二章

資料室は、いつ来ても静かだった。

蛍光灯の白い光が、無機質な棚と机を均等に照らしている。

羽夏は棚からあるファイルを手に取り、ページを開く。


──五年前の殺人事件。

被疑者、長谷輝。

日付、時刻、現場状況。


〈被疑者は、被害者を刃物で刺し殺害したことを認めている〉


〈取り調べに対し、終始落ち着いた様子で、質問にはすべて回答〉


〈動機については、明確な供述はなし〉


供述調書、現場写真、鑑定結果。

どれも、過不足なく揃っている。

あまりにも、"完璧"だった。


凶器は現場に残されており、被疑者の指紋も確認。

室内に争った形跡あり。

防犯カメラは故障していたが、事件当時、出入りした人物は被疑者のみ。


〈被疑者は、犯行を否認せず、自らの行為として受け入れている〉


羽夏は、無意識のうちに眉を寄せていた。

否認しない。それ自体は、珍しいことではない。


「……五年前、二十一歳」


呟きながら、別のページを開く。

長谷輝のプロフィール。

大学生。

前科なし。交友関係、特に問題なし。

犯行動機は詳細不明。本人は、衝動的なものだと回答。


「衝動的、って……」


警察の結論は、簡潔だった。


〈若年者による突発的犯行〉


衝動。人間関係のもつれ。感情の爆発。

そう書いてしまえば、すべて説明がつく。

だが、羽夏は視線を落としたまま、手を止めた。


──本当に?

衝動的な犯行にしては、供述が整いすぎている。

取り調べで混乱した様子はなく、矛盾も少ない。

事件直後の心理状態としては、妙に落ち着いている。


面会室で見た輝の顔が、脳裏をよぎる。

皮肉めいた言葉。警戒する目。

そして、あの拒絶の仕方。


──『期待すんな』。


羽夏は、次のページを開いた。

鑑定結果。刺創の位置、深さ、角度。

専門的な言葉が並ぶ中で、彼女は一つ一つを丁寧に追っていく。


「……全部、揃ってる」


証拠はある。供述もある。第三者の証言も、犯人像を裏切らない。

"疑う理由がない"。

そう結論づけるには、十分すぎるほどだ。


それなのに、胸の奥にわずかな引っかかりが残る。

整いすぎている。最初から、ここに落ち着くことが決まっていたみたいに。


羽夏は、深く息を吐いた。


「考えすぎ、か……」


資料を閉じようとして、ふと、備考欄に目が留まる。


〈被疑者は、逮捕時、特定の人物について多くを語らなかった〉


特定の人物。

それ以上の説明はない。名前も、関係性も、書かれていなかった。


羽夏は、その一文を、しばらく見つめていた。


──その日の夕方。

廊下ですれ違った同僚が、何気なく言った。


「長谷の記録、見た?」


羽夏は一瞬、言葉に詰まった。


「……少しだけ」


「ああいうタイプはさ、もう割り切ってるんだよ。やったことも、人生も。だから反抗的なんだ」


割り切っている。

本当に、そうだろうか。

羽夏は曖昧に笑って、その場をやり過ごした。

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2026年1月3日 18:00
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正義ごっこ 🚬 @Yaniyani

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