第4話 結
「先週来てたカレ、今日また来るんだって~」
あの騒動から1週間。土曜日、ミカさんが珍しく声をかけてきた。ミカさんはシンプルなエプロン姿だった。当たり前だけどミカさんはずっと警察の格好をしているわけじゃない。普段はキッチンスタッフをして、韋駄天サンドイッチの注文が入って作り終わると着替え始めるらしい。韋駄天メニューがサンドイッチなのは早食いに向いていなくて着替える時間を稼ぐ意味もあるとのこと。
「今日ですか?」
「うん、今日~。何があったのか知らないけどちゃんと話しなよ~。おねぇさんからのありがた~いアドバイス~」
急に言われても困る。話すって何を?とりあえず昨日のことを謝って、それからと考えていると開店時間となり、お客様が来店し始める。
「韋駄天サンドイッチひとつ」
「一度だけ勝負を受けることにしたよ。でもこれっきり。先週も言ったけどハードルを跳ばない人に興味ないから」
「あ、ああ。ありがとう」
興味ないと言いつつ勝負を受けてくれるのか。矛盾を感じつつ注文を通し、注意事項の説明をする。説明を終えると鞄を渡された。ちょっと重たい。
「ユニフォームとシューズ、それにスターティングブロックが入ってる。カフェの制服と靴だから全力を出せなかったって言い訳されても嫌だからね」
中を見ると
「お前こそ本気じゃなかったなんて言い訳すんじゃねぇぞ」
周りに聞こえないよう確認する。恰好を見たら本気だってことはわかる。でも
「うん。今日は本気で勝つつもりだよ。証拠に今日は一文無しで来た」
「ハッ。マジじゃねぇか」
思わず笑いが零れた。右の口角が上がる。体が熱い。心臓がうるさい。武者震いが止まらない。拳を強く握りしめて無理やり震えを止める。
「ちょっと待ってろ。すぐ着替えてくる」
逸る気持ちでキッチンルームに入る。受け取った鞄からユニフォームとシューズを取り出す。何故かサイズがぴったりだった。
「ミカさん。ちょっと着替えるんでこっち見ないでくださいね」
「キッチンはだめだよ~。せめてプレイルームまで行って~」
ミカさんは取調室の扉を指刺す。あそこプレイルームって呼ばれてるんだ。知りたくなかったな...。
「わかりました。っと」
取調室の方に行こうとすると店長室から店長が出てくる。手には見覚えのある小瓶が握られていた。
「これを入れろ。これは業務命令だ。先週の勝負は見た。負けると分かっている勝負はさせない」
俺は店長を睨みつける。店長は今まで見たことのない冷たい表情をしていた。高身長エリートサラリーマンの風貌も相まってめちゃくちゃ怖い。口答えは許さんと顔に書いてあるようだ。
「出来ません。それだけは。他のことだったら何でもします。」
店長が「はぁー」とあからさまに大げさなため息をする。ビビるな俺。
「いいか。学生のお前に教えてやる。大前提として飲食店の経営ってのは相当厳しい。一年目の生存率は約8割。つまり2割は死ぬ。何故か。家賃・光熱費・人件費諸々の固定費が毎月かかってくるからだ。それを代金と原価の差額で
「...どうしてですか?」
「再現性が高いからだ。実力で勝てない相手が毎日来たら毎日負ける。宣伝のために食い逃げに成功したやつにはサービス券を渡しているから、それだけでも大打撃だ。さらに食い逃げを見るのを楽しみに来ている他の客も、毎回負けると分かっていればもう来ることはないだろう。結果、固定費が払えなくなって店を閉めるしかない。最悪オレは首を吊ることになる」
首を吊る...?予想だにしなかった話の展開に言葉が詰まる。
「お前、人の命かけて分の悪い勝負出来んのか?」
「それは...」
「人生ってもんは思い通りにならないもんだ。思い通りにならないことを経験して人は大人になる。お前も大人になれよ」
俺は、この勝負に全てを賭ける気でいた。みんなの思いを背負って走ったことも何度もあるし、一度の負けで人生を大きく変えられた経験だってある。でもアルバイトとはいえ社会の一員となったことで懸けているものの大きさ、戦い方の幅が大きく変わった。責任の二文字が重くのしかかる。
俺は覚悟が足りない...?
「正々堂々勝負させてください!絶対勝ちます!!勝ったら問題ないはずですよね!」
「そうだな。だが素人目の俺から見てもお前は実力で負けてる。今日も負けるだろうな」
店長は収納されていた包丁を取り出し、調理台の上に置く。その隣に利尿剤の瓶を置く。
「人の命懸ける覚悟があるってんなら、俺を殺して行け。後で死ぬか今死ぬかだけだ」
「わかりました」
店長を睨み調理台の包丁に手を伸ばす。
「遅かったね。遅すぎて勝負を諦めたのかと思ったよ。この隙に僕に逃げられてたら負けてたね」
着替えてホールに戻るとユニフォーム姿の
「スマン。覚悟をキメてきた」
「君、すごい怖い顔してるよ。人でも殺してきた?」
「そんなとこだ」
「えー怖ー。君、意外と冗談言うタイプなんだ。っとルールを説明するね。ほんとは僕のタイミングで逃げてもよかったんだけどさ。多分納得しないでしょ。スタートダッシュできる僕に有利すぎるしね」
柔軟とウォームアップをしながら説明を聞く。なんで食い逃げが偉そうにルール決めてんだよと思ったが野暮なことは言わない。
「5m僕が先行する。スタートはセット、ゴーの掛け声で。勝利条件はそのまま。僕がエレベーターのボタンを押すか、君が僕をタッチするか。何か質問はある?」
「ない。早くやろう」
「いいね。真剣勝負でよろしく」
「当然だ。この勝負に命をかけて来た」
「いちいち大げさなんだよなー。まぁでもそれくらいじゃないと勝負にならないか。力み過ぎて空回りしないでよね」
「セット、ゴーはわたしが言うね~」
キッチンから出てきたミカさんはそのまま店舗入り口のレジに移動する。
「よろしくお願いします」
俺はスタート位置につき、スターティングブロックに足をかける。深呼吸をする。テーブルのお客様の声が聞きとれる。コンディションは万全だ。よかった。
「セット! ゴー!」
俺と
「本当に大丈夫なんだろうな」
ふたりがスタートしてすぐ、キッチンから店長さんが出てきて腕を組みながら店内のテレビに目を移す。
「ん~。たぶん~?」
「おい。『たぶん~』じゃ困る。オレの命が懸かってるんだよ」
わたしが止めに入らなきゃさっき死んでましたよ、とは言わない。あーあ。なんで男の人ってみんな、殺傷沙汰が好きなんだろう。なにも、わたしの目の前でやらなくてもいいのにさ。
「だって嫌じゃないですかぁ~。若い子が諦めて生きてくの見るの~」
「おめーも十分若けーよ」
「店長さんに比べたらね~。そんなことより応援しましょ~」
めんどくさい会話をいち早く終わらせたかった。この手の会話って嫌いなんだよね。
「命懸かってんだから負けんなよ!!!!」
「ふたりともがんばれ~!」
好調なスタートを切れた俺は序盤で捕まえるつもりでいた。スタートが早いとその分最高速度に到達するのも早い。距離が決まっているハードル走との明確な違いのひとつだ。最初は思惑通り距離が詰まっていった。けど、タッチするまでには届かない。それどころか
「捕まえる!」
もう一段ギアをあげようとしたところで、
「負けたら死ぬ前に殺すぞ!」「がんばれ~!」店長とミカさんの声が聞こえた気がした。そうだ。俺は勝たなきゃいけないんだ。命が懸かっている店長と信じて送りだしてくれたミカさん、そして何より勝負を受けてくれた
皆の思いを乗せた跳躍は、俺のハードル人生で1番気持ちいい跳躍だった———。
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