第30話
町中を走り回る俺の足音が石畳に響いていく。
背後から聞こえる騎士たちの鎧がガチャガチャと音を立てながら追いかけてくる音に、俺の心臓がバクバクと鳴っていた。
「おい! あそこにいるぞ!」
そんな声が聞こえてきたと思ったら、俺の目の前に立ちはだかる町人の姿があった。
完全に囲まれた! もうダメだ!
そう思った瞬間、その町人が俺の手を引いて脇道に引きずり込んでくる。
「こっちだ! 急げ!」
え? 何? 助けてくれるの?
状況がよくわからないまま、俺は町人に引っ張られて細い路地を駆け抜けていく。
「あっちに行ったぞ!」
後ろから別の声が聞こえてきた。
どうやら騎士たちを別の方向に誘導してくれているらしい。
なんだこの状況?
俺を引っ張っていた町人は、途中で俺の手を離すと小さく手を振って別の方向に走って行った。
一人になった俺は、とりあえず人気のない路地に身を隠しながら息を整える。
「はあ、はあ、はあ……」
運動不足の身体にはきつい追いかけっこだった。
でも「超健康」のおかげで、すぐに呼吸が整ってくる。
便利なスキルだよなあ、これ。
しかし、どうしよう。
このまま隠れていても、いずれ見つかってしまうだろう。
かといって、堂々と表を歩くわけにもいかない。
そんなことを考えながら路地の奥に進んでいくと、また別の町人が現れた。
今度は中年の女性だった。
「あら、あなた例の……」
またダメかと思ったら、その女性は周りを見回してから俺に近づいてきた。
「騎士があっちの方を探してるわよ。こっちにいらっしゃい」
そう言って、女性は別の路地を指差した。
俺は慌ててその方向に向かっていく。
しかし、その先でもまた別の町人に出会った。
今度は若い男性だった。
「おい、そっちは危険だ。向こうに騎士がいる」
そう言って、また別の方向を指差してくれる。
俺はお礼を言って、その方向に向かった。
こんなことを繰り返しながら、俺は町中を右往左往していた。
だんだん状況が見えてきた。
どうやら町の人たちが、俺を騎士から守ろうとしてくれているらしい。
でも、なんで?
俺なんて異世界に来てまだ一年も経っていない新参者なのに。
そんなことを考えながら歩いていると、見覚えのある建物が見えてきた。
あれは確か、親方の家じゃないか?
近づいてみると、親方が家の前に立っていた。
俺の姿を見つけると、親方は素早く辺りを見回してから俺に手招きをした。
「おい、キイ! こっちだ!」
俺は慌てて親方の元に駆け寄った。
「親方!」
「うるさい! 声を出すな!」
親方は俺の腕を掴んで、家の中に引きずり込んだ。
そして、床に敷いてある絨毯をめくると、そこには地下への階段があった。
「下に降りろ」
俺は言われるままに階段を降りていく。
地下は思ったより広くて、簡素な部屋になっていた。
「ここで大人しくしてろ」
親方はそう言うと、上に戻って行った。
一人になった俺は、地下室を見回した。
壁には工事現場で使う道具がいくつか置いてあって、隅には古い木箱が積み重ねられていた。
明かりは小さなランプが一つだけ。
薄暗い部屋だったが、隠れ家としてはなかなか良さそうだった。
しばらくすると、親方が戻ってきた。
手には湯気の立つスープの入った椀を持っていた。
「腹が減ってるだろう。食え」
「親方……ありがとうございます」
俺はスープを受け取って、一口すすった。
温かくて美味しい。
緊張していた身体が少しほぐれた気がした。
「親方、どうして俺を助けてくれるんですか?」
素朴な疑問を口にすると、親方は「フン」と鼻を鳴らした。
「バカなことを聞くな。お前が何をしたって言うんだ?」
「でも、違法奴隷商だって……」
「それがどうした?」
親方は腕を組んで、俺を見下ろした。
「お前がその狐娘を助けたのは事実だろう? 死にそうになってた奴を助けて、何が悪い?」
「それは……そうですけど……」
「それに、お前がどんな奴かなんて、一緒に働いてりゃわかる」
親方は地下室の椅子に腰を下ろした。
「お前は最初、何もできない軟弱な奴だった。言葉もろくに話せなかった。でも、文句一つ言わずに働いた。怪我をしても、疲れても、嫌な顔一つしなかった」
親方の声が少し優しくなった。
「それに、お前の魔法のおかげで、どれだけ工事が楽になったか。水も火も好きなだけ使えるなんて、他の現場じゃ考えられない贅沢だ」
「親方……」
「それだけじゃない。お前は仲間を大切にする。あの迷子の子供を助けた時も、魔物波の時も、自分の危険を顧みずに人を助けた」
親方は立ち上がって、俺の肩に手を置いた。
「そんな奴を、騎士如きに渡すわけにはいかない」
その時、上から足音が聞こえてきた。
複数の人間が歩いている音だった。
俺は身を縮めた。
「騎士が来たのか?」
「いや、違う」
親方は首を振った。
「あいつらも、お前を心配して様子を見に来たんだ」
階段を降りてくる音がして、何人かの人影が地下室に現れた。
工事現場の仲間たちだった。
「おお、キイ! 無事だったか!」
「心配したぞ!」
「騎士の奴ら、まだ探し回ってるからな」
仲間たちが口々に声をかけてくる。
俺は嬉しくて、でも申し訳なくて、複雑な気持ちになった。
「みんな……どうして俺なんかのために……」
「何言ってんだ」
仲間の一人が笑った。
「お前がいなかったら、俺たち毎日水汲みに行かなきゃならなかっただろうが」
「それに、お前の火があるから、冬でも現場が暖かいんだ」
「お前が来てから、工事の進みが倍になったぞ」
みんなが笑いながら話している。
でも、俺には分かった。
これは建前だった。
「本当は……」
俺が口を開きかけると、親方が手を上げて制した。
「キイ、お前に教えてやる」
親方は真剣な表情になった。
「この町でな、お前のことを知らない奴はいない」
「え?」
「お前が酒場で働いてた時、酔っぱらいに絡まれてる女の子を助けただろう?」
そんなことあったかな?
記憶を辿ってみると、確かに覚えがあった。
でも、大したことじゃなかった気がする。
「あの女の子の父親は、町の有力者だった。お前のことを恩人だと思ってる」
「それから、配達の仕事で薬を運んでた時、急病人が出た時もお前が助けただろう?」
「あー……」
それも覚えていた。
でも、俺はただ運んでいた薬を渡しただけだった。
「その病人には、大勢の家族がいた。みんな、お前に感謝してる」
親方は続けた。
「それに、お前が迷子の子供を助けた話も、町中に広まってる」
「でも、それは当然のことというか……」
「当然?」
親方は首を振った。
「お前にとっては当然でも、他の奴らにとってはそうじゃない。困ってる人を見て見ぬふりをする奴の方が多いんだ」
仲間の一人が頷いた。
「そうだよ。お前は困ってる人がいれば、損得考えずに助ける。そんな奴、そうそういない」
「みんな……」
俺は胸が熱くなった。
自分では何も特別なことをしていないつもりだったのに、みんなが俺のことをそんな風に思っていてくれたなんて。
「だから、町の奴らもお前を守ろうとしてくれたんだ」
親方は俺の肩を叩いた。
「さっき、騎士を別の方向に誘導してくれた奴らも、お前を通せんぼしてくれた奴らも、みんな自分の意思でやってくれたんだ」
その時、上から大きな音が響いてきた。
ドンドンと扉を叩く音だった。
「開けろ! 騎士だ!」
みんなの顔が緊張した。
ついに見つかってしまったのか。
「隠れてろ」
親方は俺に小声で言った。
「何があっても、絶対に上がってくるな」
親方は階段を上がって行った。
地下室に残った俺たちは、息を殺して上の様子を聞いていた。
「何の用だ?」
親方の声が聞こえてきた。
「例の男を探している。この辺りで見なかったか?」
「知らん」
親方の答えは素っ気なかった。
「怪しい奴だな。家の中を調べさせてもらう」
「令状はあるのか?」
「それは……」
騎士の声が詰まった。
「令状もなしに人の家に入ろうというのか? 随分と横暴な騎士だな」
親方の声に、怒りが込められていた。
「だが、犯罪者をかくまっているとなれば……」
「犯罪者?」
親方の声が大きくなった。
「あの小僧が何をしたって言うんだ? 死にそうになってた奴を助けて、何が悪い?」
「それは……」
「それに、お前らの方こそ怪しいじゃないか。王様の命令だとか言って、町の人間を追い回して」
親方はさらに続けた。
「あの小僧がどんな奴か、この町の人間はみんな知ってる。困ってる人を助けて、真面目に働いて、誰にも迷惑をかけない良い奴だ」
「そんなことは……」
「そんな奴を犯罪者扱いする方がおかしいだろう!」
親方の声に、他の声も重なった。
いつの間にか、家の周りに町の人たちが集まってきているようだった。
「そうだ! キイは良い奴だ!」
「あの子が犯罪者なわけない!」
「騎士の方が怪しいぞ!」
どんどん声が大きくなっていく。
町の人たちが、俺を守ろうとしてくれているのがわかった。
地下室で聞いていた俺は、涙が出そうになった。
こんなに大勢の人が、俺のことを心配してくれているなんて。
「お前ら、邪魔をするな!」
騎士の声が苛立っていた。
「邪魔? 自分たちの町を守って何が悪い?」
「そうだ! 町の人間を守るのが騎士の仕事だろう!」
町の人たちの声はますます大きくなっていく。
そして、ついに騎士たちが諦めたようだった。
「……今日のところは引き上げる」
「どうぞどうぞ」
親方の皮肉な声が聞こえてきた。
騎士たちが立ち去った後、親方が地下室に戻ってきた。
「とりあえず、今日は大丈夫だ」
「親方……みんな……」
俺は言葉に詰まった。
どうお礼を言えばいいのかわからなかった。
「礼なんていらん」
親方は手を振った。
「それより、お前はもうこの町にいられない」
「え?」
「今日はなんとかなったが、明日はどうなるかわからん。王様が本気になったら、俺たちでも止められない」
親方の言葉に、俺の心は沈んだ。
せっかく慣れた町を離れなければならないのか。
「でも、どこに行けば……」
「とりあえず、この国から出ることだ」
親方は地図を取り出した。
「隣の国に、『迷宮都市』という場所がある。そこなら、この国の騎士も手出しできない」
「迷宮都市?」
「巨大なダンジョンがある町だ。世界中から冒険者が集まる場所でもある」
親方は地図を指差した。
「そこなら、お前の力も活かせるだろう」
「でも、俺一人じゃ……」
「誰が一人だと言った?」
親方はニヤリと笑った。
「あの狐娘がいるじゃないか。あいつも心配してたぞ」
「リィナが?」
「ああ。お前が捕まったって聞いて、真っ青になってた」
親方は続けた。
「あいつはもう十分に回復してる。一緒に行けばいいじゃないか」
そうか。
リィナと一緒なら、なんとかなるかもしれない。
「それに、お前一人の力じゃ、この国を抜け出すのは難しい」
親方は真剣な表情になった。
「門は全部騎士が見張ってる。普通に出ようとしても、すぐに捕まるだろう」
「じゃあ、どうすれば……」
「抜け道がある」
親方は小声で言った。
「南の城壁の一部に、秘密の通路がある。スラム街に続く道だ」
「秘密の通路?」
「昔、あのじいさんが作ったんだ。覚えてるか? 城壁工事の時に、セメントをちゃんと塗ってなかったじいさん」
「ああ、あの人!」
俺は思い出した。
確か、俺が指摘したら怒られた人だった。
「あれは、わざとやってたんだ。あの部分だけ、レンガが外せるようになってる」
「そんなことが……」
「あのじいさんは、若い頃に奴隷だった。違法奴隷商に捕まって、ひどい目にあったんだ」
親方は説明を続けた。
「だから、同じように苦しんでる奴らのために、逃げ道を作ったんだ」
「そうだったんですか……」
俺は深く頷いた。
あの時、じいさんが怒ったのは、秘密がバレそうになったからだったのか。
「今夜、暗くなったら案内してやる」
親方は立ち上がった。
「それまで、ここで休んでろ」
「親方、本当にありがとうございます」
俺は深く頭を下げた。
「礼はいらんと言ったろう」
親方は照れたように頭を掻いた。
「それより、向こうに行ったら、元気でやれよ」
「はい!」
俺は大きな声で答えた。
この町での生活は終わってしまうけれど、ここで出会った人たちのことは絶対に忘れない。
そして、いつかまた会えるような、立派な冒険者になりたいと思った。
夜が来るまで、俺は地下室で仲間たちと話をして過ごした。
みんなが俺のことを心配してくれて、励ましてくれて、本当に温かい気持ちになった。
そして、ついにその時が来た。
新しい冒険の始まりだった。
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