第2話 拳ひとつ分の距離 〔琴香〕
去年の5月半ば。鷹見さんが入社してきてすぐのことだ。鈴音と二人でランチに行ったとき、鷹見さんのことが話題に上った。
「そういえば、新しくうちに来てくれた鷹見さんね、今日、すごくかっこよかったのよ」
弾むような声だった。
彼女がここまで嬉しそうに同じ部署の人間について話すなんて、そうあることではない。
「かっこよかった?」
鷹見さんのことは、入社式で見かけたきりだった。その時は、なんだかミステリアスな感じと言うか、物静かな印象を受けたから、「かっこよかった」という鈴音の評は、けっこう意外だった。
「ええ。午前中の編集部の会議でね、新しい書籍の装丁についての議論があったのだけれど。その中で、
「え、何? なんて言ったの?」
というか、そもそも辻さんのその投げかけ方、何? ナンセンス過ぎない? と思ったことは、言わないでおいた。
「彼女ね、辻さんに向かって、堂々と、こう言ったの。『私は女性代表ではありませんので、そういう意見は言えません。私個人の意見であれば言えます』って。はっきりと」
「ははっ、そりゃあ、小気味いいね」
思わず吹き出してしまう。なかなか言うなぁ、鷹見さん。
「そうなの。そんなふうにはっきり言える鷹見さん、すごいなって思ったわ。しかも、その後話してくれた“個人としての意見”も、すごく的確だったし。辻さんには、ちょっと気の毒だったけれど」
ふふ、と鈴音もいたずらっぽく笑う。
「女性としての意見、聞かせてくれる?」という投げかけは、二つの意味でナンセンスだと思う。
一つは、女性を十把一絡げに扱っているところ。この投げかけをする人は、きっと「女性であればこう考える」といった類の答えがほしいのだろうけれど、たいていの場合、そんなものはない。女性も男性と同じように、人によって考え方は全然違うものだから。
もう一つは、どういった属性を持つものとして意見をするかを、勝手に定めてきているところ。「女性」というのは、一個人の属性の一つに過ぎない。逆に言えば、それ以外にも多様な属性を併せ持つ、その人個人としての意見には、聞く価値がないと言っているみたいにも聞こえてしまう。
わたしも、周囲が男性ばかりの会議なんかで、似たような投げかけを時々受けることがある。きっと、鈴音もそうなのだろう。だからこそ、鷹見さんの振る舞いに溜飲が下がる思いがしたんだと思う。わたしや鈴音は、そういう時、なんとなく話を合わせて、個人としての意見を我慢してしまうタイプだから。
そこを鷹見さんは入社早々、けっこうな先輩社員相手に、ちゃんと線引きしたのだ。「辻さん、それはイケてないです」って。はっきりと。
うん、確かに、かっこいいな。すごく。
でも、少し心配にもなった。社内にはいろんな人がいるから。
そうやってはっきりモノを言う人を、好ましく思うタイプもいれば、疎ましく思うタイプもいる。嫉妬して、足を引っ張ってくるタイプもいる。
だから……
「鷹見さんのそういうかっこいいとこ、大事にしてあげたいね」
わたしが言わんとしたことを受け取ったのだろう、鈴音は、神妙な顔をしてうなずいた。
「そうね。彼女が安心して仕事できるように、力になってあげたいと思うわ」
その日から、わたしは鷹見紗奈という人間に、興味を持つようになった。
「あ、
おおた水族館の入り口で彼女に声をかけられた時、はじめ、わたしはその人のことを鷹見紗奈だと認識できなかった。
「……? 鷹見…さん?」
ゆるくウェーブのかかった黒髪ロングヘアのその女性は、よく見ると確かに、鷹見さんだった。
髪を下ろしているの、初めて見た。なんだか会社にいる時と、雰囲気が全然違う。あと、いい匂いがする。
「……びっくりしたぁ。鷹見さん、髪型も服装もいつもと全然違うから、分かんなかった」
もともと鷹見さんって、見た目にちゃんと気を遣っている印象があったけれど。
私服だとオフィス仕様のリミッターが解除されるのか、普段のさらに5倍増しくらいで綺麗な気がした。
「……それ、喜んでいいやつですか?」
「え?」
鷹見さんは、わたしを見上げて、こちらの表情を伺っている。どこか、警戒気味の猫を思わせる視線だった。
もちろん、喜んでいいやつ……に、決まってるけれど……
でも、そうか。確かに。「いつもと全然違う」だけだと、良いと思っているかそうでないかは、はっきりとは分からない。いつもはイマイチだけど今日は綺麗だ、とか、今日はいつもより魅力がない、なんて意味だったとしたら、彼女としては喜ぶわけにもいかないのだろう。
……なんだろ。この警戒心の強さ、かわいいな。勘違いで喜んでなんてやらないぞ、っていう、その感じ。
「そうだね、喜んでもらえたら嬉しい、かな。いつも綺麗だけど、今日はもっと綺麗だって意味だから」
思ったことをそのまま伝えただけなのだけれど、なんだか言いながら気恥ずかしくなってきて、つい、視線を泳がせてしまう。
ちらっと鷹見さんの方を見ると、彼女は少し俯き加減に、はにかんでいた。一目で「嬉しそう」と分かるような、そういう表情で。
「そう、ですか。じゃあ、がんばっておしゃれした甲斐がありました」
……うーん。
この子、今日彼氏に振られたって言ってた……? 言ってた、よね…?
こんなにかわいい鷹見さんを振ってしまった彼氏さんの、気が知れないんだけれど。なんで……?
動揺を
「というか、わたしも、着替えてくれば良かったかなぁ。会社から直で来ちゃったから……」
「山崎さんはそのままで十分素敵ですので問題ないです」
わたしが言い終わるか終わらないかくらいで、早口に鷹見さんが言う。その必死な様子が可愛くて、思わず、ふっ、と破顔してしまう。
「ありがと。鷹見さん、優しいね」
「ほんとのことですから」
若干むすっとした様子で、鷹見さんが言う。
お世辞じゃないのに、とでも思っているのだろうか。それとも、ただ単に、照れているだけなのだろうか。
どちらにせよ、かわいい。
さて、さて。
わたしは鷹見さんの肩に、ぽん、と触れた。
「じゃ、行こうか。イルカのとこ」
「……はい」
わたしたちはイルカスタジアムの方へと歩き始める。
入り口から順路に沿って進めば、ものの5分ほどでスタジアムに着くはずだ。せっかくなので、左右に展示された水槽を眺めながら進む。
水族館なんて、いつぶりだろう。社会人になってから来たのは、もしかしたら初めてかもしれない。
色とりどりの熱帯魚が泳ぐ、小さな水槽。
クラゲがぷかぷかと浮かんでいる、見ているだけで眠くなってきそうな水槽。
サメやエイが悠々と泳ぐ、迫力のある大水槽。
隣を歩く鷹見さんは、優しい表情でそれらの水槽を見つめながら、時折「この子、かわいい」などと呟いては足を止めた。
そして束の間、魚を見つめて、すぐに歩き出した。きっとショーの開始時間を気にしているのだと思った。
「いつもはもっとゆっくり見るの?」
と、わたしは彼女に聞いてみた。
「そうですね。……さっきの、大水槽の前のソファに2時間近く座ってたこともありました」
「へぇ、いいね、癒されそう。わたしもやってみようかな、それ」
ちなみに、彼女が「かわいい」と評したのは、黄色いハコフグと、針を出してないハリセンボンだった。完全に好きな顔の系統が見えたので、「魚についてはこういう愛嬌のある感じの顔が好みなんだね」と指摘すると、「人間の顔だともっとシャープな方が好みだと思うんですが」と言っていた。
魚における好みの顔と、人間における好みの顔は違うらしい。
「山崎さんは、どんな顔が好みなんですか?」
言い終えてから「あ、人間のほうです」と鷹見さんが付け加える。
「どんな、顔かぁ……」
わたしは、頭の中に、これまで好きになった人の顔を並べてみる。共通点を探してみたが「これだ」というものはなかった。
強いて言うなら……
「好みの表情なら、あるかもしれない」
「表情?」
「うん。顔のつくりじゃなくて、表情」
あの子も、あの人も。
たぶん、わたしは……
「普段は無表情な人が、好きかも」
「無表情?」
鷹見さんは、訝しげにわたしを見た。どうしてそんな人を? と、言わんばかりだ。
「無表情な人の笑った顔とか、見れたら、嬉しいでしょ。わたし、そういう、人の意外な表情とかを発掘するのが好きなんだ」
「へぇ……そうなんですね。私にはない考えです」
鷹見さんは、首を傾げていた。理解はしてもらえたのだろうけれど、共感は出来なかったのだろう。
そんなスタジアムまでの道すがら、わたしと鷹見さんの間には、常に、拳ふたつ分くらいの距離があった。それはたぶん、こうして同僚と何気なく会話しながら歩くには、ちょうどいい距離感だったのだとは、思うのだけれど。
なんだかわたしは、その距離を、もっと縮めてみたくて仕方なかった。物理的に、というよりは、心の距離の現れとしての、その距離を。
今より近づいたその時、君はどんな表情を見せてくれるんだろう、と想像して。
もっといろんな表情が、見てみたくて。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます