第25話

 魔物波発生、特に問題なし。

 って、おい! 何だよこの状況は!


 俺が期待していた緊迫感あふれる魔物との死闘はどこへ行ったんだ!?


 城壁の外側、南東のスラム街。

 未完成とはいえ、城壁らしきものがある場所に配置された俺は、支給された剣と盾を握りしめて身構えていた。

 遠くには見慣れた腐毒の森が見える。

 あの忌まわしい思い出の場所が、今日は妙に懐かしく感じられた。


 しかし、現実は俺の予想を大きく裏切っていた。


「よう、お疲れさん」


 隣に座り込んだスラム街の住人らしきおじさんが、のんびりと声をかけてきた。

 汚れた服を着ているが、顔は意外と人懐っこい。


「え、あの、お疲れさんって……」


「何だい、緊張してるのかい? 初めてかい、魔物波は?」


 おじさんは膝を抱えて座り込みながら、まるで夕涼みでもしているかのような調子で話しかけてくる。


「いや、そうなんですけど……」


 俺は剣を構えたまま答える。

 だって魔物波だぞ? もっとこう、殺気立った雰囲気になるもんじゃないのか?


「ははは、堅いねぇ。 まあ、そんなに身構えなくても大丈夫だよ」


「大丈夫って……魔物が来るんですよね?」


「来るねぇ。 でも、こっちまでは滅多に来ないよ」


 おじさんは空を見上げながら、まるで天気の話でもするかのように言った。


「滅多にって……」


「だってここ、一番端っこだもん。 魔物だって馬鹿じゃないからさ、わざわざ遠回りしてこんなところまで来ないよ」


 確かに、俺たちがいる場所は城壁の南東端。

 魔物波は南から来ているというから、確かに一番遠い場所だった。


「それに、ここは城壁があるしね」


 おじさんが指差した先には、確かに石で作られた城壁がある。

 まだ建設途中で所々穴が開いているが、それなりに高さもあるし、魔物を防ぐには十分そうだった。


「あの……それなら何で皆さん、こんなにのんびりしてるんですか?」


 俺は周りを見回した。

 スラム街の住人たちは、確かに城壁の内側にいるものの、まるで祭りでも始まるかのような雰囲気だった。

 子供たちは走り回っているし、女性たちは井戸端会議をしている。


「のんびりって言うか……楽しみなんだよね」


「楽しみ?」


「魔物波の後のお楽しみがさ」


 おじさんはニヤリと笑った。


「魔物を倒した後、素材が手に入るだろう? それを拾いに行くんだよ」


「え?」


「冒険者の皆さんは、魔物を倒すのが仕事だからね。 でも、素材を全部持って帰るのは大変だろう? 特に安い素材なんかは、わざわざ持って帰らない場合もある」


 なるほど、それでおこぼれを狙うのか。


「でも、危険じゃないんですか?」


「魔物波が終わってからだから、そんなに危険じゃないよ。 それに、みんなで行けば大丈夫」


 おじさんは慣れた様子で説明してくれた。


「それに、運が良ければ良い素材が手に入ることもあるしね。 そうすれば、しばらくは食べていける」


 スラム街の人たちにとって、魔物波は災害であると同時に、収入を得るチャンスでもあるのか。

 たくましいというか、逞しすぎるというか……。


「あ、始まったね」


 おじさんが城壁の向こうを見つめて呟いた。


 確かに、遠くから戦闘の音が聞こえてくる。

 金属がぶつかり合う音、魔法が炸裂する音、そして魔物の咆哮。


「うおー! やってるやってる!」


 スラム街の子供たちが城壁に駆け寄って、隙間から外を覗こうとしている。


「こら、危ないから近づくな!」


 大人たちが慌てて子供たちを引き離すが、その表情は意外と楽しそうだった。


「あの……皆さん、逃げなくて大丈夫なんですか?」


 俺は改めて聞いてみた。

 だって、もし魔物がここまで来たら、スラム街の人たちは真っ先に被害を受けるはずだ。


「逃げる? どこに?」


 おじさんは首を傾げた。


「いや、城壁の内側とか……」


「ここが一番安全だよ。 城壁の内側に行ったって、魔物が入ってきたら同じことだし」


 確かに、城壁の内側に避難したところで、魔物が侵入してきたら結局は危険だ。


「それに、ここにいれば戦いが終わった後、すぐに素材を拾いに行けるしね」


 やっぱり素材が目的か。


「でも、本当に大丈夫なんですか?」


「大丈夫大丈夫。 今回は騎士団も出てるし、冒険者もたくさんいるからね」


 おじさんは手をひらひらと振って、俺の心配を払いのけた。


「それに、君もいるしね」


「え?」


「冒険者でしょう? 頼りにしてるよ」


 おじさんは俺の肩をポンと叩いた。


 うーん、俺は冒険者としての実績は皆無なんだが……。

 でも、確かに今は一応冒険者扱いだし、剣と盾も支給されている。


「まあ、頑張ります」


 俺は苦笑いしながら答えた。


「そうそう、その意気だよ」


 おじさんは満足そうに頷いた。


 それにしても、この緊張感のなさは何なんだ。

 俺が想像していた魔物波とは全然違う。


「あ、そうだ。 君、名前は?」


「キイです」


「キイか。 いい名前だね。 俺はガルクだ」


 ガルクさんは手を差し出してきた。

 俺は剣を持ったまま、慌てて握手を返した。


「よろしくな、キイ。 何か分からないことがあったら、遠慮なく聞いてくれ」


「ありがとうございます」


 こんな風に雑談していると、本当に魔物波が起きているのか疑わしくなってくる。

 でも、確かに遠くからは戦闘音が聞こえ続けている。


「おお、激しくやってるねぇ」


 ガルクさんは音に耳を澄ませながら呟いた。


「今回は結構大規模だね。 騎士団が本格的に出動するなんて、久しぶりだよ」


「え? 普段は騎士団は出ないんですか?」


「小規模な魔物波なら、冒険者だけで十分だからね。 でも今回は、例の森の異変もあるし、騎士団が出るってことは、それなりに危険だってことだ」


 例の森の異変って、リィナが報告した件か。

 あの時は本当に心配したな。


「でも、騎士団が出るってことは、それだけ安全でもあるってことだよ」


 ガルクさんは楽観的に言った。


「そうですね」


 俺も頷いた。

 確かに、騎士団が出動しているなら、よほどのことがない限り大丈夫だろう。


「あ、そうそう。 キイは結婚してるのかい?」


 突然の質問に、俺は面食らった。


「え? いや、してないです」


「そうかそうか。 だったら、うちの娘はどうだい?」


「え?」


「いや、冗談だよ冗談。 うちの娘はまだ十歳だからね」


 ガルクさんは大笑いした。


「びっくりしました……」


 俺は胸を撫で下ろした。

 この世界では結婚年齢が早いと聞いているが、さすがに十歳は早すぎるだろう。


「でも、キイくらいの年なら、そろそろ結婚を考えてもいいんじゃないかい?」


「まあ、いずれは……」


 リィナのことが頭に浮かんだ。

 でも、あの子は奴隷契約があるし、色々と複雑だ。


「おお、もしかして相手がいるのかい?」


 ガルクさんは興味深そうに身を乗り出した。


「いや、そういうわけじゃ……」


「遠慮するなよ。 どんな子だい?」


 このおじさん、妙に人懐っこいな。

 でも、悪い人じゃなさそうだ。


「えーと、狐獣人の女の子なんですけど……」


「おお、獣人か! いいねぇ。 獣人の女の子は美人が多いからね」


 ガルクさんは目を輝かせた。


「でも、大変だろう? 獣人への偏見も多いし」


「そうですね……」


 俺は少し重い気持ちになった。

 確かに、この世界では獣人への偏見がある。

 リィナも、それで苦労してきたはずだ。


「でも、愛があれば大丈夫だよ。 俺の知り合いにも、獣人と結婚した人がいるからね」


「そうなんですか?」


「ああ、牛獣人の女の子と結婚したんだ。 最初は周りから色々言われたけど、今は幸せにやってるよ」


 ガルクさんの言葉に、俺は少し安心した。


「愛があれば、って簡単に言いますけど……」


「愛なんて、一緒にいれば自然に育つもんだよ。 大切なのは、相手を大切に思う気持ちだ」


 ガルクさんは優しく微笑んだ。


「相手を大切に思う気持ち……」


 俺はリィナのことを思い浮かべた。

 あの子を大切に思う気持ちなら、確かにある。

 でも、それが愛なのかどうかは、まだよく分からない。


「まあ、焦ることはないさ。 若いんだから、時間はたっぷりある」


「そうですね」


 俺は頷いた。


 そんな風に雑談していると、戦闘音が少し激しくなってきた。


「おお、盛り上がってきたね」


 ガルクさんは城壁の方を見つめた。


「大丈夫なんですか?」


「大丈夫大丈夫。 この音なら、まだ余裕があるよ」


 このおじさん、魔物波の音で状況が分かるのか。

 さすがスラム街の住人だけある。


「それより、キイは武器の扱いは大丈夫かい?」


 ガルクさんは俺の剣を見つめた。


「一応、訓練はしてるんですけど……」


「そうか。 まあ、こっちまで魔物が来ることは滅多にないから、大丈夫だと思うけどね」


 そう言われても、やっぱり不安だ。

 俺の戦闘経験なんて、リィナとの訓練くらいしかない。


「でも、もし何かあったら、遠慮なく声をかけてくれよ。 俺たちも手伝うから」


「え? でも、危険じゃないですか?」


「危険? 何言ってるんだい。 ここは俺たちの住んでる場所だよ。 守るのは当然だろう」


 ガルクさんは当たり前のように言った。


「それに、君は俺たちを守ってくれるんだろう? だったら、俺たちも君を守るよ」


 この言葉に、俺は胸が熱くなった。

 こんな風に、お互いを守り合うのが、本当のコミュニティなんだな。


「ありがとうございます」


 俺は心から感謝した。


「何を言ってるんだい。 当然のことだよ」


 ガルクさんは笑顔で手を振った。


 その時、戦闘音が急に激しくなった。

 今度は本当に激しい音だ。


「おお、これは……」


 ガルクさんの表情が少し緊張した。


「どうしました?」


「いや、ちょっと音が違うな。 もしかすると……」


 その時、城壁の向こうから大きな爆発音が響いた。

 そして、地面が微かに揺れた。


「おいおい、これは予想以上だな」


 ガルクさんは立ち上がった。


「大丈夫なんですか?」


「分からん。 でも、念のため、子供たちを建物の中に避難させた方がいいかもしれない」


 ガルクさんは周りの住人たちに声をかけ始めた。


「みんな、子供たちを家の中に入れろ! 今回は少し様子が違うぞ!」


 スラム街の住人たちも、さすがに緊張し始めた。

 さっきまでの楽しそうな雰囲気は消えて、皆が真剣な表情になった。


「キイ、悪いが頼むよ。 本当に何か起きるかもしれない」


 ガルクさんは俺の肩を叩いた。


「分かりました」


 俺は剣を握り直した。

 ついに、本当の戦いが始まるのかもしれない。


 でも、不思議と恐怖はなかった。

 むしろ、この人たちを守りたいという気持ちが強くなっていた。


 リィナとの訓練を思い出せ。

 俺にも、できることがあるはずだ。


 魔物波、どんと来い!

 俺は異世界一の超健康男だぞ!

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