2.《M》の世界

《M》について詳しく描写することはとても難しい。

 誰も見たことがないかどうかは知らないが、少なくともわたしは見たことがないし、見たことがある人にも出会ったことはない。

 

 どういった見た目をして。

 どういった生態を持っており。

 どういった社会を形成するのか。


 わたしたちを絶滅に追いやろうとすることのモチベーションに何があるのかを含めて、わたしは知らない。首都にいる歴史部や調査部ならば情報を持っているのかもしれないが、だとしても、いやむしろそうであるならば、わたしみたいな使い捨ての末端にはとうてい知り得ないことだ。

 そもそも《M》に遭遇した人間はまず間違いなくもうこの世には存在できない。

 《M》によって破壊されたコロニーの一つの跡を見たが、ああいうのはもはや殺すとは言わない。


 地面に抉り取ったような穴が空いていた。

 

 そこにいた人々はもちろん例外なく死んでしまった。

 そこに生まれていた死は、わたしたち人間が怨や恨のような感情を元にして引き起こす個としての死ではなく、嵐が木々を薙ぎ倒すような個を無視した純然たる蹂躙であり、厄災であり、どんな感情にも晒されない寂しい死だった。憎悪さえ愛しくなるんじゃないかと思えるくらいに孤独な死。自然の猛威に動機や目的といった感情、意志、思惑を読み取るなんてできない。わたしたちができるのは、ただ迫り来る暴力に対して内側から湧き出る恐怖を感じることだけ、噛み締めるだけだ。

 

 だから、わたしは《M》について知らない。

 けれど《M》の配下のことなら知ってる。

 ビーと呼ばれる、存在するべきでない醜悪な生命たちだ。

 

 ビーたちの形状や機能には一定の傾向に基づいたグルーピング──空を飛ぶとか、二本足で歩くとか、毒があるとか、切断した腕がまた生えるとか、亀に似ているとか、蝙蝠に似てるとか──がされることはあり、それぞれの種別ごとに推奨される効率的あるいは効果的な対応策があるものの、とはいえ、最終的に殺されるべきであるという点はどれもこれも同じであり、であれば瑣末なことなんてどうでもいい。


 殺せばいい。

 それだけ。


 幸いにして、あいつらは殺せる。

 刃物を突き立てれば皮膚を突き破って内臓を破損させられるし。

 水に沈めれば呼吸器と体液循環の機能に致命的な損傷を与えられるし。

 油をかけて火をつければ苦しんだ鳴き声を出させて消し炭にさせられる。


 痛めつけたら痛がり、殺せば死ぬ。

 不死ではなく、苦痛やその恐怖から自由というわけではないあいつらは、わたしたちよりも殺傷能力の高いフィジカリティを持っているだけであり、言ってしまえばそれだけだが、わたしたちの実際的な生活においては《M》よりもこのビーの方がリアリティがあり、脅威と言える。


 正直にいえば《M》のことも、《M》を打倒することにも興味はあまりない。そこにわたしのモチベーションはない。

 《M》はあくまでも一体しかおらず、しかもこの世界──《M》自身によって100以上に分割されたこの大陸──を飛び回って《Y》を探していて、わたしたちのことなんか気にかけていないが、かえってビーは際限なく増え、際限なくわたしを弄ぶための選択肢を持っている。つまり食べて栄養にしたり、暇つぶしに殺したり、種子の苗床にしたりがそれであり、《M》が立てている人間を殲滅するプランの実動的なロールをビーが担っており、あいつらはそれを本能に基づいて実行していく。


 だから殺さなきゃいけない。

 痛めつけなきゃいけない。

 苦しめて苦しめて苦しめて、与えた苦痛と恐怖が深く強くあいつらの遺伝子に刻み込まれ、あいつらという種全体にそれが伝播し、生まれ落ちたその瞬間から生を後悔するようになるまでに追い込まなくていけない。

 それがわたしたちの生存戦略であり、とるべき反抗。


 の、はずなのに──。


 「おいっ」


 と、気づけばわたしの身体は後ろに引き倒されて、木漏れ日が顔に当たっている。息が荒く、身体の部位のどこか、もしくは身体の奥のどこかが震えている。興奮して、高揚している自分を感じる。

 息を整えて、ゆっくりと周りの様子を伺う。

 森、木々、草花、昆虫、土、落ち葉。

 それから生物の残骸。

 ディーがわたしを見下ろしている。なるほど、どうやらディーに引っ張られて倒れたらしい。


 「なに」とわたし。

 「何じゃねえよ。何してんだ。もうとっくに死んでるだろ」

 わたしの足元に転がってる塊をアゴでしゃくり、とても不快そうな顔をする。さっきまでわたしが滅多刺しにしていた人型のビーのことを言っているのだろう。なかなかに強い個体だった。でも麻痺剤を打ち込んだら動きは鈍ったので、その後は手足をもぎ、怯えながら鳴き声を出しているその顔を刺した。何度も、何度も。

 わたしは黙って起き上がり、さっきまで生きていたゴミに近づいて言う。「だめ?」

 そして、それの上に脚を乗せ、踵に力を込めると、刺され過ぎてぐちゃぐちゃになった肉の塊はゆっくりとわたしを受け入れていく。肉と腱と骨が潰れ、一つ一つの細胞の壁が潰れ、個を保っていた境界が崩され、わたしという勝者に侵されていく。今やわたしのくるぶしくらいまでが、それの顔面に飲み込まれている。


  「イカれてる」と、ディーは言った。

 

 舌打ちをして、彼は歩いていく。

 先ほど遭遇したビーの一群との戦闘の影響は、彼にはあまり見えない。プロである彼にとって戦闘において省エネは優先度が高く、だからこそ早期に、的確に、ビーを片付けていく。

 わたしとは目的が違うのだろう。

 ずぶんっ。

 と、わたしの脚はビーの後頭部を貫通し、地面に届く。


 出発してから二日が経っていた。

 《Y》のいるコロニーには、まだ辿り着いていない。

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