第13話
翌朝、いつものように工事現場に向かう準備をしていると、リィナが俺の腕を引っ張った。
「キイ様、今日も頑張ってください」
昨日まで警戒していた彼女が、今朝は少し表情が柔らかくなっている。
まだ完全に心を開いてくれたわけではないだろうが、少しずつ距離が縮まっているのを感じる。
「ああ、リィナも気をつけてな」
そう言って家を出ると、いつものように親方たちが待っていた。
「おう、キイ! 今日も頼むぜ」
「はい、お疲れ様です」
最近は言葉もだいぶ慣れてきて、簡単な会話なら問題ない。
現場に着くと、いつものように水魔法で作業用の水を大量に作り、火魔法で石材を温めて作業しやすくする。
「相変わらず便利だな、お前の魔法は」
親方がそう言いながら、俺の肩を叩いた。
「これくらいしかできませんから」
謙遜しながら答えると、親方は笑った。
「謙遜すんなよ。 お前がいなかったら、この工事はもっと時間かかってたぜ」
そんな風に言われると、少し嬉しくなる。
異世界に来てから、初めて人の役に立っている実感が湧いてきた。
作業が一段落すると、親方が俺を呼んだ。
「キイ、ちょっと来い」
「はい、何でしょうか?」
「お前、金に困ってるんだろう?」
突然のことで、俺は面食らった。
「え、なんで分かるんですか?」
「昨日の夜、『翠月亭』で働いてるのを見かけたんだ」
翠月亭は、俺が夜に働いている酒場兼娯楽施設だ。
昼間の工事の仕事だけでは、リィナと二人分の生活費を稼ぐのが厳しくて、夜の仕事も始めたのだ。
「あー、バレてましたか」
苦笑いしながら頭を掻く。
「別に隠すことじゃないさ。 男なら、やらなきゃいけない時もある」
親方の言葉に、少しホッとする。
「でも、あそこは結構危険な場所だぞ。 酔っ払いが暴れることもあるし」
「大丈夫です。 用心棒みたいなこともやってますし」
実際、翠月亭では様々な仕事をしている。
水や火を出す係、下働きの教育係、そして時には酔っ払いを取り押さえる用心棒。
「用心棒だって? お前が?」
親方が驚いた顔をした。
「身体強化のスキルがあるので、意外と頑丈なんです」
「そうか…… でも無理すんなよ」
親方の優しさが身に染みる。
昼休みになると、俺は翠月亭に顔を出した。
昼間は比較的静かで、準備作業や掃除が中心だ。
「キイ、お疲れ様」
店主のオルガが声をかけてくれた。
彼女は40代の女性で、この店を一人で切り盛りしている。
「オルガさん、今日もよろしくお願いします」
「昨日の酔っ払い、よく止めてくれたわね」
昨夜、酔っ払った客が他の客に絡んでいたのを止めたことを言っているようだ。
「当然のことをしただけです」
「謙遜しなくていいわよ。 あなたがいると、店が安全になるの」
そう言いながら、オルガは俺に小さな袋を渡した。
「これは?」
「昨日のお礼。 少しだけど、取っておいて」
袋の中には、普段の給料とは別に小銭が入っていた。
「ありがとうございます」
「それより、あなたの奥さん、とても綺麗ね」
奥さん?
「え?」
「昨日、あなたの家の方角から帰って行く狐獣人の女性を見かけたの。 とても美人だったわ」
ああ、リィナのことか。
「あ、彼女は…… その、奥さんじゃなくて」
どう説明したらいいか分からない。
奴隷だと言うわけにもいかないし。
「照れなくてもいいのよ。 若い夫婦っていいものね」
オルガがにこやかに笑う。
「い、いえ、そういうわけじゃ……」
「あら、まだ結婚してないの? だったら早くしなさい。 あんな美人、他の男に取られちゃうわよ」
確かにリィナは美人だ。
でも、俺たちの関係はそういうものじゃない。
「複雑なんです、いろいろと」
「まあ、そういうこともあるのね」
オルガは察してくれたようで、それ以上は聞かなかった。
午後の工事現場で、親方が俺に話しかけてきた。
「キイ、お前の家族はどうしてるんだ?」
「家族ですか?」
「ああ、故郷にいるんだろう?」
そういえば、俺の過去について詳しく話したことはなかった。
転移者だということは隠しているし、適当に誤魔化してきた。
「故郷は…… 遠いところにあるので、もう帰れないと思います」
「そうか、大変だったんだな」
親方の表情が少し暗くなった。
「でも、今はリィナがいるので大丈夫です」
「リィナ?」
「一緒に住んでいる狐獣人の女性です」
「ああ、恋人か」
また誤解が……。
「恋人じゃないです。 ただの……」
同居人? でもそれだと変だし。
奴隷だと言うわけにもいかない。
「まあ、いいさ。 プライベートなことは無理に話さなくても」
親方が笑ってくれて、ホッとした。
夕方、工事が終わって翠月亭に向かう途中、商店街を通った。
リィナが買い物をしているのを見かけた。
「リィナ!」
声をかけると、彼女は振り返った。
「キイ様、お疲れ様でした」
「買い物か?」
「はい、夕食の材料を」
彼女の手には、野菜や肉が入った袋がある。
「今日は何を作るんだ?」
「野菜炒めと、お肉のスープを作ろうと思っています」
「美味しそうだな」
リィナの料理は、思っていたより上手だった。
最初は心配していたが、基本的な料理はできるようだ。
「キイ様はいつも遅いので、温かいものを食べてもらいたくて」
そんなことを言われると、胸が温かくなる。
「ありがとう。 でも無理しなくていいからな」
「無理なんてしていません。 これが私の役目ですから」
役目、か。
奴隷だから当然だと思っているのだろうか。
「役目じゃなくて、一緒に住んでいる仲間だから、お互いに協力しあえばいいんだ」
「仲間……」
リィナが不思議そうな顔をした。
「そうだ、俺たちは仲間だ」
「仲間……」
彼女がその言葉を繰り返した。
「キイ様は、優しいですね」
「優しくなんかないよ。 当たり前のことを言ってるだけだ」
そんな会話をしながら、俺は翠月亭に向かった。
夜の翠月亭は、昼間とは全く違った雰囲気だった。
酒を飲む客で賑わい、時には歌声も聞こえてくる。
「キイ、今日もよろしく」
オルガに挨拶して、仕事を始める。
まずは客に水を出す係。
魔法で作った水は、いつでも新鮮で冷たい。
「おお、この水は美味いな」
客が満足してくれると、嬉しくなる。
次は、新しく入った従業員に仕事を教える係。
今日は、テーブルの拭き方や客への対応を教えた。
「分からないことがあったら、遠慮しないで聞いてくれ」
「ありがとうございます、キイさん」
若い男性の従業員が、感謝の表情を浮かべた。
夜も更けてくると、酔っ払いが増えてくる。
大抵は大人しく飲んでいるが、時には問題を起こす客もいる。
「おい、もっと酒を持ってこい!」
一人の客が、テーブルを叩きながら大声を上げた。
「申し訳ございません、お客様はもう十分にお飲みになっているので……」
従業員が丁寧に説明しようとすると、客は立ち上がった。
「なんだと! 俺に向かって酒を断るのか!」
これは俺の出番だ。
「お客様、少し落ち着いていただけませんか」
俺が間に入ると、客は俺を見上げた。
「お前は誰だ?」
「この店で働いている者です」
「店員風情が、俺に指図するのか?」
客が俺の胸倉を掴もうとしたが、俺は身体強化のスキルがあるので、簡単に避けることができた。
「お客様、暴力はいけません」
「うるさい!」
客が拳を振り上げたが、俺はそれを軽く掴んだ。
「お客様、今夜はもうお帰りになった方がよろしいでしょう」
「離せ! 離しやがれ!」
客が暴れたが、俺の握力の前では無力だった。
「オルガさん、この方を外まで」
「分かったわ」
オルガと一緒に、客を店の外に出した。
「キイ、ありがとう」
「当然のことをしただけです」
店に戻ると、他の客たちが俺を見ていた。
「おい、あの若造、なかなかやるじゃないか」
「あんな酔っ払いを軽々と止めるなんて」
客たちの話し声が聞こえてくる。
「キイ、今日も助かったわ」
オルガが俺の肩を叩いた。
「これからも、よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしく」
こうして、また一日が終わった。
家に帰ると、リィナが待っていた。
「キイ様、お疲れ様でした」
「ただいま」
テーブルには、温かい夕食が用意されていた。
「いい匂いだな」
「野菜炒めと、お肉のスープです」
リィナが嬉しそうに説明する。
「ありがとう、いただきます」
野菜炒めは、程よい塩加減で美味しかった。
スープも、肉の旨みがよく出ている。
「美味しいな」
「本当ですか?」
リィナの表情が明るくなった。
「本当だ。 リィナは料理が上手なんだな」
「そんな…… 私なんて、まだまだです」
謙遜しながらも、嬉しそうな表情を浮かべる。
「明日も頑張ろうな」
「はい、キイ様も頑張ってください」
こうして、俺たちの新しい生活が始まった。
朝は工事現場で働き、昼は翠月亭の準備を手伝い、夜は翠月亭で様々な仕事をこなす。
金銭的にはまだ厳しいが、リィナと一緒に頑張れば何とかなりそうだ。
それに、この街の人たちは温かくて、俺たちを受け入れてくれている。
異世界に来てから、初めて安心できる生活を送ることができそうだ。
でも、まだ冒険者になりたいという夢は諦めていない。
いつかは、リィナと一緒に冒険に出たい。
そんなことを考えながら、俺は眠りについた。
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