第19話

 俺は超級回復薬の空になった小瓶を見つめていた。

 透明なガラス瓶の底に残った最後の一滴が、まるで俺の全財産を象徴しているかのように見える。


「あー、やっちまった」


 リィナの傷が完全に治ったのは良かった。

 本当に良かった。

 あの時、ギルドに担ぎ込まれてきた彼女を見た瞬間、心臓が止まりそうになったんだ。

 いや、俺の心臓は超健康だから止まらないけど、それくらいショックだったってことだ。


 でも、超級回復薬って、なんであんなに高いんだろう?

 下級回復薬が銅貨十枚なのに、超級は金貨五枚って! 金貨だぞ、金貨!

 俺の全財産が銀貨三十枚だったから、足りない分は親方に借金することになった。


「キイ様、申し訳ありません」


 リィナが俺の膝の前に正座して、深々と頭を下げている。

 この子、本当に律儀というか、真面目すぎるというか。


「いや、いいって。お前が無事なら それで」


「でも、キイ様の全財産を使わせてしまって」


「全財産って言っても、たかが知れてるから」


 実際、銀貨三十枚なんて、この異世界に来て半年で貯めた金額だ。

 また貯めればいいだけの話である。

 そう思うことにした。


「それに、お前がいなくなったら、俺一人じゃ寂しくて死んじゃうよ」


「キイ様は超健康なので死にません」


「……そうだった」


 リィナのツッコミが容赦ない。

 でも、彼女の表情が少し和らいだのを見て、俺も安心した。


「ところで、リィナ。お前、なんで一人で森の奥まで行ったんだ?」


「それは……」


 リィナが口ごもる。

 何か理由があるんだろうな。


「正直に言ってくれ。怒らないから」


「キイ様のために、もう少し稼ぎたかったのです」


「俺のために?」


「はい。キイ様はいつも一生懸命働いていらっしゃるのに、私は冒険者として稼ぎが少なくて」


 ああ、そういうことか。

 この子、俺が朝から晩まで働いてるのを見て、申し訳なく思ってたんだな。


「バカ野郎」


「え?」


「お前が怪我したら、俺の方が困るんだよ」


 リィナの目がぱちくりと瞬いた。

 狐の耳もぴょこぴょこ動いてる。

 相変わらず分かりやすい子だ。


「キイ様……」


「それに、お前がいなかったら、俺一人で寂しいじゃないか」


「でも、キイ様は昼間は工事現場で、夜は夜の店で働いていらっしゃいます」


「え? なんで夜の店のことを?」


「町の人たちが話していました。『あの転移者の青年、夜の店でも働いてるんだって』『真面目な子だねえ』って」


 やばい。

 町の人たちに俺の勤務先がバレてる。

 まあ、隠してるわけじゃないけど、なんか恥ずかしいな。


「あの店、変なところじゃないからな?」


「はい、存じております」


 リィナが微笑んだ。

 この子、本当に純粋だ。

 夜の店って聞いても、全然疑わない。


「それより、キイ様。借金の件ですが」


「ああ、それな」


 親方から借りた金貨二枚。

 銀貨換算で二十枚分だ。

 俺の一ヶ月の稼ぎが銀貨八枚程度だから、三ヶ月分の借金ということになる。


「三ヶ月で返せるかな」


「私も冒険者として稼ぎますから、もっと早く返せるはずです」


「いや、お前はまだ怪我が完全に治ってないだろ」


「超級回復薬のおかげで、もう大丈夫です」


 リィナが立ち上がって、軽やかに跳び跳ねて見せた。

 確かに、外傷は完全に治ってる。

 でも、超級回復薬って体力までは回復してくれないんだよな。


「でも、無理しちゃだめだぞ」


「はい!」


 リィナが元気よく返事した。

 よし、これで安心だ。


 そんな時、外から騒がしい声が聞こえてきた。


「おい、聞いたか?」


「何をだ?」


「南の森で魔物の数が異常に増えてるらしいぞ」


「マジかよ」


 俺とリィナは顔を見合わせた。

 リィナが報告した内容のことだな。


「偵察部隊が確認したんだって」


「それで、どうするんだ?」


「大規模討伐隊を結成するらしい」


「うわあ、大変だな」


 外の声がだんだん遠ざかっていく。

 俺は窓際に寄って、外の様子を見てみた。

 確かに、普段よりも慌ただしい感じがする。


「キイ様、どうしましょう」


「どうしようって?」


「私の報告が原因で、大変なことになってしまいました」


「いや、お前のせいじゃないだろ」


 リィナが報告したから分かったんだ。

 報告しなかったら、もっと大変なことになってたかもしれない。


「それに、お前はよく生きて帰ってきてくれた」


「キイ様……」


「俺、本当に心配したんだからな」


 リィナの目が潤んできた。

 やばい、泣かせちゃった。


「あー、泣くなよ」


「すみません、嬉しくて」


「嬉しくて泣くって、よく分からないな」


 俺も男だから、嬉しくて泣くっていう感情がイマイチ理解できない。

 でも、リィナが喜んでくれてるなら、それでいいか。


「そうだ、今日は仕事休もうか」


「え?」


「お前が帰ってきたお祝いに、酒場で美味しいもの食べよう」


「でも、借金が」


「一日くらい大丈夫だろ」


 実際、俺は超健康だから、一日働かなくても全然平気だ。

 体力も有り余ってるし。


「それに、お前が元気になったら、俺も元気になるんだよ」


「キイ様は いつも元気ですが」


「そうだった」


 またリィナにツッコまれた。

 でも、今日は何を言われても腹が立たない。

 リィナが無事だったから、それだけで十分だ。


「じゃあ、準備しよう」


「はい!」


 リィナが嬉しそうに頷いた。

 俺たちは外出の準備を始めた。


 アパートの外に出ると、やっぱり町の様子がいつもと違う。

 騎士たちが慌ただしく行き来してるし、冒険者たちも何やら深刻な顔で話し込んでる。


「キイ!」


 振り返ると、親方が手を振っていた。

 今日は工事現場の方から来たのかな。


「親方、今日は」


「おお、狐娘も元気そうで良かった」


「はい、ありがとうございます」


 リィナが丁寧にお辞儀した。

 親方は俺に超級回復薬代を貸してくれた恩人だ。


「それで、借金の件だが」


「すみません、必ず返します」


「そんなことより、お前に頼みがある」


「頼み?」


「実は、大規模討伐隊の件でな」


 親方が声を潜めた。

 何か重要な話らしい。


「工事現場の連中も、何人か駆り出されることになった」


「え?」


「冒険者じゃない人も?」


「ああ、人手が足りないからな」


 そういえば、この世界の冒険者ギルドは、土木工事の仕事も斡旋してるんだった。

 つまり、工事現場の作業員も、広い意味では冒険者なのかもしれない。


「それで、お前にも声がかかるかもしれない」


「俺に?」


「ああ、お前は若いし、体力もある」


「でも、俺、冒険者として実績ないですよ」


「それでも、人手は欲しいんだろう」


 親方がため息をついた。

 確かに、大規模討伐隊なら、人数は多ければ多いほどいいだろう。


「分かりました。もし声がかかったら、参加します」


「無理するなよ」


「はい」


 親方が俺の肩を叩いた。

 相変わらず、親方の手は大きくて温かい。


「それじゃあ、俺は戻るわ」


「お疲れ様でした」


 親方が去って行った後、俺とリィナは酒場に向かった。


「キイ様、大丈夫でしょうか」


「何が?」


「討伐隊の件です」


「まあ、なんとかなるだろ」


 俺は楽観的に答えた。

 でも、内心はちょっと不安だ。

 半年前に腐毒の森でスライムにすら勝てなかった俺が、大規模討伐隊で役に立つのだろうか。


「でも、キイ様は超健康ですし、初級魔法も身体強化も持ってますから」


「そうだな」


 リィナが励ましてくれた。

 この子、本当に優しい。


「それに、私も一緒に行きます」


「え?」


「冒険者として、参加する義務があります」


「でも、お前はまだ」


「もう大丈夫です。それに、キイ様一人では心配です」


 リィナが決意を込めて言った。

 確かに、一人で参加するよりは、リィナと一緒の方が心強い。


「分かった。でも、無理はするなよ」


「はい!」


 俺たちは酒場に入った。

 中は結構賑わっていて、討伐隊の話題で持ち切りだった。


「おお、キイじゃないか」


「狐娘も元気そうで良かった」


「超級回復薬、効いたみたいだな」


 みんなが声をかけてくれる。

 この町の人たちは、本当に温かい。


「今日は何を飲む?」


「えーと、エール二杯で」


「おう、分かった」


 俺たちは空いてる席に座った。

 リィナが周りを見回している。


「どうした?」


「みなさん、楽しそうにしてますね」


「そうだな」


 確かに、大規模討伐隊なんて物騒な話をしてる割には、みんな楽しそうだ。

 この世界の人たちは、こういう事態に慣れてるのかもしれない。


「エール、お待ち!」


 店員がジョッキを持ってきた。

 俺たちは乾杯した。


「リィナが無事で良かった」


「ありがとうございます」


 俺たちはエールを飲みながら、料理を注文した。

 今日は奮発して、肉料理を頼むことにした。


「キイ様、本当にありがとうございました」


「だから、そんなに謝らなくていいって」


「でも」


「それより、これからのことを考えよう」


「これからのこと?」


「討伐隊に参加することになったら、どうする?」


「私はキイ様と一緒に参加します」


「そうじゃなくて、戦術の話だよ」


 俺は真剣に話を続けた。

 半年前のスライム戦の屈辱を忘れるわけにはいかない。


「俺の戦闘能力は、まだまだ未熟だ」


「でも、親方たちとの訓練で、だいぶ上達されました」


「それでも、魔物相手に実戦経験がない」


「そうですね」


 リィナも真剣な表情になった。

 彼女は実際に魔物と戦った経験がある。


「リィナ、お前の斥候能力を活かそう」


「はい」


「俺は前衛で、お前は後衛」


「分かりました」


 俺たちは作戦を練った。

 といっても、俺の戦闘経験が少ないから、基本的な連携しか考えられない。


「肉料理、お待ち!」


 店員が料理を持ってきた。

 香ばしい匂いが鼻をくすぐる。


「うまそうだな」


「はい」


 俺たちは料理を食べながら、明日からの仕事のことを話した。

 借金返済のために、また忙しい日々が始まる。


「キイ様、私も頑張ります」


「ああ、でも無理するなよ」


「はい」


 リィナが微笑んだ。

 俺も微笑み返した。


 とりあえず、リィナが無事だったから、それで十分だ。

 借金なんて、また働けば返せる。

 討伐隊のことも、その時になったら考えよう。


 俺は超健康だから、何があっても大丈夫だ。

 たぶん。

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