第6話
準備万端、俺は意気揚々と宿を出発した。
朝の空気は清々しく、鳥の鳴き声が響いている。
まさに冒険の始まりにふさわしい日和だった。
しかし、腐毒の森に足を踏み入れた途端、その考えは甘かったことを思い知らされる。
まず、匂いがヤバい。
腐った卵を百個くらい一気に割ったような悪臭が鼻を突く。
思わず鼻を押さえたが、匂いは容赦なく嗅覚を攻撃してきた。
「うっ......これは想像以上だな」
森の入り口から数メートル進んだだけで、すでに後悔し始めている。
しかし、今更引き返すわけにはいかない。
俺には「超健康」と「健康」スキルがある。
毒なんて怖くないはずだ。
そう自分に言い聞かせながら、さらに奥へと足を進めた。
最初に遭遇したのは、紫色に光るスライムだった。
こいつが毒々しい色をしている理由は、実際に毒を持っているからだと一目で分かる。
体の表面からは紫色の煙がもくもくと立ち上っていた。
「よし、最初の相手はスライムか。初心者の敵としては定番だな」
俺は購入したばかりの剣を構える。
スライムなんて、ゲームでも最弱の敵だ。
楽勝だろう。
そう思っていたのが間違いだった。
スライムに向かって剣を振り下ろす。
しかし、ぷるぷると震えるスライムは、俺の攻撃を軽やかに避けてしまった。
「え?」
慌てて再び剣を振るうが、またもや空振り。
スライムは俺の足元をくるくると回りながら、まるで俺をからかっているかのように動いている。
「ちょっと待てよ、なんで当たらないんだ!」
必死に剣を振り回すが、一向に命中しない。
それどころか、スライムの方から体当たりをされてしまった。
「うわあああ!」
紫色のスライムが俺の足に激突する。
すると、足の部分の防具が一瞬で変色し、嫌な音を立てて溶け始めた。
「毒だ! 毒を受けた!」
慌てて防具を確認すると、スライムが触れた部分が腐食している。
しかし、肌に触れた毒は「超健康」スキルによって瞬時に治癒された。
「よし、毒は効かないぞ!」
調子に乗った俺は、再びスライムに向かっていく。
しかし、結果は同じだった。
攻撃は一向に当たらず、逆にスライムからの攻撃ばかり受けてしまう。
十分ほど格闘した結果、俺の防具はボロボロになっていた。
スライム相手に苦戦するなんて、想像していなかった。
「くそっ、思ってたより強いじゃないか」
息を切らしながら、俺はスライムを睨み付ける。
スライムも俺を見つめ返しているような気がした。
まるで「お前、弱すぎない?」と言っているかのように。
その時、背後から嫌な音が聞こえてきた。
シャーーー。
振り返ると、緑色の長い体を持つ蛇型の魔物が現れていた。
その口からは、毒々しい液体が滴り落ちている。
「マジかよ、今度は蛇!?」
蛇型の魔物は俺を見つめると、口を大きく開いた。
そして、勢いよく液体を吐き出してくる。
「危ない!」
俺は慌てて横に飛び退く。
しかし、バランスを崩してしまい、地面にゴロンと転がってしまった。
「うわああああ!」
転がりながらも、なんとか液体の直撃は避けることができた。
しかし、防具の肩の部分にかすってしまう。
ジュウウウウ。
嫌な音と共に、防具の肩部分が錆びて腐食していく。
まるで強力な酸をかけられたかのように、みるみる溶けていった。
「やばい、やばいぞこれは」
もしもあれが肌に直接かかっていたら、「超健康」スキルがあっても痛いことになっていたかもしれない。
蛇型の魔物は再び口を開く。
今度は確実に命中させる気だった。
俺は必死に立ち上がろうとするが、転んだ拍子に足を捻ってしまったようで、うまく動けない。
「くそっ、立てない!」
蛇型の魔物が液体を吐き出す瞬間、俺は観念した。
しかし、その時、スライムが俺の前に飛び出してきた。
「え?」
スライムが蛇の液体を受け止めてくれた。
いや、受け止めるというより、スライムも攻撃されてしまったのだ。
しかし、その隙に俺は立ち上がることができた。
足の痛みは「超健康」スキルによって瞬時に治癒される。
「助かった......って、なんでスライムが」
よく見ると、スライムと蛇型の魔物は敵対関係にあるようだった。
縄張り争いか何かだろうか。
俺は二匹の魔物が争っている間に、そっと後退する。
もう戦う気力は残っていなかった。
「今日はここまでだ」
俺は踵を返すと、森の入り口に向かって歩き始めた。
しかし、心の中では完全に折れていた。
スライム一匹すら倒せない。
そんな現実を突きつけられて、俺の冒険者への夢は早くも暗雲に包まれてしまった。
森を出る頃には、防具はボロボロになっていた。
剣も一度も魔物に当たることなく、ただ振り回しただけだった。
「何が冒険者だよ」
自分の不甲斐なさに腹が立つ。
病気は治ったけれど、戦闘能力は全く向上していない。
むしろ、これまで激しい運動を避けて生活していた分、体力も筋力も一般人以下だった。
宿に戻る道すがら、俺は深いため息をつく。
道行く人々が俺の姿を見て、クスクスと笑っているような気がした。
「あの人、魔物と戦ったの?」
「防具がボロボロじゃない」
「一体も倒せなかったのかしら」
実際に聞こえているのか、俺の被害妄想なのかは分からない。
しかし、恥ずかしさで顔が真っ赤になってしまった。
宿に着いた頃には、すっかり日が暮れていた。
部屋に入ると、俺はベッドに倒れ込む。
「はあ......」
天井を見上げながら、今日のことを振り返る。
毒は効かなかったが、それ以前の問題だった。
攻撃が当たらない、敵の動きについていけない、バランスを崩してしまう。
基本的な戦闘能力が圧倒的に不足していた。
「スキルがあっても、使う奴が弱けりゃ意味ないってことか」
当たり前のことだが、今日初めて実感した。
いくら「超健康」で毒が効かなくても、攻撃を当てられなければ意味がない。
そもそも、俺は運動が苦手だった。
心臓病の影響で、激しい運動は控えるように言われていたからだ。
体育の授業も見学が多かった。
そんな俺が、いきなり魔物と戦えるわけがない。
「でも、どうすればいいんだ?」
訓練が必要なのは分かっている。
しかし、お金がない。
武器や防具、回復薬を買ったせいで、懐はかなり寂しい状況だった。
宿代だって、あと数日分しか残っていない。
このままでは、冒険者になる前に路頭に迷ってしまう。
「うーん、困った」
俺は枕に顔を埋める。
異世界に来て、まだ一週間も経っていない。
それなのに、すでに挫折感を味わっている。
しかし、諦めるわけにはいかない。
元の世界に戻る方法は分からないし、この世界で生きていくしかないのだ。
ならば、冒険者になるしかない。
他に選択肢はない。
「明日も頑張るか」
そう呟いて、俺は目を閉じた。
しかし、なかなか眠れない。
今日の屈辱的な戦闘が頭から離れなかった。
スライムに翻弄される自分の姿。
蛇型の魔物に怯える情けない姿。
そして、一匹も倒せずに逃げ帰った惨めな結末。
「くそっ、思い出すだけで腹が立つ」
でも、怒っているだけでは何も変わらない。
明日はもっと慎重に、もっと計画的に行動しよう。
そう決意して、俺はようやく眠りに就いた。
しかし、夢の中でもスライムに追いかけられる始末だった。
異世界での生活は、思っていたよりもずっと厳しいものになりそうだ。
翌朝、俺は早めに起きた。
昨日の反省を活かして、今日こそは魔物を一匹でも倒してみせる。
そう意気込んで宿を出ようとしたが、鏡に映った自分の顔を見て愕然とした。
「目の下にクマができてる」
昨日の疲れと精神的なダメージが、しっかりと顔に現れていた。
「超健康」スキルがあっても、心の傷は治せないらしい。
「よし、今日こそは」
そう呟いて、俺は再び腐毒の森へと向かった。
しかし、心の奥底では、また同じことの繰り返しになるのではないかという不安が渦巻いていた。
果たして、俺は本当に冒険者になれるのだろうか。
その答えは、まだ分からない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます