幕間 マッカランの言い訳

その日は、うだるような暑い日だった。


店に着くなり冷房を入れる。

もちろんタオルウォーマーのスイッチは入れない。

代わりに冷蔵庫に丸めたおしぼりを敷き詰め、お客様に清涼な気分を味わってもらうことにする。


店内が冷えてきたら、いよいよ丸氷だ。

冬場にはしんどいだけのこの作業も、この時期は少しだけ気分が楽に感じる――最初の2、3個までは、だけど。


シャッ、シャッ、というナイフが氷を削る音だけが、BGMのない店内に孤独に響く。

指先の冷たい感覚とは違って、額には薄っすらと汗が滲む。


あと、2つ。

その時、バックヤードをノックする音が聞こえる。

せっかく集中していたのに、という気持ちと、これを言い訳に少しだけ休める、という気持ちが混ざり合ったままバックヤードへ急ぐ。


「はい、どうなさいました?」


バックヤードのドアを開けたところにいたのは、いつもの酒屋さんだ。

「すみません、遅くなって。

本日の納品です。

こちら、納品書です。」


手渡された紙と照らし合わせながら納品された酒を確認しようとした時だった。

「おお、佐野屋さん!

ありがとうございます!

もしかして…?」

マスターが出勤してきた。


おはようございます、と声を掛けながら酒をチェックしようとすると、急にマスターが納品書を奪い取り、ニマ〜っと笑う。

絶対ロクなこと考えてないなあの顔は…。

「おう、フミトこっちはやっとくから。

フロア、頼むぞ。」


「マスター?

何か隠してません?」


分かりやすくマスターの肩が跳ねる。

「な、何も隠してなんかないぞ!?ホントだぞ!?」


じーっと薄い目で見つめながら問い掛ける。

「マスター?

自首した方が罪は軽くなるって言いますよ?」


「な…何もないったらないわ!

オープン準備は終わったのか?!」


こうなったマスターは駄々っ子と一緒だ。

どうせまたサユリスト仲間の酒屋の店長に何か押し付けられたんだろう。

マスターは重度の吉永小百合ファンである。

溜め息を吐き出しながら、諦めて丸氷を続けることにする。

「ハァ…。せめて可愛い値段のものであってくれれば良いんだけど…。」


マスターの背中が固まるのが目の端に映る。

嫌な予感がするが…まあ良いや。

今に始まったことじゃない。

こないだもザ・グレンリヴェットの18年なんて値付けに困るウイスキーを仕入れていたんだ、流石にそれ以上のものは仕入れやしないだろう。


丸氷を終わらせ、フロアの掃除を始めた頃には、マスターの挙動不審な動きなど忘れていた。

もっとしっかりチェックするべきだったと後悔したのは、翌々日の棚卸しの時だった。




バーの棚卸しは大変なんだ。

酒の残量を全てチェックしてまとめなければならない。

リキュールの並ぶ棚はボトルの中身が見えないことも多く、持った時の重さと音で判断することも多い。

「コアントロー…これは1/4、でいいかな…。

マリブは…この重さだと2/5くらいかな?

ウチだとあんまり出ないからな…先月とあんまり変わってないよな…次出たら発注すれば良いか…。と。」


続けてスピリッツ。

ゆっくりと手に持ち、その残量を記していく。

ジン、ウオッカは消費が早い。ウチの店ではついでラム、テキーラといったところだ。


「あれ、ゴードンってまだストックあったよな?」

ふと見ると、ゴードンがもう少しでなくなりそうだ。

確かまだ二本は置いてあったはずだが…こないだ見たのは四日前だ。

もしオレが休みの間に出していたなら急いで発注しなければならない。


ストックをしまうキャビネットを開ける。

「あ、やっぱり一本使われてるな…次の発注の時に発注しないと……ってなんだこれ?」

スピリッツのボトルが並ぶ影に、木箱が存在を隠すように奥に突っ込まれている。

ふいに、先日の挙動不審なマスターの背中と繋がる。


オレの背中に冷たいものが流れる。

埃はない、どう見ても最近のものだ。


木箱には大きな文字で

"The MACALLAN 30"の表記。


……。

…………。

………………。


やられた。

確かこれ……30万以上はしたはずだ……。

このクラスになると一杯10万でもキツい。

だって飲む人いないもの。

封を開けたと同時に劣化していくことを考えたら、ほとんど儲けなんて乗せられそうにない…。


マスターが来たらこれは……お説教だな。


見つけたからね?ということを主張するために、カウンターの上、ダウンライトの真下にそのThe MACALLAN 30を置く。ラベルはこちら側に向けて。

オープン準備を始めなければならない時間までには、無事終わった棚卸しの一覧の下に、ザ・グレンリヴェット18年とマッカラン シェリーオーク30年の文字が新しく書き足されていた。



丸氷の準備までが終わり、フロアの掃除も半ばまで終わった頃。

バックヤードの扉が開く音がする。

「あなたの過去など知りたくないの〜♪

済んでしまったことは〜♪」


ふむ。

かなりの上機嫌だ。

これは…間違いなく佐野屋さんに寄って店長とサユリスト同士盛り上がって来たな。

さて、どんな言い訳が飛び出すか楽しみだ。


「おう、おは…!?」

おはよう、と言いかけた言葉が途切れ、カウンターの上にこれ見よがしに置かれた木箱を凝視している。


「あー、マスター。

もうちょっとでフロア終わるんで。


その後、お話がございます。

分かってますよね?」


少しだけ視線を彷徨わせた後、項垂れたマスターの唇が諦めたように動く。

「……はい。」



全ての開店準備を終え、あとは看板を出すだけ、となった後。

木箱に入ったマッカランの前、カウンターの隅でちょこん、と小さく座りつつ、明らかに暑いからではない汗が額を流れている。


「……で?

何か言うことは?」


「いや、これはだな……、ホラ、やはりバーテンダーとしては熟成の極みを学ばずしてお客様に酒の深淵さを語ることはできないというかだな……!」


「深淵さを語る前に店の終焉が見えそうなんですが?」


「それにホラ!

やっぱり熟成の樽による違いも」


「他にももっと値段を抑えたカスクフィニッシュで充分ですよね?

ボウモアとか今何本あると思ってます?」


「それにだな、佐野屋の店長がだな、小百合様の秘蔵ポスターをくれるって!」


「それが店の営業と何の関係が?」


うぐ、と声を詰まらせて言い訳を探す。

だが、何も思いつかなかったのだろう。

絞り出すように本音が漏れる。



「……だって……飲みたかったんだもん…。」



ハァ……。特大の溜め息が漏れる。

「返して来なさい!」


「ヤダヤダ!これはもうワシのもんじゃ!

この店に置くんじゃ!」


「何ジジイ言葉にしてんすか!

売れるわけないでしょうこんなの!

返して来なさい!」


この騒動は開店後もしばらく続いた。

なし崩し的に妥協させられたオレにとっては、懐かしい思い出だ。

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カウンターの中では、泣いちゃいけない サイドストーリー 藤川郁人 @fumito227

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