第2話 命の重さ
一方、この世に生を受けた女神の転生体は、困惑の渦中にいた。
安らぎに満ちた母体の中、テティアが注いでくれる無償の愛に触れる毎日。孤独だった彼女の心は、日を追うごとに融解し、初めて知る温もりと愛に満たされていた。
しかし、その安息は突如として破られた。
初めて経験する出産の衝撃。窮屈な揺り籠から未知の世界へと押し出され、彼女はあわあわと慌てるしかなかった。
言葉も喋れず、視界も覚束ない。だが、母体を通じて感じたテティアの力強い覚悟を受け取り、彼女はかろうじて理性を保ち、人としての「第一歩」を踏み出したのである。
だが、待っていたのは祝福の喝采ではなかった。
不穏な空気を察した産婆たちは、後片付けもそこそこに部屋を辞そうとしたが、公爵家の執事によって即座に別室へと拘束された。
情報の遮断――その冷徹な処置が、悲劇の幕開けだった。
「テティア!」
期待に顔を輝かせ、喜びを全身で体現しながらベスタ公爵が部屋に飛び込んできた。
しかし、そこに広がっていたのは氷点下の静寂。
不審に思ったベスタが、テティアの腕に抱かれた赤子を覗き込んだ瞬間、彼の笑顔は嘘のように消え失せ、衝撃に打ち抜かれたように立ち尽くした。
──一歩一歩 歩み寄る ベスタ公爵
「えっ……。その髪、その目は……」
数瞬前までの歓喜は、急転直下、暗い感情の渦へと飲み込まれていった。
領地の未来を語り、どんな我が子も愛し抜くと豪語していたはずの男の心は、今や「忌み子」への凄まじい差別意識と偏見に塗り潰されていた。
忌避、軽蔑、欺瞞、そして絶望。目の前の赤子を「自分と同じ人間」だと認めることさえできない拒絶反応が、彼を支配する。
テティアは、その様子を冷めた瞳で眺めていた。夫の表情が冷酷に歪むたび、彼女の心から何かが抜け落ち、薄ら寒い虚無感が広がっていく。
「……旦那様。元気な女の子ですわ。私と、あなたの子供です」
あえて穏やかに告げたテティアだったが、その声に温もりはない。
ベスタはまるで、足元を這い回る虫けらを見るかのような、あるいは長年の怨敵に向けるような憎悪を瞳に宿し、握り締めた拳を震わせていた。
「忌み子だと……。忌み子だと!!私の子が、忌み子だというのか……!!?」
彼は頭を抱え、床に膝を突いた。絶望に狂ったように、同じ言葉を何度も呟く。
「…そうか…そうだ?! 妻がいれば……やり直せる……。なかったことにすれば……」
やがて、彼は何かに取り憑かれたような鬼気迫る形相で顔を上げた。
「お前たち、よく聞け! この赤子は、生まれなかった! 我が子は『死産』だったのだ、いいな!!」
室内の者たちを射貫くように見渡し、彼は断じた。
「口外した者は命はないものと思え! この出産は、不幸な死産であったのだ!」
有無を言わせぬ公爵の命令。誰もが戦慄し、ただコクコクと頷くことしかできない。
それを聞いたテティアの心は、決定的に打ち砕かれた。この人だけは味方でいてくれると信じた過去の自分を、嘲笑いたくなるほどの絶望。
だが、その絶望は即座に、鋭利な刃のような決意へと変わった。
(ああ、そう。この屋敷に、もう私たちの味方はいないのね)
凪いだ心で、彼女は赤子を抱きしめる。守れるのは、私だけ。その強い想いに応えるように、手の甲の紋章が熱く脈打った。
「……この子を『なかったこと』になど、させませんわ!」
テティアは夫を射殺さんばかりに睨みつけ、再び、部屋を軋ませるほどの魔力圧を解き放った。出産の疲労など微塵も感じさせない、魔王のような重圧。
ベスタは妻のあまりの変貌と殺気に、言葉を失い固まるしかなかった。
女神の転生体は、腕の中で冷や汗を流していた。
望んでいた「温かい家族」とは程遠い、破滅的な状況。
母を絶望させ、自分に愛情の欠片も示さないこの男は、一体何に怯えているのか。
彼女はすぐさま世界の記憶に意識を繋いだ。
「聖教会」「忌み子」「悪神」――自分に向けられた呪詛の正体を探るべく、膨大な歴史の海へと潜っていく。
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