第28話

 魔物波が終わった翌朝、俺は体中の筋肉痛と戦いながらベッドから這い出した。


「うう、昨日は頑張りすぎた」


 狐獣人のリィナが心配そうに俺を見つめている。

 彼女はまだ完全回復していないので、昨日の戦いには参加できなかった。


「キイタ、大丈夫? 昨日は本当にお疲れ様でした」


「ああ、なんとか生きてる」


 俺はよろよろと洗面台に向かう。

 鏡を見ると、頬に小さな傷跡があった。

 でも「超健康」のおかげで、もうほとんど治っている。


「それにしても、すごい騒ぎだったな」


 昨日の戦闘後、スラムの住民たちは本当にたくましかった。

 俺が魔物を倒している間も、彼らは既に戦闘後の準備を始めていたんだ。


「おーい、キイタ! 魔物の解体手伝ってくれ!」


「この毒袋、高く売れるぞ!」


「蛇の皮も上質だ!」


 みんな目を輝かせながら、倒れた魔物たちに群がっていく。

 そして、俺が倒した魔物の素材も分けてくれるという。


「いいのか? 俺が倒したやつなのに」


「何言ってるんだ! お前が戦ってくれたから俺たちも安全だったんだぞ!」


「それに、解体の技術がないと素材は台無しになっちまう」


 確かに、俺は魔物の解体なんてやったことがない。

 せっかくの貴重な素材を無駄にするよりは、プロに任せた方がいい。


「ありがとう、助かる」


 結局、俺は魔物の素材の半分を譲ってもらうことになった。

 残りの半分は、スラムの住民たちで分け合うそうだ。


「それにしても、キイタはすげえな」


「毒を受けても平気だなんて」


「あの子も喜んでたぞ」


 あの子——昨日助けた女の子のことだ。

 戦闘後、彼女は何度も俺にお礼を言ってくれた。

 そして、最後に頬にチュッとキスをして帰って行った。


 周りの大人たちは「おおー!」と大騒ぎだったけど、俺は何がなんだかよくわからなかった。


「キイタ、朝食の準備ができました」


 リィナが呼んでくれる。

 俺は筋肉痛に耐えながら、テーブルに向かった。


「ありがとう、リィナ」


「いえいえ、私も何かお手伝いしたかったんです」


 彼女は申し訳なさそうに俯く。

 でも、俺は首を振った。


「無理しちゃダメだ。 君はまだ回復途中なんだから」


「でも」


「でもじゃない。 君が元気になることの方が大事だ」


 俺は彼女の頭を軽く撫でる。

 リィナは少し頬を赤らめて、素直に頷いた。


「はい、わかりました」


 朝食を食べながら、俺は今日の予定を考える。

 まずは冒険者ギルドに行って、昨日の戦闘の報告をしなければならない。

 魔物波の際は、参加した冒険者全員に報酬が出るらしい。


「それと、借金の返済もあるな」


 リィナの治療に使った超級回復薬の代金で、俺は大借金を背負っている。

 でも、昨日の戦闘で魔物の素材を手に入れたし、ギルドからの報酬もある。

 少しは借金を減らせるかもしれない。


「よし、行くか」


 俺は朝食を済ませて、冒険者ギルドに向かった。

 リィナも一緒に来ると言ったが、まだ無理をさせるわけにはいかない。


「家でゆっくりしてろ」


「でも」


「大丈夫だから」


 俺は彼女を説得して、一人でギルドに向かう。


 街中を歩いていると、昨日の戦闘の話があちこちで聞こえてくる。


「あの転移者、すごかったらしいな」


「毒を受けても平気だったって」


「しかも、一人で何体も倒したとか」


 どうやら、俺の活躍が街中の話題になっているらしい。

 なんだか照れくさい。


 冒険者ギルドに着くと、受付嬢が笑顔で迎えてくれた。


「キイタさん、昨日はお疲れ様でした!」


「ああ、ありがとう」


「魔物波の報酬の件でいらっしゃいましたね」


 彼女は書類を取り出して、俺の前に置く。


「昨日の戦闘で、キイタさんは蛇型魔物を三体、毒スライムを一体討伐されました」


「そんなに倒したのか」


「はい。 それと、民間人の保護にも貢献されています」


 報酬は思ったより多かった。

 魔物の討伐報酬に加えて、民間人保護のボーナスも付いている。


「これだけあれば、借金もかなり減らせるな」


 俺は安堵のため息をつく。

 でも、受付嬢は申し訳なさそうな表情を浮かべた。


「実は、もう一つお話があります」


「何だ?」


「昨日の戦闘で、キイタさんが民間人に言った言葉が問題になっているんです」


 え? 何のことだ?


「俺が何か変なことを言ったのか?」


「『俺がお前を守る』という言葉です」


 ああ、あの時の。

 女の子を励ますために言った言葉だ。


「それが何か問題なのか?」


「その言葉は、この国では正式なプロポーズの言葉なんです」


 は?


「プロポーズ?」


「はい。 つまり、キイタさんはあの女の子にプロポーズしたことになります」


 俺の頭の中が真っ白になった。

 プロポーズって、結婚の申し込みのことだよな?


「ちょっと待て、俺はそんなつもりじゃ」


「でも、大勢の人が聞いています。 しかも、女の子も受け入れた様子でした」


 受け入れた? あの頬へのキスのことか?


「うわあああ!」


 俺は頭を抱える。

 まさか、励ましの言葉がプロポーズになっているなんて。


「どうしよう、どうしよう」


「まあ、相手はまだ子供ですから、正式な婚約にはなりません」


 受付嬢が慌てて補足してくれる。


「でも、将来的には結婚の約束をしたということになってしまいます」


「うげえ」


 俺は完全に混乱していた。

 異世界の常識って、本当にわからない。


「それで、女の子の両親がギルドに相談に来ています」


「両親?」


「はい。 お話をしたいそうです」


 俺はげんなりしながら、受付嬢の案内で応接室に向かった。

 そこには、昨日の女の子とその両親が待っていた。


「あ、お兄ちゃん!」


 女の子が嬉しそうに俺に駆け寄る。

 両親は少し緊張した様子で俺を見つめている。


「えっと、昨日は娘がお世話になりました」


 父親が深々と頭を下げる。


「いえいえ、当然のことをしただけです」


「でも、命を救っていただいたことに変わりはありません」


 母親も涙を浮かべながら俺に頭を下げる。


「本当にありがとうございました」


 俺は慌てて二人を制止する。


「頭を上げてください。 俺は別に特別なことをしたわけじゃありません」


「いえ、特別なことです」


 父親が顔を上げる。


「それで、お話があるのですが」


「プロポーズの件ですね」


 俺は先手を打って言う。


「あれは、この国の習慣を知らずに言ってしまったものです。 申し訳ありませんでした」


「いえ、そんなことはありません」


 母親が首を振る。


「娘はとても喜んでいるんです」


「え?」


「お兄ちゃんのお嫁さんになるんでしょ?」


 女の子が無邪気に笑いながら言う。

 俺は冷や汗をかいた。


「あの、お嬢さんはまだ小さいですし」


「ええ、もちろん今すぐというわけではありません」


 父親が説明してくれる。


「でも、将来的にはということで」


「ちょっと待ってください」


 俺は必死に状況を整理しようとする。


「俺はその、そういうつもりで言ったんじゃなくて」


「でも、言葉に嘘はないでしょう?」


 母親が俺を見つめる。


「この子を本当に守ってくれるんでしょう?」


「それは、もちろんですけど」


「だったら、何も問題ありません」


 なんだか、話が俺の意図とは全然違う方向に進んでいる。

 でも、両親は本当に感謝してくれているようだし、女の子も嬉しそうだ。


「とりあえず、今すぐ何かを決める必要はありません」


 父親が優しく言ってくれる。


「この子がもっと大きくなってから、改めて話し合いましょう」


「そうですね」


 俺はほっとした。

 とりあえず、今すぐ結婚しなければならないわけじゃない。


「でも、お兄ちゃんは私のことを忘れちゃダメだよ」


 女の子が俺の手を握る。


「忘れないよ」


 俺は苦笑いしながら答える。


 結局、この話は将来の課題ということで一旦保留になった。

 でも、俺の心の中には複雑な気持ちが残っている。


 応接室を出ると、受付嬢が苦笑いしながら待っていた。


「大変でしたね」


「まあ、何とかなったかな」


「でも、これで街中の話題になりますよ」


「うげえ」


 俺は再び頭を抱える。

 異世界生活は、思った以上に複雑だ。


 でも、借金返済の方は順調に進んだ。

 魔物波の報酬と魔物素材の売却で、借金の三分の一を返済できた。


「よし、このペースで頑張れば、数ヶ月で完済できるな」


 俺は少し気持ちが軽くなった。

 家に帰ると、リィナが心配そうに待っていた。


「キイタ、お疲れ様でした。 どうでしたか?」


「まあ、色々あったけど、借金は減ったよ」


「それは良かったです」


 でも、リィナは何か言いたそうな表情をしている。


「どうした?」


「実は、街で色々な噂を聞いてしまって」


「噂?」


「キイタが女の子にプロポーズしたって」


 うわあ、もう街中に広まってるのか。


「あれは誤解なんだ」


 俺は慌てて事情を説明する。

 リィナは黙って聞いていたが、最後に小さくため息をついた。


「キイタは本当に優しい人ですね」


「そうかな」


「でも、私も少し心配になってしまいました」


「心配?」


「私も、キイタにとって大切な人でいられるかなって」


 リィナの表情が少し不安そうだ。

 俺は彼女の肩に手を置く。


「何を言ってるんだ。 君は俺にとって大切な仲間じゃないか」


「仲間」


「そうだ。 かけがえのない仲間だ」


 リィナは少し寂しそうに微笑む。


「はい、ありがとうございます」


 その夜、俺は一人で夜空を見上げていた。

 今日は本当に色々なことがあった。

 借金は減ったけど、新しい問題も生まれた。


「異世界生活って、本当に大変だな」


 でも、悪いことばかりじゃない。

 俺を支えてくれる人たちがいる。

 リィナもいるし、工事現場の親方もいる。

 スラムの住民たちも俺を受け入れてくれた。


「きっと、なんとかなるさ」


 俺は星空に向かって呟いた。

 明日もまた、新しい一日が始まる。

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