上がってこい!」

「うそでしょう?!」


 リルは、背後に輩二人が迫ってくるのを感じながら、スケート靴をさっと履いた。


 壁は、高さ三メートルくらいで、壁面がいくらか曲線状になっていた。

 手前から勢いをつけて滑り出し、リルは膝をぎりぎりまで曲げて腰を低く落とし、両足を前後に少しずらして、ロイの身長よりも高いコンクリートの壁をスケート靴で滑り駆け上がった。


「ロイ!」

「リル!つかまれ!」


 途中でつまずいて、もう、あとちょっとが届かず伸ばした手を、ロイが上からつかみ、力強く引っ張り上げた。


 そこから二人でスケート靴を履いて隣の町まで逃げ切った。


「リル。もう、この町は危ない。もっと遠くへ逃げよう」

「え?リル、まだ、大丈夫だよ」

「お前が大丈夫でも、俺が無理。もう、疲れた。田舎に戻りたい」


 リルは、ロイを見つめた。

「帰ろう。あの町……デリへ」


 

 あの時の事を思い返していると、ふと、ロイが口を開いた。


「リル。見えてきたよ」

「え、何が?」


 ロイはリルに向き合って言った。


「僕たちが、家族皆で最後に過ごした町。デリの港だよ」


 リルも、正面を向いた。小さな町が遠くに見える。

 懐かしいようで複雑な匂いのする空気が、鼻の奥へ入り込んできた気がした。


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白い花(番外編) 蒼衣 @ion7259

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