第6話 コウノトリ
「お前、ほんまにどうしたんよ?」
驚くのも無理はない。どう考えても、状況的に意味不明である。
俺に好奇の目線がありえないほど降りかかっている。
いや、俺というより、この鞄の中にすっぽりおさまって、大人しく顔だけ出している神威のほうか。
なぜ、学校にわざわざ神威を連れてきたのか。これはもう、ふかーい事情があるのだ。
場面を、今日の朝に戻す。
――目覚めると、なんだか心の中心が温かった。
不思議に思って、顎下を見ると、小さな神威がいる。ああ、そうか。俺はあのまま寝てしまっていたのか。
すうすうと寝息をたてる神威を、俺はじっと見ている。
本当に、見れば見るほど変わった生物だ。耳や尻尾からはウサギのようにも見えるし、切長だが、開くとぱっちりした瞳は猫のよう。
不思議だ。神威の、その身に合わない名前と話し方も。
ぼーっと考えていると、少しずつ二度寝の悪魔が俺の目を閉じようと魔法をかける。
俺は抵抗空く、その怠惰に浸かって――。
「起きなさーーーーーーーーーーーーーーーい!!!!」
耳がちぎれるくらい巨大な声量。姉貴のものだとすぐに理解して、体を体感3mくらい飛ばす。
「…………おはようございます」
「うん、おはよう!2人とも!」
エプロン姿にフライパン。お母さんのような姉貴は、昨晩の悲壮的な顔が嘘かのように、晴れた朝に相応しい、キラキラの笑顔を見せた。
*
今日の朝食係は、姉貴だ。毎日ローテションで変わる飯担当は、かれこれ5年くらい続けていることだ。
言ってしまえば、我が家の唯一と言っていい「ルール」だろう。
「此れは一体なんだ?」
「ん、ああ。これはフレンチトーストっていう料理」
「ふむ………………甘いな」
こいつなりの精一杯の大きく開けた口に、俺の一口の4分の1くらいのトーストを放り込む。そしてもぐもぐもぐもぐ。
「あれ、神威ちゃん。甘いのは苦手だった?」
眉毛を困ったように下げる姉貴。
「なに、寧ろ好物である」
そう言うと嬉しそうに耳を動かしながら笑う。
不意の笑顔に、姉貴は矢で貫かれたように、胸を押さえている。
「神威。今日お前は、姉貴と留守番な」
一応早めに言っておこうと、俺はコーヒーを飲みながら言った。
「え?私今日、日勤だけど?」
「え?」
「「え???」」
ハモった疑問の声は、要するに今の状況に対するものだったのかもしれない。
そう、留守にするわけにはいかない。また命を狙われてしまえば、家に俺か姉貴がいない以上守れない。
じゃあ、選択肢なんて一つしかない。
神威を学校に連れて行く。それだけだった。
「あの、獣嫌いで有名なレオが獣飼っとるなんて……」
「飼ってねえ、拾って捨てれずにいるだけだ」
「それ、もう飼ってるんとなにがちゃうんよ」
呆れたように男は言う。俺の周りには他に、クラスと喋ったこともない女子たちが蠢くように、神威を見ている。
「神威、大丈夫か」
「うむ、特に問題はない」
「待って?レオお前、こんなキュートな子に、そんなエグ渋い名前つけとんの?」
「いや、俺名付けてねえ」
興味津々のクラスメイトたち。このままでは授業どころではない気がした。
俺は、ひょいと神威の入った鞄を肩にかけ、教室を後にする。
「ちょ、レオ!? もう授業始まんで!」
「おー、保健室行ってるって言っといて」
頼むわ、と言い残し、さっさと俺は歩き続ける。
「ちょっと待ちな」
ガシリと肩を掴まれる。重厚感のある女性の声。そして妙に力強すぎるオーラも。
「あーーーー、
「残念ながらな、レオ。それと同時に移動教室でもないし、ここはペットショップでもねえんだな」
俺は、雷のような速さで、その力強すぎる手から抜け出し、廊下を滑り込むように走る。
「逃がすわけ…………チッ……」
手を伸ばし、お得意の能力を使おうとするも、不発。
それもそのはず、なんたって俺にあんたは触れてんだからさ。ちょっと得意げに鼻を鳴らすと、神威がおずおずと聞いてきた。
「良いのか?」
神威は分からないなりに、何か俺が間違ったことをしていると知っているんだろう。
「いーんだよ、次の授業古典で100
俺は、そこらへんの窓ガラスからひょいと身を投げて、石造りの屋根に着地。ここは恐らく資料室か、なんかだろう。
「ぬし、そんなに動けたのか」
「らしいなぁ」
まあ、俺の運動神経でも、スキルでもねえけど。
ひょい、ひょいと屋根伝いに、ある場所。あの空き小屋に向かっている。
「うーわ、やっぱりこのままだよなぁー」
分かってはいたものの、崩れたままの屋根を見て、俺は頭を抱えた。
「申し訳ない。我の所為だ……」
「そーだな。でも、どうしよーもねーからとりあえず……」
俺は、崩れた屋根の下敷きになっているマッサージチェアを引き摺り出す。
「よっし、良かった。これだけありゃ十分だ」
俺は、置き直したチェアに深く座り、溜息をつく。
すると、神威は鞄から飛び出して、俺の膝の上に乗っかった。
「なんのつもりだ?」
「む……やはり、ここが一番心地よい」
神威はそう言いながらちょこんと座る。
「はあ…………まあいいか…………」
俺は、壊れた屋根から流れ込んでくる日差しに体を包まれ、少しずつ意識が遠のいて行く。
結局、帰ってきたのは深夜で、余り寝れていないし、眠たくなるのは当然である。
「……レオよ。聞いても良いか」
「んだよ、今眠いんだ」
「すまぬ。が、聞きたいのだ。ぬしが、獣を嫌うようになった理由を」
そんな言葉を、真面目なトーンで言われてものだから、少し目が覚めた。
「理由、ねえ。特にねえなあ」
「そうなのか」
「まーな、なんとなく、気に食わねえってだけ。基本臭いし、倫理は通用しない奴も多いし、同じ人間としては扱えねえって」
「…………」
俺は、ぼーっと空を見る。
「そんなもんなんじゃねーの?人間なんてさ、気まぐれなんだから」
またうとうとする頭で、俺は神威に言葉を放つ。
「今だけでも、気まぐれで、1人の獣を家族だって思ったって、いいじゃねーか…………」
俺は、そう言いながら、眠りの世界に落ちて行く。
「ああ、ありがとう」そう、誰かの声が聞こえた気がした。
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