第7話
宿の薄暗い部屋で、俺は毛布を頭まで被って丸くなっていた。
外では人々の活気ある声が聞こえてくるが、俺にはそれが遠い世界の出来事のように感じられる。
あれから二日が経った。
二日間、俺は部屋から一歩も出ていない。
食事は宿の主人が運んでくれるパンと薄いスープだけ。
味なんてどうでもよかった。
「はぁ……」
深いため息が漏れる。
腐毒の森での惨敗が頭から離れない。
毒々しい緑色のスライムにさえ攻撃が当たらなかった自分。
蛇型の魔物の腐食攻撃に慌てふためいて、みっともなく逃げ回った自分。
情けない。
本当に情けない。
現代日本にいた頃の俺はそれなりに運動はできていた。
体育の授業では中の上くらいの成績だったし、心疾患があるとはいえ、普通の高校生活を送っていた。
それなのに、いざ実戦になると何もできなかった。
「冒険者なんて、俺には無理だったんだ……」
呟きながら、枕に顔を押し付ける。
もう三日目になるのか。
時間の感覚が曖昧になっている。
その時、扉がノックされた。
「キイ殿、お食事をお持ちしました」
宿の主人の声だった。
いつものように黙って受け取ろうとしたが、主人は扉越しに話し続けた。
「キイ殿、お客さんがお見えです。工事現場の方だとおっしゃっていますが」
工事現場?
俺は毛布から顔を出した。
確かに、異世界転移してから王城で検査を受けた後、少しだけ冒険者ギルドに顔を出していた。
その時に工事関係の仕事があることは聞いていたが、まさか直接会いに来るとは。
「少し待ってください」
俺は慌てて起き上がり、最低限身なりを整えた。
鏡を見ると、髪はぼさぼさで顔色も悪い。
でも、今の俺にはこれが精一杯だった。
扉を開けると、宿の主人と一緒に、日焼けした筋骨隆々の男性が立っていた。
年齢は四十代後半といったところか。
作業着のような服装で、手には厚い革手袋をはめている。
「初めまして、冒険者ギルドから紹介されて参りました。工事現場の監督をしております、グランと申します」
グランと名乗った男性は、俺の様子を見て少し眉をひそめた。
それはそうだろう。
三日間引きこもっていた人間がまともに見えるわけがない。
「あ、えっと……安倉キイタです。キイと呼んでください」
「キイ殿ですね。実は、城壁の拡張工事で人手が足りなくて困っているんです。ギルドで聞いたところ、キイ殿は魔法が使えるとか」
魔法?
ああ、初級魔法のことか。
確かに水と火くらいなら出せる。
でも、それがどう工事に役立つのか想像がつかない。
「一応、初級魔法は使えますが……」
「それは助かります! 工事現場では水の確保が大変なんです。それに、火も溶接作業に使えるかもしれません」
グランの目が輝いた。
どうやら、俺が思っている以上に初級魔法は実用的らしい。
「でも、俺は工事の経験なんてありませんし……」
「大丈夫です。最初は見習いからで構いません。日当は銀貨三枚。食事付きです」
銀貨三枚!
俺は思わず目を見開いた。
これまでの生活費を考えると、かなりの金額だ。
でも、それと同時に現実が頭をよぎった。
宿代は一日銀貨一枚。
食事代も含めると、もう一週間もすれば手持ちの金は底をついてしまう。
武器や防具、回復薬に散財したのが痛い。
特に防具は腐食攻撃で使い物にならなくなってしまい、売っても二束三文にしかならなかった。
「……分かりました。やらせていただきます」
俺は重い口を開いた。
冒険者になるという夢は諦めたくないが、まずは生活していかなければならない。
「よし! それでは明日の朝、城壁の南側工事現場に来てください。日の出と共に作業開始です」
グランは満足そうに頷いた。
そして、俺の肩を軽く叩く。
「キイ殿、落ち込んでいるようですが、人生には浮き沈みがあるものです。今は辛くても、きっと良いことがありますよ」
その言葉に、俺は少し救われた気がした。
グランが去った後、俺は久しぶりに窓を開けて外の空気を吸った。
翌朝、俺は約束の場所に向かった。
城壁の南側は、想像以上に大規模な工事現場だった。
既存の三層の城壁の外側に、さらに新しい城壁を建設している。
「おお、キイ殿! 来てくれましたね」
グランが手を振って俺を呼んだ。
周りには二十人ほどの作業員がいる。
みんな筋肉質で、日焼けした逞しい体つきをしていた。
「皆さん、新しい仲間のキイ殿です! 魔法が使えるそうですよ」
作業員たちがこちらを見る。
その視線に、俺は緊張した。
「魔法使いか。珍しいな」
「工事現場に魔法使いなんて初めて見たぜ」
「どんな魔法が使えるんだ?」
質問攻めにあって、俺は困惑した。
でも、悪意は感じられない。
純粋に興味を持ってくれているようだった。
「えっと、水と火の初級魔法が使えます」
そう答えると、作業員たちの間でどよめきが起こった。
「水魔法! それは助かるぞ!」
「火魔法も使えるのか! すげぇな!」
思った以上に歓迎されて、俺は戸惑った。
現代日本では普通の高校生だった俺が、ここではちょっとした重宝される存在らしい。
「よし、それでは早速作業に取り掛かりましょう。キイ殿、まずは水を出してもらえますか?」
グランに言われて、俺は初級魔法を発動した。
手のひらに水球を作り、用意された容器に注ぐ。
「おお……」
作業員たちが感嘆の声を上げる。
俺にとっては当たり前のことだが、彼らにとっては神秘的な光景らしい。
「これで水汲みに行く手間が省けるぞ!」
「魔法使いがいるなんて、俺たちも出世したもんだ」
作業員たちの明るい声に、俺の心も少し軽くなった。
でも、それも束の間だった。
実際の作業が始まると、俺の無力さが露呈した。
重い石材を運ぶのも一苦労。
セメントを練るのも上手くできない。
指示されたことの半分も理解できない。
「おい、キイ! そっちじゃない! こっちだ!」
「何やってんだ! それじゃあ石が崩れちまうぞ!」
怒鳴り声が飛び交う。
俺は汗だくになりながら、必死についていこうとした。
しかし、言葉の壁も大きかった。
専門用語が理解できず、何度も聞き返すことになる。
そのたびに作業が止まってしまい、他の作業員に迷惑をかけてしまった。
「すみません、すみません……」
俺は何度も謝った。
でも、謝っても作業効率は上がらない。
昼休みになると、俺は一人離れた場所で座り込んでいた。
体力的にも精神的にも限界だった。
心疾患があるとはいえ、ここまで体力がないとは思わなかった。
「キイ殿、どうしました?」
グランが俺の前にやってきた。
手には水の入った容器を持っている。
「すみません、足手まといになってしまって……」
「最初はそんなものですよ。誰でも通る道です」
グランは俺の隣に座った。
そして、水を差し出してくれる。
「でも、魔法は本当に助かっています。水を出し続けてくれるおかげで、作業効率が上がりました」
「本当ですか?」
「ええ。それに、火魔法も使えるんでしょう? 後で溶接作業を手伝ってもらえるかもしれません」
グランの言葉に、俺は少し希望を持った。
完全に無力というわけではないらしい。
午後の作業では、俺は主に水魔法を使った補助作業に回された。
セメントを練るための水を供給したり、作業員の飲み水を作ったり。
単純な作業だが、確実に役に立っている実感があった。
「キイ、もう少し水を頼む!」
「こっちも水が足りないぞ!」
あちこちから声がかかる。
俺は必死に走り回って、水魔法を使い続けた。
超健康スキルのおかげで、疲労はすぐに回復する。
魔法の消費も少ないので、半永久的に水を出し続けることができた。
「すげぇな、キイは全然疲れないじゃないか」
「魔法使いってのは体力も化け物なのか?」
作業員たちが驚いている。
俺は苦笑いを浮かべた。
魔法使いの体力が凄いんじゃなくて、超健康スキルのおかげなんだけど、それを説明するのは面倒だった。
日が暮れて、ようやく作業終了の時間になった。
俺は汗だくになりながらも、なんとか一日を乗り切った。
「お疲れ様でした、キイ殿」
グランが俺に日当を渡してくれた。
銀貨三枚。
約束通りの金額だった。
「明日もお願いします」
「はい、よろしくお願いします」
俺は頭を下げた。
冒険者になるという夢は遠のいてしまったが、まずは生活を安定させることが先決だった。
宿に帰る途中、俺は城壁の工事現場を振り返った。
まだまだ完成には程遠いが、少しずつ形になっているのが分かる。
その建設に、俺も微力ながら貢献している。
なんだか、悪くない気分だった。
冒険者としては落ちこぼれかもしれないが、工事現場では必要とされている。
それだけでも、生きていく意味があるような気がした。
「明日も頑張ろう」
俺は小さく呟いて、宿への足取りを軽やかにした。
新しい生活の始まりだった。
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