緑石トンネル

 その後も、私たちはトンネルをゆっくりと進んだ。

 ちーちゃんの柔らかく気持ちのよい冷たい手のひらに誘われ、奥へ、奥へと進んで行く。

 暗がりは根源的な恐怖を呼び起こす。 それだけだ。


 正直、仕事としては予想した通り大ハズレだろう。


 では何故、こんな場所へ? そう聞かれると正直どこでも良かった。

 車でドライブして、ごはんを食べて帰る。

 ちょっとした吊り橋効果と、プチ旅行感があればなお良し。

 

 ちーちゃんが出不精過ぎて、仕事だと言わないと付き合ってくれないのだ。

 このしっかり握られた手のひらは、目論見以上の役得だった。

 普段彼女からこんなにべたべたしてくれることはない。


 あの可憐な姿からは想像もできない勇ましい姿に惚れた私は、気づけばこの世界へと飛び込んでいた。

 どうにか彼女との繋がりを保とうとした、苦肉の策なのであった。

 今もぐいぐいと私を引っ張るその後ろ姿に、私は見惚れて、溜息が出る。


「ここはハズレかもね。 なんもないよ」


 トンネルの中盤を過ぎた辺りで私は諦めたように呟く。

 その言葉は聞こえているはずだが、それでもちーちゃんは真っすぐ歩き続けた。


「ねぇ? ちーちゃん?」


「多分何かあるわよ。 ここ。 もう少し行ってみましょう?」


 ちーちゃんはどこかピリピリしていた。

 普段なら私がちーちゃんと呼ぶと怒るのに、聞こえてもいないようだ。

 私を掴む手は少しずつ強くなる。


 そこから数分。

 冷たい彼女の手のひらの感触を確かめながら、まだまだ奥へ進む。

 ピリピリとした雰囲気のちーちゃんもかわいい。

 オレンジ色の夕日が差し込んでいたトンネルは、いつの間にか夕闇に包まれた。


 進むほど、生臭い独特の空気が漂う。

 その臭いはどんどんと強くなり、辺りの空気の温度は、日も沈んだというのに妙に暖かく感じた。

 ちーちゃんの手だけが、変わらずひんやりと心地が良い。


 黙々と先へ進む。

 ちーちゃんは脇目も振らず。ただ真っすぐに。

 トンネルは進めど進めど、向かい側にはたどり着かない。

 何かがおかしい。私はそう気づいて、歩みを止めた。

 しかし、私が足を止めたと言うのにちーちゃんはその冷たい手で私を掴んで離してくれない。

 歩みは止まらない。捕まれた手はより強く握られた。


「ねぇ痛い! ちーちゃん! 離して!」


 私は痛みに耐えかね叫びを上げる。

 ちーちゃんがこちらを向く事はない。


 ただ強い力で、じりじりと私を引っ張り続ける。

 おかしい。このひんやりとした手、気持ちのいい手。

 あんなに心地良かったその手が、痛いほどの冷たさに変わる。

 何故いままで、おかしいと思わなかったのだろう……。

 彼女から差し出された手のひらに浮かれていた。

 汗をダラダラとかきながら、ゴスロリを着る彼女の手がこんなに


「あなたは誰?」


 私は震える手で、得体の知れない化け物の後ろ姿を照らす。

 その後ろ姿は光に照らされるとぶるぶると震え、首だけが180度こちらへ振り向く。


 私は思わずスマホを落とした。

 

 チラリと照らされたその顔は眼窩には真っ暗な穴が空き、口は乱杭歯で生臭い腐臭を発していた。

 一瞬の出来事の筈なのに、精細にその姿を認識してしまった。


「ひぃ!」


 私は小さく悲鳴をあげる。

 今まで、一緒にいたものが化け物だった。

 その事実に息はつまり、身体は硬直する。

 あぁ私はきっとここで死ぬ。

 そう覚悟した。


 ちーちゃんに頼りきったつけだ。

 あぁ彼女が近くにいない。

 これだけで世界の裏側は、簡単に牙を剥く。

 そんな後悔が私を包む。

 恐怖で引きつった笑みのまま私は地面を引きずられて。

 私は薄れる意識の中、荒れた路面で擦れる背中の痛みと、決して離すことのない手のひらの冷たさだけを感じた。










りん ぴょう とう 者 《しゃ》かい じん 烈 《れつ》ざい ぜん!」


 手放しかけた意識を、少女の声が無理やり引き戻す。


「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁ!」


 その声の後、甲高い悲鳴と共に私の手は自由になるのを感じた。


「はぁ……まったく! なんで私を起こさずこんな危ない所入ってくのよ! ハル! アンタってほんとに馬鹿ね!」


 私は聞き慣れた罵倒の言葉に、安堵の涙が出てくる。

 私は痛む身体を無理やり起こし、目を見開いた。

 そこには私の大好きなちーちゃんがいた。

 普段の気怠げな表情ではない。

 誰かを守ろうとする、強い意志を秘めた瞳。

 小さな身体が何倍にも大きく見えた。

 

 化け物は、ちーちゃんの九字を受けて格子状の火傷が胸に刻まれている。

 しかし闘志は萎えておらず、再び私に向かって来るつもりのようだ。

 しかし、それより早くちーちゃんが私と化け物の間に立った。


「あんたの住処を荒らしたのは悪かったけど、現世の者に手を出した時点であんたはこの世界にいちゃ駄目よ! 御仏の元に帰りなさい! 破ァ!」


 そう言ってちーちゃんは2本指を立てて、右手を突き出す。

 瞬間、眩い光が辺りを包む。

 その光が収束し、完全に消えるとちーちゃんだけが残った。


「南無阿弥陀仏」


 ちーちゃんは手を合わせると、化け物を慰めるように呟いた。


(やっぱり寺生まれってすごい)


 そう思った。


 私が一連の出来事にへたり込んでいると、ちーちゃんがとことこと私の方へ歩いてくる。


 そして見下ろしながら、とびきりの笑顔。

 そこからの、げんこつ。


「まったく! 偽物ぐらい気づきなさいよね! あんたほんといい加減にしないと死ぬわよ!」


「へへへ……。ごめんなさい。 でも、また

 助けてくれた!」


「あぁもう……。ほんとに放っておいてやろうかしら!」


「そう言って絶対見捨てない癖にぃ!」


 私がへらへらと笑うと、彼女は完全にへそを曲げてしまう。


「はぁ……さっさと帰るわよ! お腹空いたわ!」


「ごめんごめん! なに食べたい? いいネタが出来た事へのお祝いに奢るよ」


「あぁそうねぇ……。 じゃあ、焼き芋!」


 そう言って彼女は右手を差し出す。


「え?」


 私はその言葉に先ほどの化け物を思い出し、背筋が冷える。

 この手を取ってもいいのだろうか? 一瞬考え込んだ。

 そんな私の手を強引に彼女が取ると、じっとりとした手汗に安心するのだった。

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