第4話 聖母テティア

​ 腰まで届くレッドブロンドの髪と、凛とした美貌。


 アーレス公爵夫人テティアは、寝ていたはずが、いつの間にか純白の虚無が広がる不可思議な空間に立っていた。


 地平線まで何もないその場所には、太陽さえ存在しない。ただ、全体が柔らかな光を放っていた。 


​ 「……夢かしら?」


​ 独り言が静寂に溶ける。背後に気配を感じて振り返ったテティアは、言葉を失った。


 そこにいたのは、八枚の漆黒の翼を背負い、夜の深淵を紡いだような黒髪を靡かせる、絶世の美女。


 額に白銀のサークレットを戴くその姿からは、抗いがたい神性が溢れていた。


 テティアは圧倒され、自然と膝をついて祈りの姿勢を取る。


 その瞬間、内側から熱い何かが膨れ上がる感覚を覚え、自身の魂がこの超常の存在に感応していく。


​ 漆黒の女神は優しく微笑み、鈴を転がすような声で語りかける。


『すまぬな頭を上げてくれ、大切な話しがあって、お主を精神世界に来てもらった。妾はこの世界の創造主、女神アフロディーテじゃ』


​ テティアが驚きに目を見開くと、女神は何もない空間に猫脚の椅子と円卓を鮮やかに生み出し、座るよう促した。


 差し向かいで座ると、宙に浮いたティーポットからカップへ、香ばしい紅茶が注がれる。


 女神ははにかみながら、この世界への羨望と、永きに渡る孤独を思念を送り語り始めた。


​ 温もりと愛を求める切実な想い。胸の奥に秘められた幼い焦燥。


 その永遠に近い孤独と寂しさから擦り切れる心を共有する思念を観て、女神の独白を聴くうちに、テティアの胸は締め付けられるような憐憫に焼かれた。


​『そこでお主を妾の「母」として、この世界に転生しようと考えたのじゃ』


「……私が、女神様の母に?」


『そうじゃ。何十億年もの時を経て、妾の器として足る適性を持ったのは、世界で唯一、お主だけだったのじゃ…』


​ 何十億年という絶望的な孤独。女神の寂しげな微笑みに、テティアの中に眠る母性が静かに、だが力強く目を覚ます。


​『無理にとは言わぬ。嫌なら断ってもよいのじゃ。お主の時間は有限で妾は無限じゃ。妾はまた次の機会を待つだけじゃ。』


​ 自分を慮って微笑む女神。だがテティアは気づいていた。この高潔な神が求めている「」がどのようなものか、まだ正しく理解できていないのだと。


 テティアは深く意識を沈め思考する。


 しっかりと覚悟を決め、真剣な眼差しで、女神の瞳を見つめ、凛とした声で告げた。


​「分かりました。あなたの母となりましょう。」


『本当か!? 妾のようなものでもよいのか!』


「はい。ただし、条件があります。」


『条件とな? 』


「女神としてではなく、私の娘として、厳しく躾けます。それでもよろしいですか?」


​ 女神は呆気に取られた後、花が綻ぶように笑った。


『宜しく頼む、妾をそなたの子として欲しい』


 女神の聖母として、育む過程で神に近しい存在となり、世界の加護がその身を守ると告げた。


「聖母……私が、神に近い存在に……?」


​ 衝撃の余韻に浸る間もなく、歓び勇む女神は立ち上がり、テティアの胸にそっと手を添えた。


 驚いたテティアもまた、意図を組み、その細く白い手を、自身の両手で優しく包み込む。


 瞬時、女神のオーラが光輝き、テティアの胸の一点に収束し、テティアの体内へと吸い込まれた。


 包み込んだ手の甲に、八枚の翼を模した紋章が浮かび上がる。


​『それは妾の加護の証。念じれば消えるゆえ、安心せよ』


​ 女神は、手を解きテティアを愛おしげに抱きしめた。テティアもその温もりを、安らぎと共に受け入れる。


 神々しいオーラを肌に感じ、慈しみを込めて女神の背に手を回した。


​『何と呼んでいいのか分からぬが……は、母上…、次にお会いするのを楽しみにしておるぞ……』


​ 耳を赤くする女神を見て、テティアは「クスッ」と笑い、耳元での囁きを最後に、意識が白く染まっていく。


 女神の全身が光に溶け、テティアの下腹部へと吸い込まれていった。多幸感と、わずかな焦燥。


 熱い輝きが自身の内で静まっていくのを見つめながら、テティアはゆっくりと瞼を閉じた。


​~~~~~~


​ 胸の高鳴りで目が覚めた。

 見慣れた寝室。窓の外はまだ暗い。


​「……夢、だったの? それとも……」


​ 起き上がったテティアは、自身の右手を目の高さに掲げた。


 そこには――夢で見た通り、八枚翼の紋章が刻まれていた。彼女が小さく念じると、それは吸い込まれるように肌の下へと消える。


 現実だったのだ。


 右指でお腹をそっと撫でれば、そこには確かに、愛おしい命の灯火が宿っているのを感じる。


​「母上、なんて……照れた女神様も可愛かったな…。」


​ 女神が去り際に残した言葉を思い出し、テティアは自身も少し照れくさそうに、だが確かな幸福感を込めて微笑んだ。


 彼女が窓のカーテンを開けると、朝焼けの光が山々を照らし、領都の街並みを黄金色に染め上げていく。


 それは、一柱の女神と、一人の母による――世界の新たな始まりを告げる夜明けだった。




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