5 江戸時代の戦い
三時間目の理科が終わり、私はすっかり疲れ切っていた。授業の内容が難しくて頭の使いすぎで疲れた……わけじゃない。
「何これ?」
はーちゃんの声。「おーい? 生きてる?」と机に突っ伏してぐったりしている私の頭をこんこんとノックしてくる。
「なんかねぇ、姫野ちゃん、様子がおかしくって」
山田ちゃんの声。
「小乃葉がおかしいのはいつものことだと思うけど」
おのれはーちゃん。なんて失礼なことを言うんだ。
「あのねぇ、姫野ちゃん、事あるごとにねぇ『なになにって悪魔、いる?』って聞いてくるの。『ナトリウムって悪魔いる?』とか『フェノールフタレインって悪魔いる?』って」
「なにそれ。朝は神探して、今は悪魔探してんの? ゲームのしすぎかな?」
私が疲れてる理由はまさにそれだった。あっ、ゲームのしすぎじゃないよ?
授業中、耳慣れない単語が聞こえる度に「もしかしたら悪魔の名前かも?」と思ってしまい、悪魔を探し始めてしまう。そうして四六時中悪魔を警戒し続けた結果、私の精神は披露しきってしまった。
頑張れ私。疲労を追い払うように、がばっと上半身を勢いよく起こす。「おっ、生きてた」と言うはーちゃんの声を聞きながら、私は振り返り山田ちゃんに謝る。
「ごめんね山田ちゃん。何度も話しかけて授業の邪魔して。自分のスマホで調べればいいんだろうけどさぁー」
「理科の先生、前に授業中スマホ弄ってる男子を見つけた時、凄く怒っていたもんねぇ」
「そうなんだよねぇ」
あの時は、温厚なお爺ちゃんの先生だと思ってたから凄くびっくりしたなぁ。スマホに何か恨みがあるのかもしれない。
「はーちゃんなら授業の邪魔しても良心が痛まないんだけど、悪魔に詳しくなさそうだし」
「おい小乃葉、痛めろよ良心。心に悪魔飼ってんのか」
「はーちゃん、性格は悪魔なんだけどなぁ」
「おう上等だ。小乃葉が悪魔と呼ぶ私の恐ろしさを見せつけてやろうじゃん」
そういってはーちゃんは片手で私の顔面を掴み、ぎゅーっと手に力を籠める。はーちゃんの親指が私のこめかみに食い込む。いてぇー!
「なにこれなにこれ!? 顔掴まれてるだけで何でこんな痛いのこれ!? ぎぶあっぷ! はーちゃん、ぎぶあっぷ!」
ぱんぱんとはーちゃんの腕を叩いて降参をアピールするけど、顔から手は離れなかった。
「ぎぶあっぷぅ? そうじゃないでしょ小乃葉? 私が必要としてる言葉、わかるでしょ?」
「ごめんなさい! もう悪魔なんて呼びません! エンジェルはーちゃんって呼びます!」
「最後のは必要としてない」
はーちゃんの手が私の顔から離れていったけど、まだ僅かにこめかみを親指で押されてるような感じが残ってる。
「まだ何か微妙に痛い感じがするんだけど、これ私の顔大丈夫? 欠けてない? 顔が欠けて力が出なくなったらどうしよう」
「アンパンマンか。そんな強くやってないから平気だよ。ほれ」
そう言ってはーちゃんはスマホの内カメラを鏡がわりに使って私の顔を見せてくれる。よかった、欠けてないや。はーちゃんのスマホには、ちゃんとちょー可愛い顔が映っている。
「それで小乃葉はなんで悪魔を気にしてるわけ?」
こめかみを摩っている私に、はーちゃんが聞いてくる。……なんて答えよう?
私にしか見えない悪魔と戦っているの、なんて正直に言っても信じてもらえないどころから頭の心配されちゃうだろうし、何か良い嘘を考えないと。
とはいえじっくり考えてると怪しまれるし、適当に喋りつつ、話しの着地地点を考えていこう。
「えっとね……はーちゃんは悪魔っていうと何を思い浮かべる?」
「チェーンソー」
えっ、なんでチェーンソー。全く分かんないし、何か物騒で怖い。どうしよう。でもどんどん喋っていかないと。
「そうだね、チェーンソーだね。でもそれは一旦置いておこう」
「ならなんで聞いたんだよ……」
不満そうなはーちゃんから、山田ちゃんへと話をふる相手を変更する。
「山田ちゃんは悪魔といえば何を思い浮かべる?」
「えーそうだなぁ……傲慢、憤怒、嫉妬、怠惰、強欲、暴食、色欲の七つの大罪とかぁ、魔導書レメゲトンのゴエティアに記載されてるソロモン王の72柱の悪魔かなぁ?」
真面目でおっとりとしている山田ちゃんがウキウキで話す。こっちはこっちで何か怖い。これ以上この方向で話を掘り進めない方が良さそう。
「そうだね魔導書レントゲンだね。でもそれは一旦置いておこう」
「また置くのかよ」「レメゲトンだよぉ」という二人のツッコミを無視して私は思いつくままに話を続ける。
「はーちゃんはケルベロスって知ってる?」
「知ってるよ。頭が三つある地獄の番犬でしょ?」
「そう番犬、つまり犬です。猫派のはーちゃんの天敵です」
「それ、私が猫飼ってるってだけだろ。別に犬を敵だと思ったことないから。なんなら小乃葉のが、でかい犬に迫られるとびびるじゃん」
「びびってねーし! ほら、私のスマホ見ろ! この裏面に貼られた可愛いワンちゃんのシールが目に入らぬか! 私は犬好きなんだ!」
私が犬にびびってるとかいう風評被害を広めようとするはーちゃんに、スマホカバーに張られたシールを見せつける。「ゲームキャラじゃん、それ」「姫野ちゃん、水戸黄門みたい」とそれぞれ反応する二人。ん?
「水戸黄門?」
そう訊き返す私に山田ちゃんが「徳川光圀のこと」と教えてくれる。誰? 徳川幕府の人? なんでケルベロスみたいに、水戸黄門って別名があるの?
……あっ、そうだ別名! 良いトークテーマを思いついたので私はさっそく話を戻す。
「とりあえず徳川家康は一旦置いておこう」
「おい小乃葉、違う人攫ってるぞ」「光圀だよぉ」と私にツッコむ二人を華麗にスルーして、私は話を続ける。
「はーちゃんも少しはケルベロスについて知ってるみたいだけど、実はナベリウスという悪魔の別名ってことは知らないでしょ?」
「へーそれは知らなかった。良く知ってんな、小乃葉」
「まぁーね」
胸を張る私に、山田ちゃんは何か言いたそうにしてたけど我慢して黙っていてくれた。ありがとう、山田ちゃん。
「それで小乃葉、そのケルベロスがどうしたのさ?」
ここで私は先ほど別名から思い出した、盛り上がること間違いなしのテーマを口にする。
「ケルベロスと今川焼きについて語り合おうよ」
「な、なんで?」「どう広げていけばいいんだよ、その話題。無理だろ」
わけがわからないって顔の山田ちゃんと、辛辣な物言いで反対するはーちゃん。
「あ、あれ? 駄目かな? じゃ、じゃあ大判焼きの方にするよ」
「一緒だろうが。なんで地獄の番犬と和菓子で話が盛り上がると思ってんだよ」
「えぇ、伝わんないかなぁ? じゃあ、この話も一旦置いておくね」
「小乃葉のストック棚、チェーンソーと魔導書と徳川家康と大判焼きが収納されてんだけど、ちゃんと片づけられるの、それ」
無理。よし、いったん話を纏めよう。
「えぇーっと、じゃあこの辺りで整理しよう。つまりね、私が言いたいのは……」
「「言いたいのは?」」
山田ちゃんとはーちゃんの声がハモる。息の合った二人に、私は思ってることを言う。
「結局、何の話してるのこれ?」
「こっちのセリフだよ!」
そう叫ぶはーちゃんの声と同時に、休み時間終了のチャイムが鳴り始めた。
こうして二人の
三時間目の時は悪魔に気をつけなきゃって気を張っててとても疲れたのに、なんかその一時限で状況に慣れたのか、四時限目はさほど悪魔を気にせずに授業を受けられている。
まぁ、授業内容が日本の歴史のおかげで、悪魔の名前と勘違いしそうなカタカナ用語があまり出てこないっていうことも、悪魔を気にしないで済む理由ではあるかも。徳川家光って言葉を耳にしても「悪魔の名前かっ!?」ってならないもん。逆に考えれば、この時間は悪魔の名前が聞こえたらすぐに気づけるはず。
それにしてもこうやってずーっと悪魔を気にしてなきゃいけないとなると、授業に集中できなくて私の成績に支障がでちゃうな。なんか良い解決方法がないか、後で神様に相談してみよう。
「徳川幕府の五代目将軍は徳川綱吉だが」
教室の前では社会の先生が江戸時代について話している。
四時間目ともなると太陽の位置はさらに高くなり、それと比例するように気温も上がって、ちょっと暖かすぎるかもってぐらいの体感温度になってくる。
そういえば今年は暑くなるなんてネットニュースで見た気がする。衣替えまでまだ日があるから、太陽にはもうちょっとの間サボっていて欲しい。
前を見るとはーちゃんの制服の上着は、椅子カバーと化していた。あったかくなってきたし、私も脱ごうかな。
いつの間にか開いていた教室の窓から、そよそよと優しい風が入ってくる。私の頬や首のあたりを包み、気温によって上がった体温をそっと冷ましてくれた。それがとても心地よく感じた。
平和。
「そのことから徳川綱吉はケルベロス将軍なんて俗称がある」
これさえなれば。
不意に聞こえてきた悪魔の名に、これからやらなければいけない面倒事を想像して、思わず机の上にぐでーっと突っ伏してしまう。
それにしても強そうだね、ケルベロス将軍。魔王幹部の四天王あたりのポジションにいそう。強そうな鎧着てて、頭は三つありそう。
……またケルベロスかぁ。さっきやっつけたばっかりなのに、すぐに新しいケルベロスが現れるなんて。さっきのケルベロスA、今現れたケルベロスBだけじゃなく、仲間を呼んでCとかDまで現れだしたらどうしよ? どのぐらいの個体数が魔界に生息してるのかな。これも後で神様に聞いてみよっと。
なんて考えてる間にも時間は過ぎていく。このまま時間をかけて〈真化〉したら大変なことになっちゃうから、さっさとケルベロスBを見つけてやっつけないと。
幸い、どこを探せばいいかのヒントはもう手に入れている。ヒントは〈変換呪文〉によって私の耳に聞こえた「ケルベロス将軍」という言葉。この「ケルベロス将軍」の元の言葉がわかれば、自然とケルベロスが取り憑いている〈器〉もわかるよね。
そしてその答えは社会の先生が今日の授業内容を綴った黒板にあるはず。そこに書いてある『〇〇将軍』を見つけ、その『〇〇』に取り憑いているケルベロスを退治すれば解決だ。さすが私、天才かも。
さっそく黒板から将軍を探そうとすると、社会の先生が黒板消しを手に持つ。
「みんな、もう写し終えたな? 黒板消すからな」
「うえぇ!?」
春の陽気に気を取られノートを取っていなかった私は思わず声をあげてしまう。私の声に気づいた先生が、呆れたような顔をする。
「なんだ姫野、まさかまだノート取ってなかったのか? 仕方のない奴だな。春木、姉のお前が授業が終わったら見せてやってくれ」
「へーい」
先生に苗字を呼ばれて返事するはーちゃん。いや「へーい」じゃねーよ。姉じゃねーよってツッコんでよ。二年から一緒になった付き合いの短いクラスメイトたちが、冗談ってわからずにびっくりした顔でこっちみてるじゃん。苗字違うけど、複雑な家庭環境の姉妹なのかなって目で見てんじゃん。先生もわかりづらいボケ振らないでよ。
ってツッコミいれてる場合じゃない! 黒板の文字が消される前に、ケルベロスの〈器〉にたどり着くためのヒント、『〇〇将軍』を見つけないと!
「先生待ってください! どうか将軍だけは! 将軍だけは残しておいてください!」
「急にどうした姫野。何で先生に将軍の存続を懇願するんだ? 王政復古の大号令はまだ始まってないぞ?」
何言ってるかわからんけど、先生が困惑してる今がチャンス! 私は必死に風前の灯となった黒板の文字の中から、必死に将軍という単語を探す。
あった『大将軍』だ! あっちげーや。よく見たら『大』に点がついてて『犬将軍』だった。かわいい。
「先生、もう大丈夫です。将軍消しちゃってください」
「……なんで急に討幕派に?」
先生は不思議そうにしてたけど、すぐに気を取り直し、職務を全うするべく授業を再開し始めた。お仕事の邪魔してごめんなさい。これも世界を守るためなんです。
授業を進める先生と同じように、私もすべきことをしよう。ケルベロスを見つけて、倒すのだ。
まぁ、さっき手に入れたケルベロス将軍と犬将軍ってヒントのおかげで、ケルベロスは犬に取り憑いてるってことが解ったから、すぐに見つけられると思うけど。教室にいる犬――チワワか、柴犬か、ゴールデンレトリーバーか知らないけどそれを見つければ解決だ。
……いや犬なんていないよ。いたら教室中大騒ぎになってるよ。それとも誰かがこっそり隠して飼ってるのかな? そんなわけないよねぇ? でも他に当てもないし犬を探すしかない。というわけで先ずは手近なところに聞いてみる。
「はーちゃん、はーちゃん」
「どうした小乃葉。ノートなら授業終わったら見せてやるから、それまで待ってな」
「ノートはいいんだ。それより犬見せてくれない? 鞄にグレートピレニーズ入ってたりしない?」
「そんなでかい犬鞄に入れてるわけねーだろ。頭はみでるわ」
「だよねぇ? そうなると鞄に潜んでる可能性があるのは小型犬になるかぁ……」
「なるかぁ……じゃねーよ。犬を鞄に潜ませてる奴なんているわけねーだろ。アホなこと言ってないで、ちゃんと授業に集中しな」
「でもでも、犬が見つからないと授業どころじゃないんだよぉ」
「相変わらず突然訳の分からないこと言い出す奴だなぁ。犬ねぇ。そうだ。……ほら、これで我慢しな」
はーちゃんはポケットから取り出したハンカチを私に渡す。ハンカチには可愛い犬と猫のキャラクターが描かれていた。
……そっか。はーちゃんに渡されたハンカチを見て気づく。本物の犬じゃなくて、ぬいぐるみの犬や何かに描かれた犬に取り憑いてるって可能性もあるのか。
「ありがとう、はーちゃん! 私の探してる犬じゃなかったけど、おかげで助かったよ!」
ハンカチを帰すと「これじゃ駄目なのか。可愛いのに」とはーちゃんはちょっとがっかりしていた。お気に入りのハンカチだったのかな。悪いことしたな。でも私が探してるのはケルベロスが憑いてる犬だから。
「ねぇ、はーちゃん。他に犬グッズ持ってない?」
「猫ならあるけど、犬はないなぁ。そもそも小乃葉が探してるのってどんな犬なの? リアルな犬? それともマスコットみたいなデフォルメされた犬? ゲームキャラでもいいわけ? ほら」
はーちゃんは私の鞄を指差してから言葉を続ける。
「小乃葉のスマホカバーのシールみたいに」
そういえば私の周りにもいたな、犬。……まさかね。
先生に見つからないよう、鞄からそーっとスマホを取り出す。ひっくり返し、裏のシールを確認。
犬の姿のゲームキャラクターがいなくなっている。代わりに三つの頭を持つ黒い厳つい犬が描かれていた。
いつの間にか私のスマホカバーに住み着いていた三つ頭の黒い犬は、私と目が合うと吠え始める。「ワン! ワン!」と吠える声が三重奏で聞こえてきてやかましい。
私は「ワン! ワン!」と激しく威嚇されながら、ペンケースからシャープペンを取り出しグーで握る。そうして、無断で人のスマホカバーに住み着きやがった三つ首の犬――ケルベロスめがけてシャープペンを振り下ろす。
「おらぁ! 私のスマホから出ていけ悪魔ぁ!」
「急にどうした小乃葉ー!」
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