第2話 処女作。

出囃子が鳴る。


子鉈の「どうもー」という掛け声と共に、ステージに上がる。その背中を眺めながら一抹の不安と共に、後悔としかし期待のようなものを胸に抱く。駆け足の子鉈についていくように、こそこそと歩きながら登場し、お客さんの視線を確認した。お客さんは同じ奴が出てきたぞという反応を見せていた。同じ奴が出てきているのだから当然だった。


ステージにはサンパチマイクが用意されていて、それを子鉈と挟むようにして立った。今にも話し始めそうな子鉈のセリフに先んじて、僕は「また会いましたね」とお客さんに向かって言う。春日みたいになったけど、まあ仕方ない。先ほどのステージの熱がまだ残っているのか、クスクスと笑い声が上がる。そんな中で子鉈は笑いをかき消すように「あのー」と言って、会話の主導権を取り戻した。


「わたくしの方がですね。クラスの委員長でして」


子鉈は自己紹介を始める。転校してきたときはそんなことなかったのだけど、いつの間にか子鉈は委員長キャラを獲得していた。そもそも黒縁メガネが似合う顔立ちだったから、委員長キャラも良く似合っていた。 僕は「そうですね。委員長ですね」とだけ小さく相槌を打った。ちなみに、本物の委員長は別にいる。


子鉈から舞台に上がる前に言われていたのは、ツカミが終わったらコントインするからわたしのボケに上手にツッコんでねということだった。これじゃあ即興漫才のようなものだった。歴戦の漫才師でも即興でやって面白くなるのは難しい。子鉈は常に自信あり気な表情だったけど、何か秘策があるのだろうか。


「こちらの方がですね、佐々木宏人さんという方でして」


子鉈は少しだけ屈んでから僕をみんなに紹介するようなジェスチャーをする。妙にこなれた漫才仕草のおかげか、観客の視線が僕の方にグッと集まった。堂々として大きな声を出せば自分に注目を集めることができるのは知っているが、相手に注目を集める方法もあるらしい。


「あ、はい。そうですけど、なんですか?」

「あのー、見ての通りの普通の男子高校生なんですけど」


その通り。僕は平凡は男子高校生だった。これから子鉈は集めた注目を利用して僕で大喜利をするのだ。期待値というのかな。ウチの学校のお笑いブームのキッカケとなった子鉈が、漫才で見せる最初のボケ。もしかしたら歴史に残るんじゃないかとか、伝説が始まるんじゃないかとか、そんな風に思うこと自体、強烈なフリだったんだろうな。全員が息を呑んだと思う。


「ツイッター保存ランキングでエッチな動画見てます」

「見てるわけないだろ!」


ツィィィィィィイイイイイン。


等身大の男子高校生から飛び出した一世一代の渾身のツッコミだったと思う。冷え切った鉄に爪で触れたような無音が鳴り響いて耳を劈く。一瞬何が起こったのか分からなかったけど、冷ややかな風が頬を撫でるとスベっていると自覚した。普通の下ネタならまだよかった。ちんちんが小さいとか。流石に子鉈のボケが尖りすぎている。そもそもツイッター保存ランキングなんて言葉が女の子の口から出ていいのだろうか。

 

まあ確かに面白いけど、これで笑えるわけがない。隣を見れば知り合いがいるこの状況で、このボケで笑ったら自分がツイッター保存ランキングの存在を知っていると周囲の人間に伝えているようなものである。笑うことにリスクが伴っている。僕たちを見る観客の目はまるで敵を見るかのようになっていた。


最悪だ。

もうステージから逃げ出してしまいたかった。


「まず僕は漫画派なので。動画あんまり見ないんですよ」

「あ、そうですか?」

「見るとしても、あのー、ポルノハブとかですよ」

「え、素人まとめじゃなくて?」

「素人まとめではないですね。素人フェチってわけでもないですからね」


雑談に花が咲いたようなフォローの時間もスベり続けていた。それなりに面白いやり取りができていたとは思うけどな。お客さんの熱が冷めきったのを感じる。ツンドラに裸で立っている気分だった。


「そもそも僕はですね……」


次の言葉を溜める。


「プロでシコりますから」


僕は口をマイクに近づけ、手でジェスチャーを付けながら決め台詞のように言った。少しの間、決め顔のままスベり続けている時間があった。その時間は極限まで熱された鉄を金槌で叩いて鍛造するかのようで、僕の心は研ぎ澄まされた日本刀のようになっていたと思う。先ほど笑うことにリスクが伴うなんてことを考えたが、そもそも舞台に上がる人たちは全員、リスクを背負って立っている。


子鉈は「プロシコー?」と首を傾げてから、「ま、そんなことよりですよ」と話し出した。顔を見るとすこぶるニヤニヤしていた。自分と一緒に堂々とスベってくれる人間の存在がいてくれて、嬉しくてたまらないって表情だった。正直、全てがアドリブだったので子鉈が何を言うのか分からない。そんなスリルのなかで、子鉈は「競馬っていいですよね」と続けた。まともな話題にちょっとだけ安心する。


「競馬ですか? 流行っているのは分かりますけど未成年で競馬って。お金を賭けられないわけですから」


子鉈は「いやいや」と僕の意見を否定した。


「競馬の魅力ってギャンブルだけじゃないですよね。色んなドラマがありますから、純粋にスポーツとしても楽しんでいる人も多いと思いますよ。ねえ?」


子鉈はお客さんに同意を求めた。お客さんはすでに心が離れてしまっているので、このヤバイ女に同意してなるものかと無反応を貫いていた。子鉈は負けじとステージの一番近くに座っていた野球部の一人に向かって「ねえ?」ともう一度尋ねた。その生徒は苦笑いを浮かべていた。


「まあ、たしかにそうかもですね」

「あの、お金を賭けるのも面白いとは思うんですけど。お金持ちの人はですね、馬主さんになれます」

「馬主。はいはい」

「馬を購入して、レースで走らせるんですけど、どの馬が走るのかというのは、本当に分からないものでして。その道のプロでも判断ができないんですよ。3億円とかで購入した馬が、全く走らなかったり、逆に300万円とかで購入した馬が10億円稼いだり」

「はあ、すごい世界ですね」

「佐々木くんね、将来はお金持ちになりたいですよね?」

「まあ、それは、はい」

「じゃあ、馬主になったときのために練習しておいた方がいいね。ここで馬を購入するときの感じをやってみるから、お金持ちになったつもりで馬を買いに来てください」

「あ、行けばいいのね」


子鉈は頭を下げながら、コソコソと少しだけ後ろに下がりコントに入る。同時に僕もコントの世界に本人として登場する。


「よし、お金持ちになったぞ。馬を購入しよう」

「あ、どうも。オーケー牧場の高木です」

「オーケー牧場? あ、本当に存在しているんですね」

「今日は、馬を買いに来た感じで?」

「あ、はい。そうです」

「いい馬が揃ってますから。この子なんてどうですか?」


子鉈は下手の方にちょっと移動して手で前足を表現する。


「ヒヒーン」

「あ、元気が良い馬ですね」


子鉈は上手の方にちょっと移動してオーケー牧場の高木の立ち位置に戻る。


「彼は15歳の男の子の馬ですね」

「あ、同い年ですね。これはいいじゃないですか。この子にしたいです」

「人間の年齢で言うと、45歳くらいですね」

「おい、おっさんじゃねーか!」

「元気なおじさん。げじさん」

「チェンジで!」


子鉈は下手の方にちょっと移動するけど、馬のジェスチャーではなく普通の人間のような感じで「どうも」と言った。


「あれ、ずいぶん人間らしいですけど」

「ウマ娘です」

「あ、ウマ娘でした」

「ブレイキングダウンで無双します」

「チェンジで!」


子鉈はまた普通の人間の感じになる。


「どうも、武井壮です」

「ええ? 本物ですか?」

「馬の倒し方、いきます」

「倒しちゃだめだろ」


武井壮を演じる子鉈は手先を伸ばし、腕を直角に曲げた。


「え? なんですか? 倒し方」


子鉈は独特なステップを踏み出す。どこかで見たことのあるステップだった。


「ダンソン!」

「えぇ?」

「フィーザキー! ドゥーザ! ディーサーザコンサ!」

「はあ?」

「ニーブラ!」


子鉈は僕の首をニーブラで占めた。十分な時間を使って笑いを待つ。もちろん笑いはおきていない。ただただスベっていることを確認するだけの時間があった。その冷たさにも慣れたものだったが、何か気圧とか重力とか不思議な負担が身体に掛かっているのか、胃の方から何か込み上げてくるものがあった。


子鉈のニーブラが解け、コントの世界が崩壊する。


「馬を買うときは武井壮を呼ぼう」

「いや、ぜったい違うだろ」


二人で声を揃えて「ありがとうございました」と言った。ステージの裏へと駆け足で掃ける。背中に感じるお客さんの冷たさから早く逃れたかった。ステージ裏の暖かさたるや。寒暖差とか気圧の変化とかなんやらでおかしくなりそうだった。僕はすぐそこにあった壁に手を付いた。

 

しんどかった。げろ吐きそう。


基本的に僕は小心者だったのだ。それが少しの勇気を振り絞るだけでおよそ漫才を一つ披露する時間くらいは、そんな自分から逸脱することだって可能だってだけだ。僕の目の前には満足そうにスキップをしている子鉈がいた。とんでもない漫才に巻き込まれてしまったな。子鉈のような奇人変人に付き合っていると精神が持たない。正直、彼女と漫才をするのはもうこりごりだった。


下を向いて項垂れている僕の肩がとんとんと叩かれる。振り返るとそこにいたのは、幼馴染の女の子、渡美沙わたりみさだった。彼女は文化祭実行委員だったのでステージ裏にいるのも当然だ。色素の薄い尼削ぎの髪で絶対絶妙にセーラー服が似合い、普段は表情に乏しい彼女がこのときはクスッと笑って首を傾げた。


「面白かったよ?」


口をパクパクさせることしかできない僕に今度は子鉈から「おーい」と声がかかる。子鉈の方を振り向くと、一時的に防御力がゼロになっている状態の僕にとびきりの笑顔でこう言った。


「佐々木宏人くん。わたしと正式にコンビを組んで、漫才をしてくれないかな!」


僕は小さく頷いた。

 


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