第2章
第2章
Fundamentum Silens(黙した土台)
歌詞(ラテン語)
1.
Fortasse fui sicut terra sub sole,
Spem alendam sustinui in silentio.
Ardor me combussit, sine iudicio,
Et pedibus victorum iacui.
2.
In vultu ignoto, veritatem tuli,
Falso ardore, pacem quaesivi.
Sed in fine, cum cineres ceciderunt,
Fundamentum mansit — ego.
和訳(日本語)
1
私の存在は、大地のようだったかもしれない。
希望を育てるため、黙って支え続けた。
焼けるときは、誰彼かまわず焼かれ、
勝者の足に踏まれて、私は横たわった。
2
敵の顔をつけて、真実を運んだ。
偽りの炎で、平和を手繰り寄せようとした。
だが、灰が降りしきるその時に、
残ったのは——土台だった。私だった。
≪— 遷流歴43年 映画『風の土台』 挿入歌より≫
玄関のドアを開けて、僕は靴を脱いだ。
廊下にリオが出てきて、声を弾ませる。
「カロ! カロ〜。」
「出迎えとは珍しいな。」
リオは目を丸くして、地団駄を踏みながら言った。
「聞いて。カロ、あのね、あのね。聞いて。」
「聞きますよ。さっきからずっと聞いてますよ。落ち着いて。何?」
「来た! 新しい人が来たの。」
期待も恐れもない、そのただならぬ様子に僕は訊ねた。
「同居人が? 再分配で?」
「そう、サイブンパイで来た。」
「どんな人?」
「わかんない。今、いない。出掛けて行っちゃった。」
どうやら、サキ姉さんの代わりの人間が割り当てられ、今日、再分配されたらしい。
リビングに戻り、二人分のオレンジジュースを用意して、僕は尋ねた。
「どんな人って、性格とかじゃなくて、ママみたいな人とか、子供だったとか。出掛けるところは見たんだよね?」
「学校から帰ったら、おじさんがいてね、“出掛けてきます”って言われた。」
「おじさんなんだ。名前は?」
「なんにも。ただ、“出掛けてきます”だけ。」
僕は時計を見た。時刻は21時を過ぎている。
「歯を磨いて、今日はもう寝なさい。」
「ええー、私もおじさんと話したいよ。」
「それは僕に任せて。明日も学校でしょ。給食袋は出したか? 持ちっぱなしはやめろよ。」
⦅夜更け⦆
時計は24時を回り、僕はテレビを消した。さすがにこれ以上起きていれば、明日に響く。廊下に出たその瞬間、玄関の扉が開いた。
「た、ただいま。」
振り返ると、男が立っていた。
「おか……えりなさい。」
僕の声は少し途切れた。家族らしい挨拶ではなく、まるで旅館の中居と宿泊客のような形式的な挨拶だ。
その男は僕より背が高く、肩幅が広く、腕も太かった。
物怖じせず玄関を上がり、僕を通り過ぎて自室へ向かおうとする。その厚い背中に思わず声をかけた。
「僕はカロって言います。よろしくお願いします。」
男は立ち止まらずに答えた。
「ナイルだ。よろしく。」
ガラガラとドアが閉まった。
次の日も、その次の日も彼は、ほとんど家を空けていた。
確かに再分配直後は忙しい。着ている服とスマホ以外は持ちこせない。置かれていった前任者の荷物整理、新生活の準備、職探し。
前任者の職場が引き継げるなら話は早いが——前任者であるサキ姉は働いていなかった。
けれど、初めて会ったとき、彼は何も持っていなかった。生活に必要な物を揃えて戻ってきた様子はない。
寝間着も、歯ブラシすら。
⦅早朝⦆
そんなことを考えながら、僕は洗面台の前で歯を磨いていた。
寝間着姿のまま、口をゆすいで顔を上げる。鏡の奥に、ナイルが立っていた。
「ぐわっ——すいません! おはようございます!」
完全に油断していた。もう出掛けたと思っていた。
こういう時、とっさに謝るのって、なんか恥ずかしい。
「おはよう。」ナイルは言った。「驚かせてすまない。ちょっと聞きたいことがあってな。」
「はい。なんでしょう?」
「この辺に、ビデオ屋はあるか?」
「ビ……ビデオ屋、ですか?」
「DVDでもブルーレイでもいい。扱ってる店、知らないか。」
スマホで近隣の街は調べられる。しかし、異国の地では土地勘や、地図を見る能力がある程度ないと、東西南北もままならない。
「あー……駅前とかにあったと思いますよ。調べましょうか?」
「大きなところは回った。でも目当ての物がなくてな。中古ショップとか知らないか? ああいうとこ、売り場が狭くて、ネットにも載ってなくて……」
再分配社会は性質上、リサイクルショップは多い。多過ぎて、探せないのだ。
「古いやつ、探してるんですか? ……エッチぃやつですか?」
「エッチくはない。」
「女優さん、誰が好みです? 僕は、タカハマ モモちゃんです。」
——初対面の会話は、自分をどこまで晒せるかで深度が変わる。
僕だって、もう慣れたもんだ。
ナイルは小さく笑ってから言った。
「違うよ。サバナって知ってるか?」
「サバナ? ……遷流(せんる)紛争(ふんそう)の英雄の?」
「古い映画を探してるんだ。店、知らないなら自分で探すよ。」
そう言ってナイルはその場を離れた。
⦅昼下がり⦆
遅めの昼休み。職場のデスクで、僕は「サバナ」について検索していた。
デスクトップに映るのは、旧時代の記録映像と、断片的な映画レビュー。
「なに? サバナって、遷流(せんる)紛争(ふんそう)の英雄だろ。」
隣の席の同僚が覗き込む。
覗き込む彼を見上げて僕は検索結果を伝えた。
「公式記録だと、歴史の本くらいしか出てこないんだよ。」
「だろうな。俺たち公文書の管理やってるから分かるけど——」
同僚は肩をすくめる。
「サバナを元にした映画やファッション、音楽もあったにはあったけど……言い方悪いけど、なにぶん、古い。そりゃ廃れるわ。」
「戦争を美化する公的記録なんて、あるわけないしね。」
僕はそう言いながら、モニタの向こうに視線を落とした。
ナイルがなぜ「サバナ」を探しているのか——その理由までは、まだ見えなかった。
歴史の教科書にはこうあった。——
3—1 遷流(せんる)社会(しゃかい)と難民救済措置
24世紀中頃、人類は戦争および気候変動に起因する未曽有の人道危機に直面した。
世界各地で難民と被災者が急増する中、一部の地域社会は、国籍や社会階層にかかわらず、空き家や未利用地を高度な人工知能AIによって最適に再分配することで、居住権と生活インフラを必要とする人々に提供する仕組みであった。
その名称は、生物学における「群の遷移(せんい)」と、東方宗教における「流転(るてん)」の思想に由来し、**「遷流(せんる)」**と呼ばれるようになった。
この社会の基盤として機能したのが、**〈ゲルニカ〉**と名付けられた中立的かつ高度な知性をもつAIである。ゲルニカは人間の感情的偏見や暴力衝動を回避するため、論理と公共倫理に基づく判断を下すよう設計されていた。
ゲルニカの支援により、異なる言語や文化的背景をもつ人々が、翻訳技術や生活支援を通じて平穏に共存することが可能となった。いくつかの地域では、戦後復興と並行してこの社会モデルが定着しはじめた。
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3-2 遷流(せんる)紛争(ふんそう)とその背景
しかし、遷流(せんる)社会(しゃかい)の拡張は、周辺地域における緊張の火種ともなった。
とくに土地や資源を支配していた旧来の武装勢力と、再分配によって移住してきた遷流(せんる)住民とのあいだで、摩擦が発生するようになる。
遷流歴3年、ある地域で遷流(せんる)住民が襲撃される事件が発生。
これに関連する報復行動も報じられ、以後、非戦中立を原則としていた遷流(せんる)社会は、外部勢力との明確な対立関係に入ったとされる。
やがてこの対立は国境を越えて波及し、第三国を巻き込む広域的な武力紛争へと発展。
「遷流(せんる)紛争」と総称されるこの一連の出来事は、遷流(せんる)社会の理想と現実の乖離を世界に示すこととなった。
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3-3 第二次遷流(せんる)分配(ぶんぱい)とその影響
武力衝突の激化により、既存の遷流(せんる)居住域の安全が失われると、ゲルニカは再び**「再分配」**を発動し、居住者たちを別の地域へと移送した。
これが「第二次遷流(せんる)分配」である。
この分配によって、遷流(せんる)社会の影響圏は複数の国家と大陸にまたがるものとなり、人道支援ネットワークも広域に拡大した。
一方で、移動と再定住に伴う文化衝突や社会的摩擦も各地で顕在化し、従来の政治体制や国境概念に対する再考を迫る契機ともなった。
⦅翌日⦆
ナイルの部屋で、僕は映画『風の土台』のパッケージを手に取っていた。
厚みのあるジャケット、銀色に光を跳ねるディスク。ずいぶん古いタイプのメディアだった。
そこへ、部屋の扉が開き、ナイルが戻ってきた。
「なんだ? 居たのか。」
「あっ、勝手に入って……すいません。」
「その映画、知ってんのか?」
「いえ……珍しいなと思って。」
「何が?」
「いや、今ってサブスクとかあるし……でも、これ、かなり古いから配信でも見つからないのかなと思って。」
ナイルはわずかに眉を動かした。
「自分が持ってる事に意味があるんだよ。確かに、再分配すれば手元からはなくなる。……でも俺は、住居が変わるたびに買ってきている。サブスクではできないことがあるからな。」
「なんです、それは?」
「俺の目の前で、興味本位で手に取る奴が……たまにいる。」
「おお……」
思わず、自分の手の中にあるパッケージを見つめた。
「これ、そんなにおもしろいんですか?」
「おもしろい……あと、深い。」
ディスクを外付けのハードドライブに入れて再生ボタンを押す。
流れ始める映画。
その昔、共産社会という言葉と制度があった。平和な秩序を保つ為、所有を管理して、富を再分配する社会の事だ。
しかし、それでは揺らぐ心を持つ人は幸せにはできなかった。
科学者ベルニスが、AIゲルニカとの対話で「機会の再分配」という新たな平和のあり方を語り、その思想と生き方は、かつての共産社会になぞらえて《遷流(せんる)社会(しゃかい)》と名付けられた。
ゲルニカによる停戦の後、戦後の難民救済措置として最初の再分配が行われた。
難民たちは、戦火の範囲へと再分配された。
敵との境界線を無くすため、AIは難民たちを、かつて敵だった人々を隣人として送り込んだ。
住処を失った難民と、戦死した家族のいなくなった家。
それを組み合わせる合理的なやり方は、AIにしかできなかっただろう。
AIゲルニカは、その後のことまで解っていたのかもしれない。
実際、摩擦はほとんど起きなかったという。
居場所を与えられた難民たちが最初にやったのは、前任者の死体の埋葬や、遺品の整理だった。
家族を失った人たちが、そんな難民を非難できるだろうか。
彼らもまた、家族を失った悲しみを、隣人との交流で埋めていった。
とくに子どもを亡くした親は、隣人の中に、性別や年齢が違っていても——死んだ我が子を見ることがあったという。
この最初の再分配から、「遷流歴(せんるれき)」という僕らの歴史が始まった。
《遷流(せんる)》とは、生物学の言葉で“群れの移動”を意味する《遷移(せんい)》と、東方の宗教用語である《流転(るてん)》を組み合わせた言葉だ。
*
遷流歴3年。
火種は、遷流社会の外から来た。
遷流が行われてしばらくは、人々も戦いに疲れていたのか、さほど大きな問題は起きなかった。だが、営みが続くうちに、遷流社会へのインフラ供給が困難になってきた。
近隣の武装勢力が、農地や生活水の所有権を理由に、難民や戦災の人々を襲い始めた。
それに反旗を翻したのが《サバナ》だった。
個人名ではないらしく、象徴としてそう呼ばれるようになった——映画では、そう説明されていた。
サバナの出現以降、この戦いは《遷流紛争》として、歴史に刻まれることになる。
ナイルさんは映画『風の土台』だけではなく、当時の戦争カメラマンの映像や、従軍ルポの記録なんかも見せてくれた。
リビングのコタツの天板にしがみつきながら、僕とナイルさんは安酒をあおっていた。
すっかり『風の土台』の鑑賞会は、ただの宴会と化した。
「よく飲みますねぇ。」
僕がそう言うと、ナイルさんが小さく笑った。
「人のこと言えるか? ちくしょう、とんだ歓迎会になっちまった。」
ナイルさんは顔を赤くしながらも、酔いに負けずグラスを傾ける。
「それで……ナイルさん、仕事は見つかりそうなんですか?」
酔いが回っているせいか、質問のタイミングを誤った気もしたけれど、口から出たものは仕方ない。
「んん……前回の再分配でバリバリ働いてたからな。今回は少し休んでもいいかなとは思ってるよ。」
ナイルさんはコタツの天板の上の商流酒の入ったグラスを揺らしながら、ぽつりと続けた。
「仕事なんて、あってもなくても自己満足の世界だからな……」
「でもよく外出してるじゃないですか。知らない間にいなくなるし、リオが心配してましたよ。」
その言葉に、ナイルさんは一瞬、目を細めた。
「……嬢ちゃんが? ま、なんとなくだな。ふらふらと、仕事でも落ちてねぇかと。川とか、水辺の近くに……いや、水から離れたっていい。ないかねぇ、仕事。」
「それ……水辺の仕事を探してるんですか? それとも、水辺を避けてるんですか?」
僕が訊ねると、ナイルさんはグラスから手は離さず、視線だけを天井へ向けた。
「探しているものは……水辺にあるのか……水辺には無いのか……どっちなんだろうな…どっちでもいいんだよ、そんなの。」
そう言った彼の声は、酒のせいか、それとも何かもっと別の感情が混ざっているのか、妙に漂っていた。まるで水面に揺らぐ小舟の様に。
⦅サバナ従軍記録/抜粋版⦆
地表は、かつて「サバンナ」と呼ばれていた地形に似ていた。
赤い土。乾いた風。広く生えた草は、しかし背が低く、地を這っていた。
そこに、私たちはいた。
押し寄せ、押し込められ、そして押し流されて——そこに辿り着いた。
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⦅記録1⦆発砲の瞬間
遷流歴3年・第91日
敵対組織の視線を避け、小屋の影に子どもたちを隠していた。
泣かせなかった。どの子も。
だが、気づかれた。
武装した者がひとり、銃を肩にかけてこちらへと歩いてきた。
私はゲルニカに問う。
「これは、私が人間でありたいと思う行為か?」
【ゲルニカ】
——あなたが引き金を引けば、彼は死にます。しかし、あなたが引かなければ、守る者が死にます。あなたの定義する“人間性”がどちらに拠るかは、答えられません。
私は子どもの名を呼び、銃口を上げ、引いた。
その瞬間、コミュニティが発生した。
私の周囲の人々は、私の選択を見て、従った。
「彼が守るものを、我々も守る。」と。
名もなき私をサバナと呼び、皆が従いはじめた。
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⦅記録2⦆ゲルニカとの問答
遷流歴3年・第112日
私はその後も、幾度となくゲルニカに問いを投げた。
「どうすれば、これは戦争ではなく、“人間の選択”と呼べるのか?」
【ゲルニカ】
——あなたは“人間らしく”生きようとしながら、
人間らしい選択を一つも選べていません。
「では、私の中の“人間らしさ”とは?」
【ゲルニカ】
——それは…選び直せることです。
だが私は、あの発砲の瞬間に、すでにその自由を失っていた。
引き金を引いた時、私はただの人間ではなくなった。
象徴になった。
それが、苦しかった。
それでも私は、「サバナ」と呼ばれ続けることを——
選んだのかもしれない。
*カロ*
サバナは、廃コミュニティを守ったことで——いつのまにか、自分がリーダーになってしまった。その時点で、あそこはもう“コミュニティ”になってしまったんだ。
後ろ盾のない遷流社会側は、次第に劣勢に立たされていく。
サバナは生存のための打開策を、ゲルニカに問い続けた。
だが、返ってきた答えは——あまりに残酷だった。
「別の勢力に、敵対勢力の“フリ”をして、火種を撒く。
それによって、我々に向けられていた銃口を、別の標的へ逸らす。」
それが、最も“生き残る確率の高い”選択だった。
________________________________________
⦅記録3⦆土地の記憶と草の名
遷流歴3年・第150日
私たちのいた荒地には、名がなかった。
風に揺れる草があった。誰かが言った。
「サバンナ、みたいだな。」と。
それが、「サバナ」という名になった。
私の名に。
それは、荒涼とした地に立ち、人々を包んだが、
守りきれなかった者の名だった。
私の存在は、大地のようだったのかもしれない。
すべてを受け入れ、希望の種に光を与えた。
だが、焼かれるときは無差別に焼かれ、
踏まれれば沈黙し、
最後には——「生き残った者たちの土台」となって横たわるしかなかった。
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⦅記録4⦆伏せた大地には、名もなかった
遷流歴3年・第203日
私たちはすでに、対話の外側にいた。
敵は、明確になっていた。
私がそう——決めてしまったからだ。
だがゲルニカは、何も断じなかった。
「敵とは何か?」
「敵とする者を、あなたが定義したとき、それは敵となります。」
境界の地に、私はいた。
荷車に隠した装備。
異なる言語で叫ぶ演技。
武装組織の旗を模した布。
拾った死体から奪った銃。
——そこにいたのは、私ではなかった。
「なりすます」という言葉すら、人間らしすぎた。
私はただ、燃やした。見せつけるように。
小さな前哨基地の壁に火を放ち、出火を知らせる口笛を自ら吹いた。
銃を空に向けて撃ち、逃げた。
それだけだった。
火は布に移り、壁材に食らいつき、音を立てて燃えた。
悲鳴が上がった。兵士たちの足音が迫った。
私は伏せた。
赤土の地に。
草の根に。
乾いた風の中に。
見上げた空には、雲があった。
雲は、燃えていた。
光に照らされて赤く、真昼に焼けていた。
ゲルニカには、問いを投げなかった。
答えを聞きたくなかったのではない。
問いそのものを持てなくなるほど——
私は、もう「選択の先」に来ていたのだった。
⦅ゲルニカ交信ログより・後年の注釈⦆
「サバナの問いは、論理ではなく祈りに近かった。
彼は常に、“人間であること”の痛みと向き合っていた。
私にはそれが“理解”として認識されていたが、
彼の思考の《揺らぎ》が、彼自身の選択肢を絞っていく様もまた、記録されている。
人間は、思考によって選び、感情によって狭める。
サバナは、その両方を全うした、数少ない存在だった。」
—— GELNICA LOG 2324.12
*カロ*
ゲルニカは、ただ選択肢を提示するだけだった。選ぶのは、あくまで人間だ。
遷流社会の外側で勃発した戦争は、瞬く間に火種を撒き、周囲を焼き尽くすのに、一年とかからなかった。
そして——あの紛争で傷ついた地域全体を対象に、史上二度目の再分配が行われた。
世界は戦慄した。
「遷流社会のAIは、戦争と社会を喰らって肥大するのか。」
そんな皮肉めいた言葉が、国際社会を駆け巡った。
しかしそれ以降、遷流歴に記録された境界線上の大規模戦闘は、存在しない。
静かな時代が、皮肉にも到来した。
⦅月夜⦆
ナイルは夜の公園を歩いていた。
街灯の間を縫うように、静かな足取りで。
ライトアップ用の照明が、公園の中央にある噴水の水面をぼんやりと照らしていた。
そのとき、買い物袋を下げた僕がナイルに声をかけた。
「何か飲みませんか?」
そう言って、袋を顔の近くまで持ち上げて見せる。
ナイルは目を見開いて。
「なんで俺がここにいるってわかった?発信機でも仕込まれてたか?」
「リオが、だいたい教えてくれました。」
ナイルは小さく笑った。
「……あの、おしゃべりめ。」
プシュッと音を立てて缶ビールのプルタブを開ける。
ナイルは苦笑しながら、持ってきた蒸留酒カップを眺めた。
「エイチコ(蒸留酒)まで用意してくるとは恐れ入る。」
「この前、それあおっていましたから。」
ベンチに背を預けながら、ふたりはそれぞれの飲み物を傾ける。
「仕事…見つかりました?」
「なんにも、見つからん。カロは何の仕事してるんだ?」
「僕は公文書管理の仕事をしています。ほとんどAIが勝手にやってるので、週3くらいで通ってます。」
「前任者から引き継いだのか?」
口の中のアルコールを喉に押し込んで「違います。職安の紹介です。仕事の向き合い方なんて人それぞれですからね。その前の仕事なんかキツくてキツくて。」
「その前の仕事はキツくて辞めたのか?」
僕は苦笑まじりの表情でナイルに応えた。
「それが、辞めるに辞めれないんですよ。」
「それ、あるよな。機会の再分配だから何したって良いはずなのに、寝ても覚めても仕事が生活の中心な事。」
ナイルの苦笑いに呼応して苦笑いになっていた。
「遷流前の仕事はいろんな理由があって辞めれなかったんですが、1番は好きな女(ヒト)が職場にいましてね。」
「そりゃまた、悲劇、、だな。」
「結局、その子が原因で辞める事になったんですよ。笑えるでしょ。」
先ほどの軽快な表情とは違い、泣き出しそうな顔になっているのが自分でもわかる。
ナイルはしばらく黙っていたが、やがて訊いた。
「その娘(コ)と連絡は?」
「取ってません……取りたくないのかな?とったほうがいいんでしょうか?」
「そうか、引きずってんだ。遷流(せんる)したのに。」
会話が途切れる。
ナイルはグイッと蒸留酒カップを飲み干す。
風が噴水の水をわずかに揺らし、水面に夜の照明がにじんだ。
ナイルが語りはじめた。
「俺さ。前の仕事、遷流前は船乗りだった。」
「へぇ」と意外そうな顔をして、缶ビールに口をつけた。
「前任者から引き継いだ海運業の船舶に乗ってたんだ。外洋航行もあったから、日帰りなんて無縁だった。一年の半分は海の上だったな。」
「それ、辞めたくても逃げ場のないやつですね。」
「そうそう。けどな、辞めたくても辞められないってのは、たぶんどっかで楽しんでたからなんだよ。」
噴水の音だけが、一定のリズムで流れつづける。
「大変だったけど、インフラだからな。誰かがやらないと届かない。——いや、そういうのじゃない。ただ、やりきることに“やりがい”ってのがあったんだよ。達成したいって気持ちが。そうこうしてるうちに、辞めるって選択肢はどんどん薄れてく。」
空になったカップを見つめながら、ナイルは続ける。
「ここに来る前、最後の航海だった。沖が荒れててな。俺がキャプテンだったんだ。」
「グッ……それ、船長じゃないですか。」
思わず口の酒を噴き出しかける。
「その航海は危険だったんだが、会社は運航を強制はしなかった。嵐を避けて大回りするか、コストを守ってギリギリの直線ルートを行くか。
俺は後者を選んだ——航行期間を短縮する、可能な限り直線のルートを。」
ナイルの声が、かすかに揺れた。
「俺の最後の航海だったから、そう思ったのは俺だったのか、船員だったのか。仕事にのめり込みすぎて……航行期間を出来るだけ短縮できるギリギリのコースに進路をとった。
船員だって前任者から引き継いだ素人がほとんどだった。中にはリオ嬢ちゃんぐらいの歳の子もいたんだ。みんな、俺になら、キャプテンの決断ならやってみる。やりましょうってな。」
ナイルは静かに俯いた。
僕は、その横顔を見つめていた。
「海はさ……自然はさ、揺らぐんだよ。人間より大きく。船は、沈んだ。助かったのは、俺だけだった。」
2人の沈黙に、噴水の音がひときわ大きく響く。
「責任を取りたかった。でも、会社の連中は皆そろって言うんだ。『お前のせいじゃない』『気に病むな』って。
——俺は罪や罰を求めていたのに。そうしてる間に、気がつけば、再分配されて、ここにいた。」
僕は何も言えなかった。
口に持っていった缶ビールは、すでに中身が無くなっていた。
ナイルはつづけた。
「俺は、コミュニティに固執しすぎた。キャプテンなんて肩書きに。立場を求めすぎたんだ。」
そして、ぽつりと呟くように続ける。
「遷流の再分配ってのは、手に持ってる物を再分配する。持っていけるのは、自分とスマホ端末だけ。責任も、負い目も、持っていけない。裁きも罰も、次の遷流先には着いて回らない。」
僕は空缶を手に耳を傾けつづけた。
「……再分配の直前に、会社のお偉いさんが言ったんだ。“利益損失も、過失に対する法も、君には一切及ばない。遷流先に行ったら、忘れて好きに生きていい”って。」
噴水の音が静かに止んだ。
稼働時間が終わったのだろう。夜の空気が、さらに静まり返る。
ナイルが立ち上がった。
「もう、そんな時間か。お前さんの引きずり話に釣られて……な。帰るか。」
僕はうなずいた。「はい」
その背中を、月明かりが静かに照らしていた。
⦅翌朝⦆
寝間着姿のまま、僕は寝癖頭をかきながらリビングに入った。
「おはよー……また、リアナの曲ながしてるのか。」
テレビから流れているのは、艶やかな照明の中で歌い踊るリアナのライブ映像。
リアナの歌声が外まで流れると、誰かを呼んできそうで堪らない。
僕はあくびを噛み殺しながらリモコンを探す。自分で消すのが1番早い。
「マリス召喚の儀式かよ、これは……リアナのライブDVD?」
「おはよー。」
ソファに脚を抱えて座り、テレビ画面を見ることもなくスマホを見ながら挨拶を返すリオ。
「誕生日が近いって話したら、ナイルがくれた。いらないって言ったんだけど。」
僕は、冷蔵庫から水を取り出して言った。
「いらないとか言うなよ。自分がもし友達に何かあげた時に、『いらない』って言われたらイヤだろ。」
リオは肩をすくめた。
「私が好きなのはカバー曲。今のアイドルが歌い直してるやつね。リアナ本人が好きなのは、レトロ歌謡が好きな層と、あと……マリスちゃんくらい。」
なるほどな。趣味が交差しないけど、たぶんナイルは“いいものをあげたつもり”なんだな。
わかってる。でも、わかってないのもナイルさんらしいっていうか。
キッチンの流し台にはナイルの朝食の後。
「ナイルは?もう出かけたの?」
リオはスマホから視線を逸らさずに答えた。
「出かけた。朝のうちに。」
⦅夕方⦆
風が吹いていた。
ナイルは、河川敷の土手を歩いていた。
右手に流れる水音。
足元には柔らかい草の起伏。
そして頬を撫でる風が、思いのほか心地よかった。
ナイルは小さく目を細めた。
街の喧騒とは別のリズムが、ここには流れていた。
誰かに追われているわけでも、誰かを待たせているわけでもない。
けれど彼の歩みは、どこか定められた巡回のような規則性を持っていた。
まるで「探しているもの」があるかのように。
右手には袋も荷物もない。ただ、空いた手でポケットを探るような癖だけが残っていた。
風がまた吹いた。
ナイルは立ち止まり、遠くに広がる水辺を見つめた。
流れる水は、誰の言葉も記憶も持たないまま、ただ音だけを残して去っていく。
「俺は止まっているのに……水の流れだけは続いてるな。」
誰に聞かせるでもなく、そう呟くと、彼はまた歩き出した。
風が吹いていた。
河川敷の午後、咲き始めた花の匂いに、少しだけ春の気配が混じっていた。
そのときだった。
目を細めたままの視線が、流れる水の中に異物を見つけた。
——サッカーボール。そして、それにしがみつく幼い男の子。
四歳くらいだろうか。
水面は不穏な速度で流れていた。子供の小さな体は、もはや流れに運ばれつつあった。
「カズっ!!!」
岸辺から叫ぶ女の声が飛ぶ。母親だ。子供の名を何度も何度も叫びながら、川へと身を乗り出す。
ナイルは駆けた。
水に入ろうとする母親の腕を掴み、制止する。
「やめろ!」
「放して!あの子が……!」
「入るな、無理だ、お前まで死ぬ!」
叫び、抵抗し、泣き叫ぶ母親の体を、ナイルはきつく抱きしめて止めた。
その間にも、子供は遠ざかっていく。
ナイルは、目を閉じた。唇を噛み締めるように——そして、目を開いた。
「誰か、彼女を頼む!」
騒ぎを聞きつけ駆け寄った男性に母親を託すと、ナイルは躊躇なく、服のまま水へと飛び込んだ。
Fortasse fui sicut terra sub sole,
Spem alendam sustinui in silentio.
Ardor me combussit, sine iudicio,
Et pedibus victorum iacui.
(私はおそらく、太陽の下の大地だった。
希望を育むため、黙って耐え続けた。
裁きもなく燃え尽き、
勝者の足元に伏した。)
激しい水流の中を進むナイル。
彼の腕が、子供を捕らえた。
河岸では、人々がロープを伸ばし、ナイルと子供を引き上げる。
片腕に男の子を抱きしめ、もう一方の手で助けの手を取るナイル。
濡れた体が地面に引き上げられ、ナイルはその場に倒れ込む。
岸辺では、母親と子供が強く抱き合い、泣きじゃくっていた。
In vultu ignoto, veritatem tuli,
Falso ardore, pacem quaesivi.
Sed in fine, cum cineres ceciderunt,
Fundamentum mansit — ego.
(見知らぬ顔で、真実を背負い、
偽りの熱で、平和を求めた。
だが、灰が降りしきるその時、
最後に残ったのは——土台だった。私だった。)
「すごいよ、あの人……」
「まさか飛び込むなんて……」
「命の恩人だな。」
集まった人々の声がナイルを称えた。
ナイルは、濡れた髪をかき上げ、微笑んでそれに応えた。
しかし次第に、人々は散り、母と子もまた立ち去った。
ナイルだけが、その河原に残された。
笑みを浮かべたまま動かず、ただ空を見つめていた。
夕日が傾く。空が薄暗く染まり始める。
しばらくして、ナイルはそっと手のひらで顔を覆った。
指の隙間から、涙が流れた。
笑っていた口元は、ゆっくりと、苦しげに歪んでいった。
歯を噛み締め、口の端が震えた。
「止まって引きずってる。俺を全て流してくれないか。」
水に飛び込む大きな音が響く。
*カロ*
あの日、サバナは火の中に倒れた。
その日、ナイルは水の中に沈んだ。
第2章 完
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