第3話 転

 食い逃げ犯を捕まえて店舗に戻ると大きな拍手が沸き起こった。店内にいくつもあるテレビには店舗からエレベーターまでの廊下が映されている。観客は店内のテレビで追いかけっこを見ることができるのだ。俺は食い逃げ犯をキッチンの奥の部屋に連れていって警察にふんした女性スタッフのミカさんに引き渡す。ちなみになぜかミニスカートだ。店長の趣味だろうか。

 「それじゃあミカさん。あとはお願いします」

 そう言ってホールに戻る。韋駄天メニューが注文された時はだいたいこんな感じだ。月に1回くらいサクラをやったり、店長の指示でわざと逃がすこともある。わざと逃がしても良いのか聞いたら「食い逃げに成功した人がいないと誰も挑戦しに来ないだろ?広告費広告費」とのこと。そういうものなのか。奇妙な仕事だけど、母さんが言っていた通り俺にぴったりなバイトだった。ハードル走が役立つ仕事があるとは思っていなかった。バイトを始めて半年くらいが経ち、バイトが生活の一部になっていた。


 「韋駄天サンドイッチをください」

 今まで何度もオーダーを通したメニューだったけど、俺は動揺した。目の前の若いお客様を知っていたからだ。注文を通すふりをしてキッチンを通り、店長室の店長に一言報告する。

「店長、師走しわすです。師走颯しわすはやてが来ました」

「誰それ?芸能人?」店長はPCに向いたまま声だけで返事する。

「違います。去年の陸上ハードル走の県大会で1位取ってインターハイに行った奴です」

「つまり、逃げられたら追い付けない奴ってことか?」

 振り返った店長と目が合う。俺はどんな表情をしているんだろう。店長は「そうか」と言って机から液体の入った小瓶を取り出す。

「これを水のピッチャーに入れとけ。利尿作用がある。この前わざと逃がしたばかりから二人目は経営上キビシイ。今の売り上げだと月に一人がギリ」

 瓶を受け取る。ハードル走と違って食い逃げは逃げる側がスタートで有利を取る。妨害だってできる。ただでさえ相手は県大会1位なのだ。戦ったら負けるのは火を見るより明らかだ。でも勝つにしろ負けるにしろ、正々堂々戦った上で決着をつけたい。

「店長。すみません。これは使えません。俺はあいつと正々堂々戦いたい」

「私情を仕事に持ち込むな。ハードル走で正々堂々戦えばいい」

 店長の言うことももっともだがそれが出来たら苦労しない。去年の県大会から俺はもうハードルを跳べないのだ。

「失礼します」

「おい!!逃げられたらクビだからな!」

店長の怒号を背にホールに戻る。リストバンドを師走しわすの机に置いてルール説明をする。

 師走しわすは興味なさそうに説明を聞いていた。それはそうだ。県下の同世代に師走しわすに勝てるやつはいないのだ。

 しばらく接客をしていると後ろから聞き慣れた声で「食い逃げよ!」と聞こえる。決戦の時が来た。俺は急いで師走しわすを追いかける。師走しわすからの妨害はヌルいものばかりだった。ナメられている。それでもどんどん離されていく。やっぱり速い。悔しい。最後のコーナーが見える。このコーナーを曲がった先はまっすぐな直線、純粋な走力がものを言う。これだけの差はもう埋まらないだろう。

 コーナーを曲がると師走しわすが目の前で立ち止まっていた。勢いあまってぶつかりそうになるのをなんとか避ける。訳が分からないまま俺は師走しわすにタッチした。

「あー捕まっちゃった。逃げられなかったかー」

わざとらしい声に苛立ちが募る。師走しわすを睨みつけて詰問する。

「なんのつもりだ!師走颯しわすはやては勝負で手を抜くのか!」

「あれ?僕のこと知ってる人?いやさ、僕、ミニスカポリスが好きでさ」

「何がミニスカポリスだ!!!!ふざけるのも大概にしろ!!!!!」

 血が沸騰する。気付いた時には師走しわすの胸ぐらを掴み壁に叩き付けていた。

「俺と勝負しろ!!!最初からやり直しだ!!!!」

「あ、思い出した。君、去年の県大会でハードル超えるの失敗して足捻ってた人だ。最近見ないと思ったら、こんなところにいたんだ」

 去年の県大会がフラッシュバックする。最高のスタートをきれた俺はひとつふたつと順調にハードルを越えていった。5つ目のハードルを越えた時、横に並ぶ師走しわすの姿を捉える。勝ちたい!その一心でペースを上げた俺は7つめのハードルでリズムが崩れ、着地に失敗して足を捻ってしまった。以来、ハードルを跳ぼうとすると、その時のことがフラッシュバックされるようになり、ハードルを跳ぶことができなくなってしまった。いろいろ試したが克服できず、将来を期待されていたハードル人生は幕を閉じた。

「勝負ね。いいよ。来月の県大会もちろん出るんでしょ?そこで待ってる」

「出ない...。あの日以来俺はもうハードルを跳べないんだ」

「そう。残念だね。じゃぁいいや。僕、ハードル跳ばない人に興味ないんだよね」

 師走しわすを再び壁に叩きつけ睨みつける。視界が滲む。悔しい...悔しい!

「ちょっと~食い逃げだけじゃなくてケンカ~?ケンカはだめよ~。本官があっちの部屋で話を訊くからね~」

「あ!警察のおねぇさん!そうなんですよ、この人にいきなり胸ぐら掴まれて。助けてくださ~い」

「はいは~い」

 ミカさんの声が聞こえる。俺は顔を見られたくなくて先に店に戻った。多分ひどい顔をしていると思う。店に戻ると店長にマジ説教された。きっと人生の教訓になることだったんだろうけど、喪失感の中にあった俺には何も入ってこなかった。

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