次の恋には早すぎる

げん

第1話 想定内の別れ 〔紗奈〕

 メッセージを見た時、ついに来たか、とだけ思った。

紗奈さな、ごめん。別れて欲しいんだ〉

 謝られることは苦手だった。何が「ごめん」なのか判然としない時は、特に。

 「別れて欲しい」と伝えたら、私が怒るとでも思ったのだろうか。

 だとしたら筋違いだ。

 私は誰と付き合っても、いつもこうなるのだ。だから、彼が私と別れたいと思った原因は、おそらく私にある。彼が謝ることではない。むしろ彼は、言葉足らずな私をいつも理解しようと努力してくれる、思慮深い、いい人だった。

 それに、私は、私と別れたいと思っている人と付き合い続けるなどという無意味な時間は過ごしたくない。別れたいと思ったことを、思った時に、はっきりと伝えてくれた彼には、感謝しかない。

〈分かった、今までありがとう〉

 私は端的に返信をして、ひとつ、ため息をつく。

 うまく行かないものだ。

 いつもそうだ。

『紗奈は俺のこと、ほんとに好き?』

 と、聞かれる。

『好きだよ。だから付き合ってるんでしょ。なんでそんなこと聞くの?』

 と、私が答える。

 その数日ないし数週間後に、別れを切り出される。

 これが、いつものパターンだった。

 先日、彼にもこれと同様のことを聞かれた。だから今回も、そろそろかと身構えていたら、案の定、これだ。

 それにしても、こういった別れの呼び水となっているらしいあの質問が、私は至極苦手だ。

『紗奈は俺のこと、ほんとに好き?』

 もし、付き合っている人のことを好きじゃなくなったとしたら、私はそう確信した時に、すぐに別れを切り出すだろう。なぜなら、好きでもないのに付き合うなんてことは、時間の無駄だから。そんな、双方にとってなんの益にもならないことをするタイプだと思われていることすら心外だった。付き合っているということは、好きだということだ。そんな当たり前のことが、どうして伝わらないんだろう。

 ただ、こういうことを繰り返すうちに、だんだん、分かってもきた。

 恋愛関係を継続させるためには、定期的に、「あなたが好きだ」という分かりやすいメッセージを、相手に伝え続ける必要がありそうだということ。

 けれど、私は絶望的なまでにそういうメッセージを相手に伝えるのが苦手なのだということ。

 無理をしなければ続けられない関係はどうせ長続きしないだろうと開き直って、そのまま手を打たずに来てはいるものの。

 こうやって好きだった人に振られるのは、やっぱりその都度、結構きつい。

 だいたい、振られたのが今日この日であるというのも、なんとも間が悪い。

 今日は……

鷹見たかみさん、どしたの? なんかトラブル?」

 私はスマホから顔を上げ、声をかけてくれた人の方を見る。

山崎やまざきさん」

 トラブル? どうしてそんな風に思ったのだろう、と訝しんでいると、山崎さんは、ふっ、と笑って応えてくれた。

「ため息ついて、難しい顔してるから。何かあったのかと思って」

 なるほど。

 何を隠そう、いま私は昼休憩中で、社内の休憩スペースにいる。

 青いサントリーの自販機と、コーヒーをその場で焙煎してくれる自販機が2つだけ並び、その横に、「こういうのを置いておけばいいんでしょ」とばかりに置かれた観葉植物と、L字型のソファがひとつあるだけの、小さな休憩スペースだ。

 ついさっき、山崎さんがコーヒーの紙カップを持って私の側に座ったことは認識していた。少し会釈もしたし。

 彼女は、弊社の営業部の先輩だ。

 社内で信頼できる人はそう多くはないが、山崎さんは間違いなくその一人だ。例えばこんな風に休憩スペースで居合わせても、彼女は、私がスマホに向かって集中していれば、無駄な雑談などを仕掛けてくることなく放っておいてくれる。逆に、もしここに座っていたのが話好きの同僚であれば、彼女は間違いなく、その人のために、楽しげな話題を惜しみなく提供していたことだろう。

 相手をよく見た上で、その人ごとの時間の使い方を尊重してくれる。そういう人だ。

 その先輩が、心配になって声をかけてくれたということは。私は、よっぽど困った様子だったのだろう。

「振られたんです」

 私は、端的に伝えた。隠しても特に意味がないと思ったので。

「振られた? 何を? なんか重たい仕事?」

「……いえ、彼氏に」

「あー……」

 と、山崎さんは目をみはってから、気まずそうに目を逸らす。

「そりゃ、困るね。ため息も出るわ」

 納得してくれたようで、良かった。

 こういう時に、変な慰めを言わないところも、この人の好ましいところだった。

「はい。振られるタイミングも悪かったので、より困ってますね。今日、というのが」

「そうなんだ。今日、何かあったの?」

「今日の夜、彼とイルカショーに行く予定だったんです」

「イルカショー?」

「はい。事前予約でやっと確保した席なので、これ」

 言って、山崎さんにスマホの画面を見せる。電子チケットの表示画面が、煌々と光っている。

 おおた水族館、指定席。

 19時〜、SS席、2枚。

 今日のイルカショーは、特別なのだ。

 日中に行われているのとは異なるプログラムのナイトショーで、光と音楽の演出もある。数ヶ月前にチケットを抽選で手に入れて、とても楽しみにしていた。

 まあ正直なところ、チケット二枚分の値段になるのは勿体無いが、せっかくなのでひとりで行けばいいか、とも思う。

 しかし、なんとも間が悪いことは否めない。

「へぇ、そうなんだ。いいな、行きたい。それ」

「え?」

 行きたい?

「山崎さんが、ですか?」

「うん。要するに、チケット1枚余ってるってことでしょ?」

 突然の申し出に、動揺してしまう。

 こちらとしては、この間の悪さを少し愚痴らせていただくくらいの心づもりだったのに。

「それは、そう……ですが。イルカ、お好きなんですか?」

「うん、まぁ、そこそこ?」

 ……そこそこ。

 なら、別に殊更ショーが観たいというわけでもなさそうだ。

「じゃあ、いいです、そんな。お気持ちだけいただいておきます」

 あなたの時間がもったいないから。

 自業自得で振られた私のために、あなたが不利益を被ることはない。

「えー、でももったいないじゃん。チケット。彼氏に振られて、チケットもひとりで支払うなんて、二重に損じゃない?」

「……まぁ」

 それは、確かに。

 でも、だからと言って山崎さんを巻き込むのは違うというか……

 と、そこまで考えた時、私の思考を遮るように、山崎さんが言った。

「それにさ、鷹見さんには悪いけど、わたし、ちょっとラッキーだとも、思ってるんだ」

 私の顔を覗き込みながら、山崎さんが言う。

 ……ラッキー?

「わたし、鷹見さんともっと仲良くなりたいと思ってたから、さ。ダメ?」

 小首をかしげる山崎さんに、不覚にも、ドキッとしてしまった。

 この人にこんなふうに言ってもらって、悪い気がする人はいないだろう。すごいな。どうして、こんなにさらっと、人が喜ぶような言葉を紡げるのだろう。

 私もこんなふうに好意を率直に表明することができれば、彼とも別れずに済んだんだろうか。

「わたしとは、嫌?」

「嫌ではないです、全然」

 そこははっきりと否定しておく。嫌じゃない、全然。むしろ、ご一緒できるなら嬉しい。

 山崎さんは容姿端麗だし、気立も良い。明るくて、社交的で、いつも人に囲まれていて。私にないものをたくさん持っている人だ。

 それでいて、私の話を面白がって聞いてくれて、返してくれる言葉も的確で、知的で。言葉足らずな私を、仕事の上でもたびたびフォローしてくれて。

 もし、この人が私の……

 私はふと浮かびそうになった考えを、なんとか消し去る。

 だめだ、だめだ。

 何を考えてるんだ、私。

 私は邪な感情を振り払うようにして、山崎さんに伝えた。

「では、ぜひご一緒にお願いします。18時30分に、おおた水族館の前で」

「お、やった! ありがとう」

 山崎さんは、弾けるように笑う。

「ショーの会場に売店があるので、夕食はそこで売っているもので済ませようと思ってます」

「あ、いいね、手っ取り早くて。わたしもそうする」

 山崎さんはさっそく、今日のイルカショーの特設サイトをスマホで探し当てて、売店のメニューを見ている。「うっわ、ビールあるじゃん、最高。呑んじゃおうかな、わたし」と、すでに楽しそうだ。

 山崎さんと二人でイルカショー、か。

 二人で親密な時間を持ってしまうことには、少しばかり怖さもある。会社の先輩と仕事終わりに二人で出かけるなんて、初めてのことだから。関係が近づきすぎることで、逆に仕事に支障を来したりしないだろうかということを、どうしても考えてしまう。

 でも……

 浮かれている。明らかに、私。

 さっきまでは、意気消沈していたというのに。

 自分のそんな気持ちの変化を、どこか不思議な気分で見つめながら。

 私は、今日は定時で帰って、しっかり着飾ろうと心に決めた。

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