幕間 光の女神
『くっ……。闇の神界よ、妾に仇なす外敵を退け、永久(とわ)に閉じよ!』
姉の意識が霧散していく中、その消滅と引き換えに神界の外郭が封鎖されたのを、マーキュリアスは神覚で察知した。
異分子である自分を闇の神界から弾き出すため、外部からの干渉を完全に断絶したのだ。
(神界の崩壊に巻き込まれると厄介ね……)
崩れゆく神界を見渡し、消えゆく姉に目を向ける。
神格外装の殆どが損壊し、光の粒子へと還りつつある姉。どんなに無念に満ちた顔で逝くのかと、マーキュリアスは嘲笑を浮かべてその瞳を覗き込んだ。
「っ!?……っ」
だが、姉の顔に悔恨の色は微塵もなかった。それどころか、彼女はマーキュリアスを、震えるほど愛おしげに見つめていたのだ。
理解が及ばず、呆然と立ち尽くす。
姉は、何かに祈るようにゆっくりと、静かに瞼(まぶた)を閉じた。
「……この位相に、お姉様はいらないの。私(光)だけが存在すればいいのよ……」
(これでよかったのよ。同じ位相に神は私一人で十分。……なんなのよ、このモヤっとした気持ちは)
──思考の波に、一瞬だけ飲まれた。
再び姉の最期を見やる。今度の彼女は、血が滲むほどに唇を噛み締めていた。
(そう! 私はその顔が見たかったのよ! もっと悔しがりなさい!)
やがて、存在が完全に消失するその刹那。
姉は、春の陽だまりのような笑みを浮かべ、一粒の涙を頬に伝わせた。
そのまま光の残渣となって、あまりにも儚く消えていった。
(…………)
私は後悔しない。間違っていない。
「姉妹ごっこは、もう終わり。お姉様……永遠にさようなら」
最後まで見届けた彼女は、胸に沸く不快な感情に無理やり蓋をした。無理に気持ちを切り替え、冷え切った達成感を愉悦だと言い聞かせる。
崩壊を始めた闇の神界に巻き込まれるのを嫌い、自身の神界へと急ぎパスを接続。神領界跳躍術式を展開し、統治する光の神界へと帰還した。
光の宮殿に戻ったマーキュリアスは、豪奢なソファに身を投げ出した。だが、脳裏には姉の最期の表情がこびりついて離れない。
頭を振って思考を振り払おうとするが、胸のつかえは取れなかった。生まれて初めて味わう感情に、彼女は戸惑うばかりだった。
(え〜い! どうしたっていうのよ!? お風呂に入って気分転換よ!)
浴槽に浸かりながら、視覚を光の位相界の外へと投じる。闇の神界は既に崩壊したのか、そこには底知れぬ虚無が広がっていた。
(神格が消滅したら、神界も何もかも消えちゃうの……!?)
マーキュリアスは愕然とした。あまりの衝撃に浴槽の床で滑り、頭まで湯船に浸かってしまう。
慌てて飛び出し、即座に身体を乾かして衣服を纏った。
「……ど、どういうことなのよ!? 崩壊した後の神気やリソースはどこへ行ったのよ!」
彼女の目論見では、闇の神界そのものをリソースとして取り込み、光の神界を全位相まで拡大するつもりだったのだ。だが、目の前にあるのはただの「無」だった。
膝から崩れ落ちる。永きに亘って戦い続けた日々が、虚無の中に消えていく。
(……お姉ちゃん……)
〜〜〜〜〜〜
姉が消滅してから、果てしない時が流れた。
母なる世界からのエネルギー供給も、徐々に減りつつある。
理由は、分からない。
思い当たるのは姉の消失。それ以来、何もかもが空転していた。母なる世界を模して世界を創造しても、そこに生命が宿ることはなかった。
何が足りないのか。答えはいつも、姉の不在に突き当たる。
(お姉ちゃんの言う通り、光と闇で一柱の神だったのかな……。今さら、手遅れだけど……)
もはや何をする気力も起きず、ソファにもたれて、だらしなく足を投げ出した。
かつて姉がいた場所、今は虚無となったあの空間に、気まぐれに視覚を飛ばした。
直後、全身に電撃が走った。驚愕に目を見開き、言葉を失うほどの衝撃を受ける。
「えっ! ウソ! 闇の神界が……復活してる!?」
ソファから飛び起きる。
即座に神領界跳躍術式を展開したが、術式は無情にも弾かれた。世界の「理(ことわり)」そのものが、彼女の侵入を拒んでいる。
何度も術式を組み替え、理を書き換えようとしても、外郭に触れることすら叶わない。
だが、諦めることなどできなかった。
諦めることなく、幾億の時を費やした。
ある時、マーキュリアスは気づいた。復活した闇の神界は、もはや神界ではなく「母なる世界」と同質の波長を放っていることに。
それは、生命の鼓動だった。
「うっそ〜〜〜!?」
自分には成し得なかった偉業。姉は消滅の果てに「母なる世界」の域へと至り、新たな世界を産み落としたのだ。
世界に愛し子が誕生すれば、その祈りによって神の位階はさらに上がる。
(これじゃ、本末転倒じゃない……。私は最初から間違ってたのね。これだけ拒まれているのが、その答えよね……)
全てを悟った彼女は、後悔と懺悔の日々に沈んだ。
姉が創造した世界から溢れ出る「記憶の欠片」を拾い集め、その中を覗き見ること。それが、孤独な光の女神の唯一の日課となった。
──生命が溢れ、女神の写し身が誕生した。
「きゃぁ〜〜〜!! お姉ちゃんやったね! 愛し子が誕生したわよ!」
──文化が育まれ、文明が誕生した。
「へぇ〜、文明ができるまでってこんなに時間がかかるんだ。せっかくできても、あんな統治じゃ滅びを待つだけよね」
──魔王が倒され、冥王の粛清が行われた。
「魔王って阿呆よね、天使に騙されるなんて。あれは冥王……ううん、星の調整者かしら。人間ってだめね。お姉ちゃん、なんで干渉しないの?」
──そして……闇の女神が、転生した。
「えっ!? お姉ちゃん!! 転生したの!? 全然回復できてないじゃない! それに……権能が変わってる。闇と光の女神……? 道理で、私一人じゃ生命を創れなかったわけだ……。……私も、お姉ちゃんの世界に行きたい!」
(赦してくれるか分からない。でも、お姉ちゃんの傍にいたい。今度こそ、支えたい!)
光の女神は、自身の神格魂を除いた全ての神界、神気、そして神威をエネルギーへと還元し、母なる世界へ祈りを捧げた。
「私は、お姉ちゃんに取り返しのつかないことをしました。もう神じゃなくていい。ただ、転生したお姉ちゃんの傍に行かせてください。私の全ての権能を、お姉ちゃんに譲渡します」
幾日も、幾年も。
真摯に、ただ姉を想って祈り続けた。
姉が転生して3年が過ぎた頃。
祈りの果てに、マーキュリアスはふわりとした浮遊感に包まれた。瞼を開けると、そこにはかつて焦がれた「姉の世界」が広がっていた。
──母なる世界は、彼女の願いを聞き届けたのだ。
神の魂ではなく、一介の「普通の魂」への転落。
それでも構わなかった。いや、それこそが姉への贖罪なのだと受け入れた。
かつて光の女神だった魂は、新たな母体に宿り、静かに産声を上げる日を待つ。
──姉との再会は、そう遠くない未来。
引き合う魂に導かれ、物語は再び動き出す。
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