週末だけ異世界の勇者になる俺は、女神を救うために現実を生きる

東雲

第1話 プロローグ・日常

濁流でもない、清流でもない。

程よく深く、程よく浅い。

神名川はそんな川だ。

山間にあるため、週末ともなればレジャー客でごった返す。

河原でバーベキューをする大学生。

上流で渓流釣りを楽しむ大人たち。

そして、川遊びに興じる子供たち。

宇都宮波琉うつのみやはるも、その中の一人だった。

父方の祖母の家に遊びに来ていて、従兄弟か近所の子供か――誰かと一緒に川へ来たのだ。

「思ったより深いな」

それが、波琉の最初の感想だった。

小学校三年生にしては大柄で、スイミングにも通っている。

水は怖くない。

だからこそ、油断した。

一歩踏み出した先の石が崩れ、足が深みに落ちた。

川はプールとは違う。

流れがある。

波琉はあっという間に流れに呑まれた。

「たす……た……たすけ……」

声にならない声。

顔を上げれば水を飲み、立ち泳ぎをする余裕もない。

流れは強く、ただ必死に手足を動かすしかなかった。

どれほど流されたのか。

二百メートルほどだろうか。

大量の水を飲み、波琉は意識を手放した。


――その時、声が聞こえた。

男と女が言い争っている。

「何をする気ですか!? 神世ガーデンに来てしまった人間を戻すなど……」

「仕方あるまい! ここに人間が来たなど知られてみろ! 私は笑い者だ! 次の管理者会で何を言われるかわからん!」

「ですが、死した魂を戻すなんて……」

「えぇい、黙れ! この私が戻すと言っているのだ!」


次に波琉が目を覚ましたとき、そこは病院のベッドの上だった。

無機質な室内灯。

清潔な白い壁。

腕に繋がれた点滴のチューブが、妙に印象に残った。

目を覚ました瞬間、母親が泣きながら怒ってきた。

――お母さんを泣かせてしまった。

その事実が、幼い波琉の胸に鋭い棘のように刺さる。

もう二度と、僕のせいで誰かが泣くようなことはしない。

悲しませたりしない。

その時芽生えた感情は、呪いだったのか。

それとも、決意だったのか。


その日を境に、波琉は半年に一度ほどの頻度で不思議な夢を見るようになった。

ある時は、時代劇に出てくるような武士。

ある時は、不思議な街で探偵をしている自分。

またある時は、ゲームのようなファンタジー世界で剣を振るう勇者。

どの夢も妙にリアルで、子供心にワクワクした。

そして――どの夢にも、必ず“アイ”と名乗る少女がいた。

あまりにも鮮明すぎて、小学生の頃は現実と夢の区別がつかず、

目を覚ました瞬間に泣いてしまったこともある。

中学生になる頃には慣れたもので、

「ああ、この時期か……」

と妙に納得するようになっていた。

高校に入ってからも、その夢は半年に一度のペースを保っていた。

――しかし。

高校三年に上がる春休み、異変が起きた。

連続で夢を見たのだ。

最初は武士の夢。

翌日は探偵の夢。

三日目はファンタジー世界。

三日連続は初めてで、さすがに動揺した。

そして結局、春休みが明けるまで毎日のように夢を見続けた。


***


春休みが明けた。

今年の始業式は金曜日。

朝の教室は、妙なざわつきに包まれていた。

「職員室に見慣れない人がいた」

そんな噂がクラス中を飛び交っている。

クラス替えがなかったため、仲の良いグループが自然と固まり、

「転校生らしいぞ」

「この時期に?」  

と、あちこちで話題になっていた。

「こんな時期に珍しいよな……転校生だってさ」

波琉の前の席に座るクラスメイトが話しかけてくる。

中学時代からの悪友、御影雄一みかげゆういちだ。

「あー。変な時期だよなぁ……もう卒業だぜ」

「可愛いかな!?」

身を乗り出し、鼻息荒く雄一は続けた。

「なんで女子って決定してんだよ……あと可愛くてもお前は相手にしてもらえねーよ」

つっけんどんに返す。

この男は二言目には「モテたい!」と騒ぐのだ。

身嗜みは整っているし清潔感もある。黙っていれば顔もいい。

――ただ、性格が実に残念。

鴨宮高校“”の一人に数えられている。

(あとの二人は、そのうち出てくるだろう)

「どんな子かな〜深窓の令嬢系かな〜。あ、元気ハツラツっ子とかもいいな〜」

下卑た笑み……と言うと大げさだが、高校生男子特有のエロい妄想に浸っている。

「だからお前は相手にしてもらえねぇよ……あ、先生きたぞ」

「お、ついにご対面! 可愛い子来いよぉ……」

ガラッ、と教室の前のドアが開く。

黒縁メガネの教員が生徒名簿を片手に入ってくる。

その後ろには――黒髪だが、光の加減で銀色に輝いて見える髪の少女がついてきていた。

現実感の無い、透明度が高いというのだろうか?どこか神秘的な雰囲気さえ漂わせている。

そして、伏し目がちで、少し緊張しているのが遠目からでも分かる。

「あれ……?」

思わず、波琉の口から声が漏れた。

「ん? どした? 一目惚れ??」

「ちげーよ……いや、なんでもない」

(なんでだ……? あの子、知ってるような気がする)

教員がお決まりの「静かにしろ!」と一喝するが、まったく効果がない。

男子の色めき立ち具合も相当だが、なぜか女子までうっとりと恍惚の表情を浮かべている。

「お人形さんみたい……」

「うわ、すげぇ美人……」

「スタイル良いなぁ……」

ざわめきは一向に収まらない。

「お前ら、いい加減にせんかい!」

教員が再度一喝。

関西弁が出た。これは本気でキレる寸前だ――と、教室が一瞬で静まり返る。

ごほん、と一つ咳払いして、教員が続けた。

「お父さんの仕事の関係で、急遽この春から引っ越してきた転校生だ。仲良くするように! じゃあ、自己紹介してくれ」

「あ、はい」

少女が一歩前に出る。

黒髪――だが、光の加減で銀色が差す。不思議な髪色。

伏し目がちで、緊張しているのが遠目からでも分かる。

「はじめまして。竜胆りんどう あいと言います! 先週こっちに引っ越してきたばかりで何も分からないので、美味しいスイーツのお店とか知ってたら、ぜひ教えてください」

教室がざわつく。

男子はもちろん、女子まで息を呑んでいる。

「あー、席は……宇都宮! お前の隣、空いてるよな? あそこに座りなさい」

波琉は思わず息を呑んだ。

(……知ってる。どこかで、あの子を)

「…よろしくね」

ニコリと微笑むその顔を波琉は知っている

(あの薄い青い瞳…アイ…だ)

緊張なのか、そうではない違和感なのか…波琉は返事を返す事が出来なかった。

「こいつ美人に緊張してるみたいだから気にしないでね!俺は雄一!御影雄一!よろしくね」

いかにも軽い雰囲気を漂わせ、雄一が愛に気軽に話し掛ける

「あ、うん…だいじょぶ」

若干の気恥ずかしさと雄一の前のめりに引いている感じで愛はチラリと波琉に視線を向ける。

「よ、よろしく…」

素っ気なく波琉は答える。

その素っ気なさがかえって意識していると言う表現になっているのだが、本人はまるで気が付かない。

悪友で妙に察しのいい雄一だけが「おや?」といった顔で微笑む。

「ところで聞いていいのかな? なんでこんな時期に転校してきたの?」

「えっと……父の仕事の関係で――」

「では、ホームルーム始めるぞ」

「やべ……おい、波琉! 愛ちゃんに見とれてないで号令! お前、日直だろ!」

「みとれてねーよ! ……起立!」


*****


その日は始業式だけだったので、早々に帰宅時間となる。

ロングホームルームが終わるや否や、愛はあれよあれよという間にクラスメイトに囲まれた。

「どこから来たの?」

「なんでこんな時期に!?」

「好きな食べ物は?」

「彼氏いる??」

矢継ぎ早の質問に、愛は気圧されて「えと」「あの……」としか答えられない。

波琉は深くため息をつき、荒々しく椅子を引いた。

ガタン、と大きな音がして、教室が一瞬静まり返る。

自分でも、なぜこんなに苛立っているのか分からない。

ただ――なんとなく。

なんとなく気に入らないのだ。

(まったく、何をそんなに浮かれているんだ……この間の失態だってまだ挽回していないというのに……雄一もそうだが、愛はお役目があるというのに……)

「……は?」

突如浮かんだ思考に、波琉は小さく頭を振った。

こめかみがズキリと痛んだ。

まるで、別の誰かの記憶が流れ込んでくるような――。


********


結局その日は愛と話す事も無く、雄一と他愛もない話をして帰路につく

昇降口で靴を履き替え、校門に向かったところで人影に気が付く。

「あの…宇都宮くん…だよね?」

その人影は先程教室の話題の中心に居た人物。愛だった。

「ちょっと聞きたいことがあって…」

呆けて返事を出来ずにいると、愛がすごすごと続けた。

「き、聞きたい事ってなん――」


(宇都宮様でございますね…お館様からの申し付けがございます。些事ではありますが、一度お屋敷にお越しくださいませ)


「で…すか…?」


銀髪の巫女装束の女と愛が重なる幻覚を見る。

伏し目がちで落ち着いている雰囲気のその女性と愛が重なる。

印象は全然違うのに、何故か同じ人に感じる。

眼の前の現実がぐにゃりと歪んでいる気がする。

地面に足が着いているのかも定かでは無い。


「あのさ……私たち、どこかで会ったことある?」


ざわり、と春の風が吹き抜けた。


「いや……無いと思うけど……?」


「そ、そうだよね! 変なこと聞いてごめんね。じゃあまた明日」


愛はそれだけ言うと、足早に立ち去っていった。


呆然と立ち尽くすしかない波琉の背中に、冷たい汗が一筋流れ落ちた。


****


その日は何もする気が起きず、帰宅するなりベッドに倒れ込んだ。


制服をハンガーに掛けなければとか、

明日からの新学年の準備をしなければとか、

やるべきことはいくらでもある。


だが、強烈な倦怠感と眠気が波琉を襲う。


この眠気には――抗えない。


視界が暗く沈み、意識が落ちていく。


****


「ハル殿!? 聞いておられますか、ハル殿!!」


目を瞑り船を漕ぐハルに、銀髪の少女が怒鳴りつける。


「んあ? おぉ、悪い悪い。半分寝ておったわ」


ゆったりと目を開け、ハルは刀を手元に寄せる。


「目を瞑り船を漕いでおられたと言うのに半分なのですか……?

ハル殿が全部寝るとどうなるのでしょうね」


「おいおい、そんな怒るな怒るな……」


大あくびを一つ。目の端に涙が溜まるが気にも留めない。


「安心しやれアイ殿。此度も暁丸で切り捨ててしまいじゃ。

なーんも腐心するこたぁありゃせん」


からからと快活に笑い、湯呑みのほうじ茶をぐいと飲み干す。


「勇一様と共に出張った討伐は失敗したではありませんか」


ハルはブフッと茶を吹き出す。


「そ、それはだな……」


「言い訳は無用でございます!」


ピシャリと言い放つアイ。


(あぁ……これは夢だ。一回目に見る、あの夢だ)


****


時は江戸時代、化政文化が花開き始めた文化元年。


天下泰平とはいえど、悪党は跋扈する。


泰平を乱すのは何も人間だけではない。


東には悪鬼。

西には魍魎。

北には妖怪。

南には悪神。


それらを総じて――妖異と呼んだ。


妖異を退治できるのは、同じく妖異の力を扱う者のみ。


霊刀【暁丸】を佩き、

天下泰平を阻む悪党・妖異を斬る素浪人。


さぁ、百花繚乱綾錦。

いざやいざやと始まりますれば。


―――繚乱編。


第一幕「霊刀を佩く素浪人」


いざ、開幕。

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