第16話

 朝の訓練が終わって、俺は汗を拭いながら満足げに息を吐いた。


 半年前の情けない姿を思い出すと、今の自分が信じられない。

 筋肉はついたし、体力も格段に向上している。


 何より、リィナとの訓練のおかげで戦い方の基本が身についてきた。


「キイ、今日の動きは良かったですね」


 リィナが尻尾を嬉しそうに振りながら言う。

 最初の頃は「主人」と呼ばれていたが、今では名前で呼んでくれるようになった。


「ありがとう。 でも、まだまだリィナには全然敵わないけどな」


「そんなことありません。 最初の頃と比べたら、まるで別人のようです」


 リィナの褒め言葉に照れながら、俺は木製の剣を片付けた。


 確かに、腐毒の森で惨めに逃げ帰った時とは大違いだ。

 あの時はスライムにすら攻撃を当てられなかったのに、今なら少しは戦えるかもしれない。


「それじゃあ、俺は工事現場に行ってくるよ」


「はい、お疲れ様です」


 リィナに見送られて、俺は仕事場へと向かった。


 工事現場では、いつものように親方が大きな声で指示を出している。


「おい、キイ! 今日は第三区画の基礎工事だ!」


「了解です!」


 俺は元気よく返事をして、作業に取りかかった。


 重いレンガを運んでいると、隣で作業していたおじいさんが声をかけてきた。


「キイ君、君も随分と逞しくなったもんだな」


「そうですかね? まだまだですよ」


 おじいさんは城壁の強化レンガを積む専門家で、この道五十年のベテランだ。

 細かい作業が得意で、いつも丁寧に作業している。


 俺は初級魔法で水を出しながら、セメントを混ぜる作業を手伝った。


「便利だなぁ、その魔法は。 水汲みに行く手間が省けるから助かるよ」


「これくらいしかできませんから」


 午前中の作業を終えて、昼休みになった時のことだ。


 おじいさんが積み上げたレンガの壁を見て、俺は首を傾げた。


 なんだか、一部分だけセメントの塗り方が雑に見える。


「あの、おじいさん」


「ん? なんだい?」


「あそこの部分、セメントがちゃんと塗られてない気がするんですが...」


 俺が指さした箇所を見て、おじいさんの顔が赤くなった。


「何だって? 俺がこの道五十年やってきて、そんなミスをするわけがないだろう!」


「でも、明らかに他の部分と違って...」


「黙れ! 半年そこらしか働いてない若造が、ベテランの俺に意見するなんて百年早いんだよ!」


 おじいさんは怒り狂って、俺に詰め寄ってきた。


「すみません、余計なことを...」


「当然だ! 次からは口出しするんじゃないぞ!」


 周りの職人たちも、この騒ぎに気づいて集まってきた。


「どうしたんだ?」


「キイがおじいさんの仕事にケチつけたんだよ」


「それはまずいな...」


 みんなが俺を見る目が冷たくなった。


 この世界では、経験と年齢が重視される。

 新人が先輩に意見するなんて、とんでもないことらしい。


「キイ、お前も調子に乗るんじゃないぞ」


 親方が厳しい声で言った。


「はい、申し訳ありませんでした」


 俺は深く頭を下げた。


 でも、心の中では納得できずにいた。

 明らかにあの部分だけセメントが薄くて、強度に問題がありそうだったからだ。


 午後の作業中も、俺はそのことが気になって仕方がなかった。


 城壁は街の人々を守る大切な防壁だ。

 手抜き工事があったら、いざという時に崩れてしまうかもしれない。


 でも、もう一度指摘したら、今度こそ現場から追い出されてしまうだろう。


「キイ、どうしたんだ? 元気がないじゃないか」


 同僚のマルコが心配そうに声をかけてきた。


「いや、なんでもないよ」


「本当か? 昼間の件で落ち込んでるのか?」


 マルコは俺より少し年上で、面倒見の良い兄貴分だ。


「マルコは、どう思う? 俺の指摘は間違ってたのかな?」


「うーん、正直に言うと、俺もあの部分は気になってたんだ」


 マルコは小声で言った。


「でも、おじいさんは頑固だからな。 プライドもあるし、簡単には認めないだろう」


「そうなのか...」


「キイの気持ちは分かる。 でも、この世界では年功序列が絶対なんだ。 若いうちは我慢するしかないよ」


 マルコの言葉に、俺は複雑な気持ちになった。


 現代日本にいた時も、理不尽なことはたくさんあった。

 でも、この世界の方がもっと厳格な上下関係があるみたいだ。


 夕方になって、仕事が終わった。


 家に帰ると、リィナが夕食の準備をしていた。


「お疲れ様です、キイ」


「ただいま、リィナ」


 俺は疲れた体を椅子に沈めた。


「今日は元気がありませんね。 何かあったんですか?」


 リィナは俺の表情を見て、すぐに気づいた。


「実は...」


 俺は今日あった出来事を話した。


「それは大変でしたね...」


「俺が間違ってたのかな? やっぱり、新人は黙ってるべきだったのか?」


 リィナは少し考えてから答えた。


「キイは正しいことを言ったと思います。 でも、この世界では言い方や相手によって、受け取られ方が変わってしまいます」


「言い方か...」


「はい。 もしもう一度機会があったら、違うアプローチを試してみてはどうでしょう?」


 リィナの提案に、俺は希望を見出した。


「どんなアプローチ?」


「例えば、他の職人さんに相談してみるとか、親方に直接話してみるとか...」


 確かに、それなら角が立たないかもしれない。


 翌日の朝、俺は勇気を出して親方に相談してみることにした。


「親方、ちょっと相談があるんですが...」


「なんだ?」


「昨日の件なんですが、やっぱり気になってしまって...」


 親方は俺の話を黙って聞いてくれた。


「そうか... 実は俺も少し気になってたんだ」


「え?」


「でもな、キイ。 おじいさんのプライドを傷つけるような言い方はまずかったぞ」


「はい、反省してます」


「こういう時はな、まず俺に報告するんだ。 そうすれば、俺が上手く処理してやる」


 親方は俺の肩を叩いて言った。


「分かりました。 今度からそうします」


「よし、それじゃあ今日は俺がおじいさんと話してみるよ」


 親方のおかげで、問題は解決しそうだった。


 昼休みになると、親方がおじいさんと話している姿が見えた。


 最初は険悪な雰囲気だったが、だんだん和やかになっていった。


 午後の作業時間になると、おじいさんが俺のところにやってきた。


「キイ君、昨日はすまなかったな」


「いえ、こちらこそ...」


「実は、最近老眼が進んでてな。 細かい作業が見えにくくなってたんだ」


 おじいさんは苦笑いしながら話した。


「君の指摘は正しかった。 ありがとう」


「とんでもないです」


「でも、次からは言い方を考えろよ。 年寄りは面子が大事なんだからな」


 おじいさんは俺の頭を軽く叩いて笑った。


「はい、気をつけます」


 その後、問題の箇所は修正されて、無事に工事が完了した。


 夕方、家に帰ると、リィナが待っていた。


「どうでした?」


「うまくいったよ。 親方とおじいさんのおかげで」


「良かったです」


 リィナは安心したように微笑んだ。


 夕食を食べながら、俺は考えていた。


 この世界では、正しいことを言うだけじゃダメなんだ。

 相手の立場や気持ちを考えて、適切な方法で伝えることが大切だ。


 そして、一人で抱え込まずに、信頼できる人に相談することも重要だ。


「キイ、今日はとても良い経験をしましたね」


「そうだな。 まだまだ学ぶことがたくさんあるよ」


 リィナとの会話を楽しんでいると、ふと思い出した。


 リィナは毎日冒険者として活動していて、俺よりもずっと稼いでいる。


 それに比べて、俺は土木作業員のまま...


 冒険者になるという目標を思い出した。


 でも、腐毒の森での惨めな体験がまだ心に残っている。


 今の俺なら、少しは戦えるかもしれない。

 でも、まだ自信がない。


「リィナ、君はいつも危険な冒険をしてて、怖くないの?」


「最初は怖かったです。 でも、キイのために頑張らなければと思うと、自然と勇気が湧いてきます」


 リィナの言葉に、俺は胸が熱くなった。


 俺のために危険を冒してくれているのに、俺は安全な場所で土木作業をしている。


 これでいいのだろうか?


「キイ、もしよろしければ、一緒に冒険に行きませんか?」


 リィナが恥ずかしそうに提案した。


「え?」


「キイと一緒なら、きっと楽しいと思います。 それに、キイの実力なら大丈夫だと思いますよ」


 リィナの提案に、俺の心は揺れた。


 確かに、今の俺なら半年前とは違う。


 でも、また失敗したらどうしよう。

 リィナに迷惑をかけてしまうかもしれない。


「う、うーん... もう少し訓練を積んでからにしようかな」


「そうですか...」


 リィナは少し残念そうな表情を見せた。


「でも、いつかは必ず一緒に冒険しようね」


「はい、約束です」


 リィナは嬉しそうに微笑んだ。


 その夜、俺は布団の中で考えていた。


 いつまで土木作業を続けるつもりなんだろう?


 冒険者になるという夢は、いつか叶えられるのだろうか?


 でも、今はまだ準備期間だ。

 もう少し実力をつけてから、本格的に冒険者を目指そう。


 そう自分に言い聞かせながら、俺は眠りについた。


 翌日の朝、いつものように訓練をしていると、リィナが真剣な表情で言った。


「キイ、今のあなたなら、きっと大丈夫だと思います」


「そうかな?」


「はい。 でも、無理はしないでください。 あなたの判断を信じますから」


 リィナの言葉に、俺は少し勇気をもらった。


 でも、まだ踏み出せずにいる。


 あの時の恐怖が、まだ心の奥に残っているからだ。


 でも、いつかは必ず...


 俺はそう心に誓いながら、今日も土木作業に向かった。

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