SCENE#184 坂本巫女のどこまでも不都合な初詣参拝客

魚住 陸

坂本巫女のどこまでも不都合な初詣参拝客

第一章:開門五分前、あるいは静寂の処刑台








二〇XX年十二月三十一日、午後十一時五十五分。

東京都の最果て、Googleマップでさえ「本当にここに行くのですか?」と再確認してくるような秘境に位置する「日暮(ひぐれ)神社」の空気は、マイナス五度の極寒と、爆発寸前の異常な緊張感に満ちていた。








「……なんで、こうなったのよ。ねえ、お父さん。これ、現実?」








本職は売れないフリーランスのイラストレーター、副業(という名の強制労働)として実家の神社の「雇われ巫女」を務める坂本美香(二十六歳、独身、趣味はネット掲示板の監視)は、緋袴(ひばかま)の下に極暖タイツを三枚重ね履きし、カイロを全身に十二枚貼り付けた状態で、門の向こう側に蠢く「巨大な黒い影」を凝視していた。









日暮神社は、本来なら地域住民の老人が数人、生存確認を兼ねて参拝に来る程度の「枯れた」神社だった。しかし、三日前に自称・霊感系インフルエンサーが「ここの『縁切り』はガチ。浮気相手の連絡先が消えただけでなく、自分のスマホのデータが全消去され、ついでに借金まで消えた(自己破産)!!」という、絶妙にニュアンスの狂ったポストを投稿。これが「最凶の強制デトックス・パワースポット」として三千万インプレッションを突破し、全国から「自分にとって不都合な何かを消し去りたい」という、業の深い参拝客が押し寄せてしまったのだ。








「美香、落ち着くんだ。お賽銭箱の補強は終わった。防犯カメラも三台増設したぞ!」









宮司である父親(六十一歳、重度の腰痛持ち)が震える声で言う。








「お父さん、そういう問題じゃないのよ。あの行列、見てよ。信じられない!目が血走ってるわよ。みんな神様に祈りに来たんじゃない、『神様を殴ってでも願いを叶えさせに来た』顔をしてるわよ!」








「わ、分かっている。だが、お賽銭の『QRコード決済』の導入が間に合わなかったのが、今の若者にどう受け止められるか……」









「今さら何を言ってるの! 開門よ! 地獄の門の閂(かんぬき)を外すのよ!」








午前零時。坂本が巨大な木製の閂を外した瞬間、静寂は「ウォォォォ!」という、ゾンビ映画の冒頭シーンのような凄まじい咆哮にかき消された。










第二章:キラキラ・インフルエンサーと、欲望の広角レンズ







開門と同時に雪崩れ込んできたのは、信心のかけらもない「承認欲求の化身」たちだった。その筆頭が、フォロワー数だけは水増しで多い美容系インフルエンサーの「美々(みみ)」だ。彼女は零下五度の境内に、なぜかノースリーブのワンピとファーコート、そして高さ十五センチのピンヒールという、物理法則と生物学的生存本能を完全に無視した格好で現れた。









「えーっ、待って! ここ、ガチでエモくない? 超絶サイコー! 巫女さん、ちょっとそこに立って! 手を合わせて、こう、儚(はかな)げな表情して! フィルターかけるから、もっと白く! 幽霊っぽく!」








「……参拝客の皆様、自撮り棒を他の方の眼球に突き刺す行為は、当神社の禁止事項となっております…」








坂本はデッドアイ(死んだ目)で対応するが、美々は止まらない。








「ちょっとー、もっと笑顔! 『神の加護、受け取って?(はぁと)』って言って! じゃないと、タグ付けして『対応塩すぎ、マイナス五千万点、絶対行かないほうがいい』ってストーリーに上げちゃうよ?」








坂本は、脳内で「営業妨害および名誉毀損による民事訴訟」という文字を高速でレンダリングした。

さらに不都合なことに、美々は持参した業務用並みの巨大なポータブル送風機を回し、境内の掃き清めたばかりの落ち葉を強引に舞い上がらせようとした。









「風に舞う落ち葉と私! これが『縁切り』のメタファーなの! わかる?」









「メタファーにする前に掃除をしてください! それと、その強風のせいで、さっき並べた一回五百円のおみくじが全部飛んでいきました! 全部『大吉』しか入れてないんだから、拾った人は勝手に自己責任で幸福になってください!」









坂本は叫んだが、その声は美々の自撮りライトの爆光と、彼女がBluetoothスピーカーで流す爆音のEDMにかき消された。一人の巫女対、数千のスマホ。戦力差は歴然だった。坂本の「正月休み」という名の概念は、開始五分で宇宙の彼方へと消滅した。











第三章:伝統原理主義者の「こだわり」という名の暴力








インフルエンサーの波が一段落した午前二時。次に現れたのは、美々とは真逆のベクトルで不都合な存在、自称・伝統文化評論家(無職)の源蔵(七十五歳)だった。彼は坂本が差し出した甘酒(一杯五百円、原価六十円、紙コップ提供)を一口飲むなり、それを地面に叩きつけ、歌舞伎のような見得(みえ)を切った。








「けしからん! 万死に値する! この甘酒には『魂』が入っておらん! 米麹の糖化温度が、私の舌の記憶によれば一度低い! それに巫女の君、君のその巫女装束は何だ? 化学繊維の匂いが鼻に突く! 幕末の記録によれば、巫女はもっと……」








「おじいさん、ここは博物館じゃありませんし、今は二〇XX年です。それと、その叩きつけた甘酒は、清掃料と精神的苦痛への慰謝料込みで二千円頂戴します。現金のみです!」








「何んと! 伝統を守る正義の味方に対して金を要求するのか! 昔は、神社といえば地域コミュニティの核であり、無料配布が当たり前だったぞ!」








源蔵の「昔はこうだった、今の若者はこれだから困る」トークは、深夜の極寒の中で、終わりのない独白劇(モノローグ)と化した。彼は自分の後ろに並ぶ、寒さで顔を青くした行列など微塵も眼中にない。








「おじいさん、後ろの人がそろそろ凍死して、うちの神社の『縁切り』の最初の実績になりそうです。はやく、どいてください!!」








「黙れ! 伝統を理解せん者が、神に仕える資格はない! さあ、今すぐ火を起こせ! 本物の薪による焚き火だ! 燃料は樹齢百年以上の……」








「うちの山、国有林なんで勝手に木を切ったら私が警察に連行されます! それと、火の用心って言葉、知ってますか? 消防署が私の顔を見るたびに『またお前の実家のバカ親父がボヤ騒ぎを起こしたのか』って顔をするんですよ!」








坂本は源蔵を強引に脇へ退かそうとしたが、老人は驚異的な体幹(伝統の力)で地面に踏ん張った。

不都合な客の共通点。それは「自分の世界観以外を認めない」という、鉄壁の自己中心性だ。坂本は空を見上げた。オリオン座が「お前の人生、今年も詰んでるぞ…」とキラキラ笑っているように見えた。











第四章:崖っぷち婚活女子の、血塗られた願掛け








午前四時。睡魔と寒さで坂本の意識が「涅槃(ねはん)」を通り越して「虚無」に近づきかけた頃、日暮神社の本分である「縁切り」を求めて、一人の女がやってきた。名前は愛美(仮名、三十八歳、婚活歴十二年)。彼女の両手には、どこで仕入れてきたのか、巨大な藁(わら)人形と、鈍く光る五寸釘、そして日曜大工用の金槌が握られていた。








「巫女さん……ここに、あいつの名前、書いてもいいですか? 浮気して、私の老後のための貯金をすべて競馬の三連単に突っ込んで消し飛ばした、あのクズの名前を……!」








「お客様、ここは神社です。呪いの代行センターでも、闇のギルドでもありません。それと、その五寸釘は銃刀法違反に抵触する恐れがあるので、一旦お預かりします…」








「ダメです! これを刺さないと、私の新しい一年が始まらないんです! 『縁を強制的に切り刻む』ってSNSで話題だったじゃないですか! 嘘なんですか!? 嘘なら今ここで私が藁人形になりますよ!?」








愛美は狂乱状態で、拝殿の歴史ある朱塗りの柱に藁人形を叩きつけ、釘を打ち込もうとした。坂本は、反射的にラグビー部顔負けのタックルで彼女を制止した。巫女としての矜持ではなく、単に「建物の修繕費が払えない、火災保険の等級が下がる」という経済的本能による行動だった。








「落ち着いてください! クズとの縁を切る第一歩は、そのクズのために自分の手を汚さないこと、そして自分が犯罪者にならないことですよ! ほら、この『縁切り・特製デトックス・ミラクルウォーター(ただの水道水を沸騰させたもの)』を飲んで!」








「これ……本当に効くんですか? 私、幸せになれますか……?」








「ええ、これを飲んで、その藁人形を『燃えるゴミ』として適切な分別で捨ててください。そうすることで、あなたの過去のキャッシュがクリアされ、人生が再起動(再起動)されるんです。……嘘ですけど、そう思わないとやってられないでしょ!?」








坂本の悲痛な魂の叫びが通じたのか、愛美は号泣しながらお湯を飲み、藁人形を差し出した。坂本は思った。神様、あなたの仕事、いくらなんでもハードすぎませんか。なんで私が、深夜に元カレの呪いを処理してカウンセリングまでしなきゃいけないんですか。お賽銭の五円玉一枚で、数千万円の借金と人生の負債をすべて清算しようとする参拝客。その厚かましさの方を、まず強制的に縁切りしてやりたかった。










第五章:企業戦士たちの「KPI(神の評価指標)」







夜が白々と明け始めた午前六時。境内に現れたのは、全員が寸分違わぬ黒いスーツを纏い、軍隊のような足並みで進軍してくる不気味な一団だった。新進気鋭のITコンサル企業「デストロイ・ソリューションズ」の経営陣一行である。彼らは参拝に来たのではない。「神というリソースをビジネスパートナーとして再定義」しに来たのだ。








「巫女さん、我が社は今年、御社(神社)と戦略的パートナーシップを締結し、DX化を推進したいと考えている…」








社長と名乗る、目が笑っていない三十代の男が、本坪鈴(ほんつぼすず)を鳴らす代わりに、最新型の折りたたみ式タブレットを提示した。








「我が社が開発した『徳(トク)・ブロックチェーン』を導入すれば、参拝客の徳を数値化し、トークンとして発行できる。賽銭もすべて暗号資産で受け付け、ガス代(手数料)の四割を我が社が頂く。どうだ、神の可視化とマネタイズだ!」








「あの……丁重にお断りします。うちは神様との『一対一のアナログ接続』を大切にしております。それに、神様に手数料を請求するほど、うちの神様はベンチャー精神に溢れておりませんから…」








「古いな、巫女さん。これからは、神もKPI(重要業績評価指標)で管理される時代だ。参拝客一人当たりのLTV(生涯顧客価値)を計算し、リピーターには『神の加護・サブスクリプション・ゴールドプラン』を提供すべきだ。顧客満足度が下がれば、神の入れ替え(リストラ)も検討材料になる……」








「地方を創生する前に、私の睡眠時間を創生してください! 帰ってください! スーツを脱いで、全裸で滝に打たれて脳内のアルゴリズムを洗浄してから出直してこい!!!」








坂本は、授与所(じゅよしょ)のカウンターを全力で叩き、彼らを追い払った。しかし、彼らは去り際に「次回の定例ミーティングでアジェンダに載せておきます」という、不気味な呪文を吐き捨てていった。情報武装した現代の怪異――それは、古来の怨霊よりも、はるかに厄介で、どこまでも不都合な存在だった。










第六章:外国人観光客の、フリーダムすぎる「和」の誤解







午前八時。境内のカオスは、いよいよグローバルな領域へと突入した。大型バス三台で乗り付けてきたのは、某国からのツアー客二百名。彼らのリーダーであるジョン(自称・日本アニメの伝道師)は、手水舎(ちょうずや)の前で、全巫女が震撼する行動に出た。








「オー! ミコ! ジャパニーズ・温泉、ベリー・ナイス! ワンダフル・おもてなし!」








ジョンは、参拝前に手を清めるための聖なる水で、堂々と顔を洗い始め、あろうことか靴下を脱いで足を浸け始めたのだ。








「ストップ! ストップ! そこは足湯じゃありません! それは神聖なプレ・クレンジング・ウォーター、神様の御前に行くための消毒エリアです!」








「ノー・プロブレム! 私は日本のアニメ『ニンジャ・スレイヤー』で見た! 水を被る修行、これのコンパクト版だろう? オー、なんてビューティフル・和心(わごころ)!」








和心という言葉の誤用も甚だしい。さらに、他の観光客たちは、授与所のお守りの「御利益(ごりやく)」を、ピザのトッピングか何かと勘違いし始めた。








「縁切りお守りに、交通安全と安産をトッピングしてくれ。プリーズ、プリーズ!最強の攻撃防御バフ(強化)をかけた最強のアクセサリーにしたいんだ。あと、クリティカル率も上がりま〜スカ?」








「ノー・ノーお守りはゲームの装備品じゃありません! 縁を切りながら安産とか、論理的に宇宙が崩壊するでしょ! 産まれる前に縁が切れたら、それはもうホラー映画ですよ!イッツ・ホラー厶ービー〜」







坂本は、中学レベルの英語と激しいボディーランゲージを駆使し、彼らのフリーダムすぎる信仰心(という名の観光欲)を制止しようとした。しかし、ある観光客は拝殿の巨大な鈴を見て「これを全力で叩けば、隠しボスのように神が降臨するのか?」と尋ね、またある者は、境内に敷き詰められた砂利を「聖なる石(パワーストーン)」として、持参したバケツ一杯に詰め込んで持ち帰ろうとした。








「あぁ……私の掃除の手間を省いてくれるのはありがたいけど、砂利はうちの神社の貴重な資産なんです……! 返してよ! その石、ただのホームセンターで買ったやつだから!」








坂本は、もはや突っ込む気力さえ失い、境内の端にある樹齢三百年の杉の木に頭を預けて、そっと目を閉じた。国際化。それは、多言語で「不都合」を突きつけられ、文化摩擦という名の火花で巫女装束が燃えそうになる、試練以外の何物でもなかった。











第七章:元旦の残骸、あるいは勝利なき夜明け







正午。初詣のピークがようやく過ぎ、境内には、強風に舞う美々の自撮り用小道具のゴミと、源蔵が叩きつけた甘酒の染み、そして愛美が捨てていった藁人形の「燃えカス」だけが残された。坂本は、ボロボロになった緋袴の裾を引きずり、拝殿の階段に力なく座り込んでいた。頬には、謎のガムがこびりついている。








「美香、お疲れ様。大盛況だったね。お賽銭箱、あまりの重さに底が抜けそうだったよ。これで今年の固定資産税も払えるし、新しいエアコンも買えるかもしれないぞ!」








父親が、腰を摩りながら満面の笑みでやってきた。








「お父さん……これ、全部一円玉と五円玉だったら、銀行の預け入れ手数料で赤字になるわよ。それに、中身を確認するのが怖いわ…」








坂本は、震える手でお賽銭箱の重い鍵を開けた。

そこには、千円札や五千円札に混じって、数枚の「子供銀行券」と、不気味な呪いの手紙、そして「自分の不幸を買い取ってください」と書かれた借用書、さらには「ビットコインの秘密鍵(と称する謎の文字列)」が投げ込まれていた。








「……神様、やっぱり、本当に縁を切るべきなのは、この救いようのない参拝客たちだったみたいですね…」








坂本は、重い腰を上げて竹ぼうきを握った。不都合な客たち。彼らは神を信じているのではない。自分の醜い欲望や、歪んだ正義感、あるいは空虚な承認欲求を肯定してくれる「都合のいい自動販売機」を求めているだけなのだ。だが、ふと、拝殿の柱の隅を見ると、一枚の小さな付箋(ふせん)が貼ってあった。








『巫女さん、深夜に寒い中、笑顔で(?)対応してくれてありがとうございました。甘酒、体にしみました。おかげで、今年は少しだけ前を向いて歩けそうです。頑張ってください。』








それは、あの源蔵でも、美々でも、愛美でもない、誰か名もなき、静かに祈って去っていった参拝客の言葉だった。








「……ったく。こんな、たった数行の救いのために、私はまた来年も、地獄の門を開けちゃうんでしょうね…」








坂本は、その付箋をそっと剥がし、懐にしまい込んだ。煩悩にまみれた参拝客を、また来年も、全力でいなして、全力で叩き出す。それが私の「和心」よ、と。








「坂本巫女の戦いは、まだ始まったばかりなんだから!」








快晴の冬空の下、坂本の叫びが、ゴミだらけの境内に、無意味に、しかし高らかに響き渡った。新年の空気は、冷たく、そしてどこまでも不都合で、清々しかった。坂本は、自分の今年の運勢を占うため、最後に残ったおみくじを一枚引いた。









『凶。願望:叶わぬ。健康:不眠。待ち人:来るが、ろくな奴ではない。商売:損あり』








「……完璧ね。今年も、日暮神社は平常運転よ!」








坂本は、そのおみくじをこれ見よがしに御神木に結びつけ、新年の第二歩(一歩目はもう踏み出していた)を踏み出した。地獄のような正月が終わり、地獄のような一年が、今、高らかに産声を上げたのである…

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