第5話 夢を見ず

 軽いビニール袋を手に、ゆっくりと部屋に入る。


 「どこ行ってたの?」


 背後から突然そう呼びかけられて、ビクッとしながら応対する。


 「あー、コンビニがてら散歩をちょっとね」


 分かりやすくがさがさとアイスの入った袋を上にあげると、姉貴は何も言わずに俺の服の裾を引っ張った。


 「レオくん、じゃあなんでこんなに焦げ臭くて、ジャージもボロボロなの?」


 「それは……」


 何も言えずに俺は拳を作る。


 「さっきも、龍みたいな鳴き声に、爆発音も鳴ってたし。スオウじゃ珍しくないにしても、心配だよ」


 姉貴は裾を強く掴んだまま離さない。


 「ねえ、レオくん。……いなくならないよね?」


 「どこにもいかねえって。あのクソジジイとは違うんだ、二人で生きていくって約束したじゃん」


 姉貴の手は震えている。


 「レオくんが何を抱えてるのか、あの人から逃げた私には、なんにもわからない。でもね、唯一の家族なんだから、心配もするんだよ?」


 「…………ああ」


 「心配かけさせないでって、言うんじゃなくてね?無事でいて、それだけ私は望んでるんだよ」


 「………………わかってるよ、姉貴」


 俺は姉貴の手が離れる感触が伝わって、すぐに足を進めた。


 「とりあえず、風呂入ってくる。姉貴、また明日」


 ひらひらと後ろ向きで手を振る。


 「うん……また、明日……」


 小さな声が、徐々に遠ざかって聞こえる。


 *


 風呂から上がって部屋に入ると、いつもとは違って布団が盛り上がっている。


 それを見て、ああそういえば獣を寝かせているんだったと思い出した。


 そっと近づくも、床のきしむ音が鳴ってしまった。


 「んむ………………レオか?」


 「ああ、わりいな。起こしちまったか」


 「なに、気にするな…………ここはもとよりレオの家であろう…………」


 そう言われて、確かに。なんで俺はこんな獣に申し訳ないと思っていたんだろうと気づいた。


 「それにしても……寒いな…………」


 「まあ、まだ春だし。お前服着てないし、夜は冷えるだろ」


 そういえば、こいつは服を着ていない。獣の中には性別がなく、服も着ない。無性獣とやらがいると授業で習ったが、こいつはその一種なのだろうか。


 体を小さく丸めて神威はまた、呟いた。


 「寒い……」


 俺はでかめの舌打ちをした後、何秒かの悩みを経て、ベッドの中に入った。


 「む…………、いいのか、レオ」


 「あァ? 何が」


 「いや、おぬしは、我を嫌っておると思ってな」


 不意に、目の前で丸まっている獣にそう言われて動揺する。図星、だったのかもしれない。


 「なんで……」


 「そうさな。我は昔から、そういう目には慣れておったからな」


 「……」


 そう言いながら語り始める神威。


 「未だに獣、という生き物は差別されるもの。どこにおっても稀有な視線か、嫌悪の眼差しをくらう。そんなことは分かっておっても、やはり少しは気になるものだ」


 「俺の、視線もそうだったってか?」


 「うむ。初めにあった時、確かにそう感じた。が」


 一言置いて、神威は真っすぐ俺を見つめながら、その小さな口をもう一度動かした。


 「今は、なぜだか感じぬ」


 俺は、心の底が浮つくみたいな、何とも言えない気持ち悪さを感じた。


 まるで、本能で、俺自身を否定しているような……。


 「…………………………………………そうかよ」


 言葉はそれ以上出なかった。


 俺は、目の前の、今すぎにでも壊れてしまいそうな小さな命を、自分の胸に抱きよせて、目を瞑った。

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