11 エピローグ

 白狼しろうくんの作った複製世界から戻った私は、音楽室の教室で椅子に座っていた。割れてない窓ガラスと大穴が開いていない壁の音楽室。見渡すとクラスメイトたちは皆、紙に何かを書いている。私の目の前に紙。

 ……そうだ、音楽鑑賞の感想を書く紙だ。


「小乃葉、アンタちょっと髪ぼさぼさになってない? 音楽聞いているだけで、何でそうなるの?」


 いつの間にか私の横に立っていたはーちゃんが不思議そうに、ケルベロスの涎を洗い落としたためにぼさぼさになった私の髪を見ていた。


「ちょっと作曲家の気持ちに寄り添いたくなって、髪を弄ってみた」


 ぱっと思いついた嘘で誤魔化す。


「どうせ途中で飽きて寝てたんでしょ?」

「ちゃんと起きてたよぉ」

「どうだか。その髪、教室に戻ったら梳かしてあげる」

「えっ、いいよぉ」

「私が気になるんだよ、梳かさせな。それより小乃葉、ほとんど真っ白だけど間に合うの? 急いで感想書かないと授業終わるよ?」


 はーちゃんが机の上の紙を、ぱんぱんと叩く。


「今から爆速で仕上げるよ」


 えーっと……感想を書こうとして、大変なことに気づく。


「どんな曲だったっけ?」

「……あんたやっぱ寝てたでしょ?」

「違うって! 本当に起きてたんだって!」


 ずーっとケルベロスと戦ってたせいで忘れちゃったんだよぉ!

そういえば、複製世界であれだけの時間戦ってたのに、こっちに戻ってきたらケルベロスが音楽室に現れた時からほとんど時が過ぎてないや。それに皆、私が箒を持ち出して暴れたことを忘れているみたい。

 こっちと複製世界で時間の流れが違うとか、私が時をかけてタイムスリップしたとか、なんか不思議な力が作用してるんだろうけど、答えはわからなかった。まぁ、いいや。私にとってマイナスじゃないから。

 そう思った瞬間「ぐー」とお腹が鳴る。走り回ってカロリーを消費したせいかな。


「はーちゃん、聞こえた?」

「小乃葉のお腹にある燃費の悪いエンジンが鳴った音なら聞こえた。さっき給食食べたばっかなのに、あんたの体どうなってんの?」

「せ、成長期だから。ご存じですか? 成長期」

「小乃葉、立ってみ?」


 言われた通り、立つ。はーちゃんは水平にした手を私のおでこに当ててから、そのまま自分の体へとスライドさせて首に持っていく。


「ね? アンタよりは知ってるでしょ、成長期」

「いやいや! そんなに身長差ないって! 今は―ちゃん自分の体に手を持ってく時、ちょっと上の方に浮かせてた! もう一回! それと映像での判定を要求します!」

「もっと傷つくだけだから止めた方がいいよ」

「くっそぉー! 小学校四年までは同じぐらいの身長だったのになぁ! どこで差がついちゃったんだろう!?」

「成長期でしょ。でもさ、身長ちっちゃい方が可愛くていいじゃん」

「持つ者が持たざる者に言っても説得力ないんだよぉ! それに私は可愛いくて格好良い系を目指してるんだ! 犬で言ったらシェパードになりたいんだよ!」

「小乃葉に警察犬は荷が重いって。ポメラニアンとして、家でわんわん吠えながら餌とお昼寝だけしてなよ。食べて寝て遊ぶだけの生活、好きでしょ?」

「それは好き」

「でしょ? でもまだポメラニアンには変身できてないから、今日のところは怠けてないでやることやった方がいいよ」


 そう言ってはーちゃんは、私の机に置かれた紙を再びぽんぽんと叩く。そうだった。背比べという屈辱的な行為のためだけに立たされた私は、曲の感想を書くために着席する。


「とはいえ、どんな曲か忘れちゃったんだよなぁ。運動会のかけっこの時に流れるってことだけは覚えてる」

「小乃葉の紙に唯一書いてある単語だもんね」


 はーちゃんが私の感想用紙にかかれた『運動会』という文字を指さす。


「そういうはーちゃんはどんな感想書いたの? 真似するから見せて」

「せめて参考にするって言え」


 そっと私に自分の紙を見せてくれる。


「何この物騒な単語。はーちゃん神にでもなるつもりなの? 知り合いにどうなったら神になれるか聞いてあげようか?」


 長々と感想が綴られたはーちゃんの紙の一番上には『天国と地獄』と書いてあった。


「曲名だ、曲名。神になるってなんだよ」

「曲名って……マジ? 今まで私たちは、かけっこの時に天国と地獄を聞きながら走ってたの? かけっこって天使と悪魔の代理戦争だったの?」

「物騒な表現だなぁ。悪魔側の代理としてかけっこ出場したら、負けた時に罰として酷い目に会わされそう」

「そうなる前に返り討ちにしてやろうよ」

「かけっこにすら勝てなかったのに悪魔には勝つ気じゃん……」


 マルバスに一勝、ケルベロスに三勝してるからね。最後の一戦は白狼くんと一緒にだけど。

 それにしても「3」「犬」ときて、三戦目のケルベロスは何を<器>にして具現化したんだろ。黒い球体から出てきたケルベロスは何かに取り憑いているようには見えなかったけど……。

 神様は悪魔が取り憑く〈器〉は物体だけでなく、ありとあらゆるものやことが選ばれるって言ってたよね。三つ首の地獄の番犬に関係のある〈器〉。うーん……わからん。

 まぁ、もう倒したし、考えなくていっか。それより私が今考えなきゃいけないのは感想文の方だ。何を書こうかと考えながら、顔を上げる。


 ずらりと並ぶ作曲家の肖像画と目が合う。日本の人――そういえば何とかん太郎さんって名前だった気がする。にんたまらん太郎さんかな? そんなわけないか。

 その太郎さんの横には海外の作曲家が並んでいる。モーツァルトとベートーベン、シューベルト、レオナルド、ダヴィンチとかろうじて作曲家の名前だけは思い浮かぶけど、どの肖像画がどの名前の人なのかは私にはわからなかった。


 そんな有名な作曲家たちの一番端に、きりっとした顔でこちらを見る女子中学生の肖像画が増えていた。なぜその肖像画の人物が女子中学生とわかったかというと、毎朝洗面台の鏡で見る顔だったから。


「私がいるんだけどぉ!?」


 立ち上がり肖像画を指差して叫んでしまったために、クラスの皆も私が描かれた肖像画を見つけてしまう。「何で姫野さんの肖像画が?」「いつの間に……」「動かないから美少女に見える」「本物よりはるかに賢そう」などなど、絵を見て好き勝手に感想を言う。


「って、誰だぁ! 本物はもっと馬鹿だって言った奴! 私の肖像画の下に貼り付けにするぞぉ!」


 そう叫ぶとクラスメイト達は悲鳴をあげ、私から距離をとる。男子の誰かが「気をつけろ! ラーテルが暴れ出したぞ!」と皆に注意を促していた。


「おいラーテルってなんだ! 得体の知れないもので人を例えんな!」


 怒る私に、山田ちゃんが机の下に隠れながら、そっと教えてくれる。


「姫野ちゃん、ラーテルっていうのはね、小型犬ぐらいの大きさなのにライオンにも喧嘩を売る気性の荒い動物なんだよ」

「山田さん、解説してる場合じゃないから。小乃葉を止めないと。落ち着け、小乃葉! 人を張り付けになんてするの、中世の暴君ぐらいだぞ!」


 はーちゃんに取り押さえられた。はなせー! 私を馬鹿呼ばわりした奴を音楽室の壁に釘で打ち付けてやるんだぁ!


「誰ですか、こんな手の込んだ悪戯したのはっ! 姫野さんに謝りなさいっ!」


 先生が犯人を捜し始める。

 残念だけど先生、手の込んだ悪戯の犯人は見つからないんだ。ここにはいないから。白狼くんは別れ際「〈真化〉の影響で些細な変化が起こる」って言ってた。きっと、これがそうなんだろう。

 つまり犯人はケルベロスなので、当然、先生の問いかけに名乗り出る生徒は誰もいない。


 結局その肖像画は、音楽の先生の「生徒の描かれた絵だし、出来が良いから処分しづらい」という理由で音楽室に飾られたままになった。なんでだよ。




 ケルベロスとの激闘から一週間。

 神様の「〈真化〉状態で倒されたのじゃ。力を大きく失ったケルベロスは、しばらく人間界に現れんじゃろう。それにじゃな、他の悪魔もケルベロスが倒されたという噂を聞き、しばらくは〈悪魔顕現〉を利用せずに様子見するじゃろうな」という言葉通り、私の前に悪魔は現れなくなった。悪魔と出会う前の、平和な日常が戻ってきた。


 そんな平和な日常で私がやらなければいけないことと言えば……学校に行くこと。

映像で出来た複製世界のものとは違う、遠く離れた宇宙の向こうから私を照らす太陽に見守られながらの登校。いつもの制服に身を包みながら、はーちゃんとのいつもの待ち合わせ場所、コンビニ前へ。住宅街から、大通りへ出ると、コンビニが見えてくる。はーちゃんの姿も見えた。

 私は先に着いて待っていてくれた彼女に駆け寄り、声をかける。


「ごめん、待った? ううん、今来たところ」

「また言ってんのかそれ、絶対流行らんぞ。おはよ、小乃葉」

「おはよ、はーちゃん」


 二人並んで歩き始める。昨日見た面白い動画とか、今度一緒にゲームで遊ぼうとか、休みに遊びに行こうなんて話をしながら、通学路を進む。コンビニのある大通りから、再び住宅街へ。学校まであとちょっと。


 正直、学校の修行は、じゃなかった授業は――まぁ修行みたいなもんだけど――あんまり好きじゃないけど、こうやってはーちゃんや山田ちゃんとかと話すのは楽しいから、毎日学校に通うのはそれほど苦痛には感じていない。


「そういえば小乃葉、英語の予習した?」

「はーちゃん、駄目だよ。今、私はモノローグで自分を騙して無理矢理学校へと行く気にさせてるんだから。そんな質問したら、家に帰りたくなっちゃうよ?」


 学校でじーっと座って授業してるのちょー苦痛。家でゲームしてたいよぉ。


「安心しな、小乃葉。私が合流したからには、首輪つけてでも無理矢理にでも引っ張ってくから」

「私のこと犬みたいに扱うじゃん……」

「犬好きなんでしょ? ちょうどいいじゃん」

「確かに前は好きだったんだけど、今はちょっと……犬って涎凄いし、怖いなぁって」


 犬という単語を聞くと頭が三つある地獄の番犬を思い出してちょっとトラウマ。怯える私をはーちゃんが不思議そうに見る。


「なに? 犬に嚙まれでもしたの? 小乃葉も猫派になる?」


 猫を飼ってるはーちゃんが派閥に誘ってくる。


「うーん。犬猫よりも、大人しくて頼りになる狼派になろうかな。優しいし」


 今度は狼の耳と尻尾の生えた少年を思い出す私を、何言ってんだこいつって目で見てくるはーちゃん。


「犬猫より狼のが気性荒いだろ……小乃葉、あそこにちょうど犬いるよ。なんかさぁ、ちょっと前に話題にしてたケルベロスみたいじゃない?」

「なにぃ!?」


 はーちゃんが「ケルベロス」という悪魔の名前を口にしたので、思わず大きな声を出してしまう。またあの悪魔、人間界に来やがったのか!?


「驚きすぎ。どうしたのさ?」

「だってはーちゃんがケルベロスって言ったから!」

「言ったけど……そんな驚くことかぁ?」


 だって悪魔が来てるかもしれないんだよ! 驚くことだよ! ……ん? 今はーちゃん「ケルベロスって言った」って認めたよね?

 私、思わず「はーちゃんがケルベロスって言った」って叫んじゃったけど、〈変換呪文〉の影響があるならはーちゃんが口にした「何らかの言葉」が「ケルベロス」って私の耳に聞こえてるはずなんだから、言ったって認めるのはおかしいよね。

 つまり悪魔ケルベロスは現れていなくて、はーちゃんは何かを見てケルベロスって言っただけってことになる。


「ほら見てみなよ、小乃葉。あのワンちゃん達、ケルベロスみたいじゃん」


 なるほど、はーちゃんはあの三匹くっついて電柱の匂いを嗅いでいる黒柴ちゃんを見て、ケルベロスって言ったのか……って、あの見たことある三匹の黒柴ちゃん、それにわんちゃんを連れてるお爺ちゃんお婆ちゃんは、私の家の近所の高橋さんじゃん。

 私が見ていることに気づいた高橋さんちのおばあちゃんが、小さく手を振ってくれる。


「おはようございますー!」


 お婆ちゃんに聞こえるよう大きな声で挨拶すると、お婆ちゃんだけでなくお爺ちゃんまで笑顔で会釈を返してくれる。


「小乃葉、知り合い?」

「うん。近所の高橋さん」

「あぁ! 本当だ! 坊主頭で白い髭生えてる!」

「……何の話? まぁ、いいや。見てな、はーちゃん。猫派のキミに、犬は怖くなくて可愛い生き物なんだよってことを、私が手本付きで教えてあげよう」


 触れ合い慣れた黒柴ちゃん達を見つけて胸を張る私に、はーちゃんが「私じゃなくて、ちょっと前の自分自身に教えてやれよ」とツッコミを入れてきたけど、さっと受け流して高橋さんの元へと駆け寄る。


「小乃葉ちゃん、この前はぬいぐるみ拾ってくれて、ありがとうねぇ」

「いえいえ。ワンちゃん撫でてもいいですか?」


 黒柴ちゃん達を前にしゃがんで尋ねる私に「もちろんいいわよ。この子たちも喜ぶわ」とお婆ちゃんが撫で撫で許可をくれる。お婆ちゃんの言うとおり、黒柴ちゃん達は私の前で尻尾を振って待っていた。お利口だぁ。

 遅れてやってきたはーちゃんが高橋さんと挨拶している横で、私はさっそく三匹いる黒柴ちゃんのうち、一匹に的を絞って手を差し出す。驚かせないよう顔の下の方からそーっと。

 差し出された私の手を、ぺろぺろと舐める黒柴ちゃん。かわいい!


「どうだはーちゃん。可愛いだろう」

「なんで小乃葉が得意げなんだよ」


 なんて言いながら、はーちゃんも黒柴ちゃんの一匹を撫で始める。猫派の癖にやるじゃんか。負けじと私も黒柴ちゃんを二匹同時に撫でまわす。おりゃおりゃおりゃあ! 撫でまわされて嬉しくなったのか一匹はひっくり返ってお腹を見せ、もう一匹はもっと撫でてと私の足にくっついてくる。上等だ、私の本気を見せてやるぜぇ!


「あっ、小乃葉ちゃん! 顔は近づけちゃ駄目!」


 お婆ちゃんが、道路に膝をつけ黒柴ちゃん達との距離をさらに縮めた私に向かって叫ぶ。なになに!? なんて驚いた瞬間、私の足にくっついていた黒柴ちゃんが飛び上がり私の顔を嘗め回しはじめる。ちくしょーやられたぁー! 私を唾液まみれにしたのはケルベロスに続いてお前が二匹目だぞ!

 あーあって感じではーちゃんが私の顔を見ていた。


「ごめんなさいね! これ使って!」


 お婆ちゃんが黒柴ちゃんを私から引き離しながら、ハンカチを差し出す。


「ありがとうございます」


 ハンカチを受け取って顔を拭きながら、私の顔を涎まみれにした犯人を見る。

 美味しかったか? 私の顔は。ケルベロスすら味わってない部位だぞ。犯人の黒柴ちゃんはまだ舐めたりないのか、私の顔を見ながら嬉しそうに尻尾をぶんぶんと振っていた。

 そんな素直に好意を表してくれる尻尾を見てたら、舐められたことなんてどうでもよくなってきて、なんだかだんだん可笑しくなってきた。


「あっ、小乃葉! 時間ヤバい。そろそろ行かないと遅刻するよ!」


 はーちゃんの言葉を聞き、私ではなくお婆ちゃんが「あら大変」と慌てる。


「わかった。それじゃー名残惜しいけど、学校行こっか。またー」


 私の言葉に「またね」と返すお婆ちゃんと、にっこり微笑んで会釈するお爺ちゃん。

散歩が再開されることを察したのか、あれほど愛嬌を振りまいてくれた黒柴ちゃん達は、私のことなんて見ずにそっけなく歩き始めてしまう。ちょっと寂しい。


 なんて思いながら去っていく黒柴ちゃんの後ろ姿を見ていると、私の顔を嘗め回した子がちらりと振り返り私を見る。

 またね。

 私は目の前の黒柴ちゃん、そして私に向かって尻尾を振ってくれた狼の少年を思い出しながら、そう心の中で呟いた。

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