日本政府初動
【日本政府/初動】
00:15 横浜・第3管区海上保安本部
運用指令センター
静寂が美徳とされる深夜の指令センターは、今や飽和寸前の電子音と怒号に支配されていた。
壁面に並ぶ数十のモニターが、東京湾の異常を多角的に映し出している。
「118番入電止まりません! 貨物船『ほうしょう丸』、羽田沖に巨大障害物を視認と通報!」
「東京湾海上交通センター(東京マート)より緊急連絡!
浦安市沖約7km、未確認の陸塊が出現。
全船舶に対し、航行警報(NAVAREA)の発出準備を急げ!」
「羽田管制(タワー)よりホットライン!
D滑走路へのアプローチコース上に高度200メートル超の障害物。
全便にゴーアラウンドを指示、
羽田を閉鎖(クロース)します!」
運用課長は、乱れた呼吸を整える間もなく大型モニターを指差した。
「ライブカメラ、羽田の『お天気カメラ』を最大望遠で回せ!
赤外線(IR)フィルタを切れ、可視光で見せろ!」
投影された映像に、センター内の空気が凍りついた。
海霧が渦巻く夜の海に、本来存在し得ない「質量」が鎮座していた。
それは、精密な石積みの城壁だった。
ルネッサンス期の欧州を思わせる、複雑な尖塔と堅牢な外郭。
だが、その優雅なはずの光景は、外壁の至る所で上がる「火の手」によって地獄絵図へと変貌していた。
「……バカな。ディズニーランドのセットが流れてきたわけじゃないんだろうな?」
誰かの呟きを、レーダー担当官の悲鳴が打ち消した。
「座標確定。北緯35度35分、東経139度54分付近。
アクアラインの北側、浦安沖約7キロ!
直径およそ5キロメートル、海図上の水深は約20メートル。
……海底地形ごと隆起したか、あるいは、空間ごと『入れ替わった』としか思えません!」
「島だと!? 東京湾の心臓部に、こんなデカいもんが、一瞬でか!」
運用課長は受話器を叩きつけた。
「三管本部長に伝えろ。全巡視船に緊急出港発令!
テロ、災害、何でもいい!
まずは現場の海域を封鎖しろ!」
島出現位置
https://kakuyomu.jp/users/aliceandtelos/news/822139842351302818
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00:25 千代田区永田町・首相官邸地下
内閣情報集約センター
横浜の喧騒とは対照的に、官邸地下は「硬質な静寂」に包まれていた。
内閣危機管理監、高城は、ネクタイを緩める余裕すらなく、正面の巨大スクリーンを睨みつけていた。
彼の周囲を固めるのは、各省庁から送り込まれた「実務のエース」たる連絡官たちだ。
彼らは電話を握りしめながらも、その目は絶えずデータの変動を追い、無駄のない言語で情報を整理していく。
「外務省(本省)連絡、周辺諸国への事前通報(ノーティフィケーション)の文言を作成中。
現時点では『大規模自然災害の可能性』で統一します」
「防衛省、P-3Cを厚木から発進させました。
合成開口レーダー(SAR)による地形図作成を開始します。
自衛隊法第83条、災害派遣の枠組みで動けますが……
相手が『勢力』だった場合、治安出動への切り替えを念頭に置くべきです」
「国交省、アクアラインの通行を全面規制。
海保の警備艇が入るまでの間、警視庁水上警察と連携し、付近の民間船を強制退去させます」
澱みのない報告。
だが、彼らの顔色には一様に、経験則が通じない事態への生理的な嫌悪が滲んでいた。
「……総理は?」
高城が短く問う。
「5分以内に着かれます。すでに赤坂の公邸を出られました」
その時、中央スクリーンに海保の巡視船『かとり』から送られてきた超高感度カメラの映像が映し出された。
城壁の外。
そこには「現実」を粉砕する光景があった。
槍を構え、統制された動きを見せる鎧姿の兵士たち。
対峙するのは、軽自動車ほどもある、背中から何か半透明な結晶の様な物を生やした異形の猪だ。
「え、まも……いや、何と表現しましょうか……」
内閣情報調査室から派遣された分析官が、乾いた声で言った。
「既存の哺乳類には該当しません。DNA配列を調べるまでもな……っ!?」
映像の中で、杖を持った兵士が腕を振るった。
瞬間、空気の歪みと共に巨大な「火球」が生成され、猪の怪物を爆砕した。
着弾の熱量は、IR(赤外線)センサーの数値を一瞬で真っ白に焼き切った。
「……サーモグラフィ、計測不能。1500度を超えました」
「推進剤(プロペラント)なしの射出……? 物理学が、死んでいる」
室内の官僚たちが、初めて「言葉」を失った。
彼らは法案を書き、予算を削り、理屈で世界を動かしてきた人間だ。
その彼らの目の前で、理屈の通じない「力」が行使されている。
「高城君、現状を」
重厚な、しかしどこか疲労の混じった声が響いた。
内閣総理大臣、白石(しらいし)だった。
寝癖こそないが、急いで着替えたのであろうシャツの襟がわずかに曲がっている。
手には、長年使い込まれた革製のメモ帳が握られていた。
「総理、申し訳ありません。お休み中に」
「構わん。私の睡眠不足と、東京湾に城が現れること。
どちらが国難かは明白だ」
白石は椅子に深く腰掛けることもせず、立ったままスクリーンを見上げた。
その瞳に、燃える城壁と、火球を放つ兵士……いや、老人の姿が映る。
「……魔法、か。孫のゲームでしか見たことがないな」
白石は自嘲気味に呟いた。
その言葉には、恐怖よりも先に、これから始まるであろう「手続き」の山への辟易とした人間味が混じっていた。
「高城君、法的にあれは『何』だ? 島か、船舶か、あるいは他国の領土か?」
「法的には……『未確認の大型工作物』とする他ありません。
港則法に基づく航路障害物としての処理が最優先ですが、
武装勢力の存在が確認された以上、警察権の行使だけでは限界があります」
「実務上の問題を挙げろ」
白石が短く促す。
統合連絡官が、一歩前に出た。
彼は防衛省の制服組から官房へ出向している、現場調整のプロだ。
「第一に経済。
東京湾の物流が完全に止まりました。
一日放置するだけで、損失は千億単位。
そして第二に……世論です。
すでにSNSには数万件の目撃映像が上がっています。
隠蔽は不可能。
国民にどう『説明』するか。
それが最大の火種になります」
白石は、使い古された万年筆を指先で回しながら、連絡官の言葉を噛み締めた。
「説明、か。
……『異世界から魔法使いがやってきました』と正直に言って、誰が信じるんだ?
だが、現にそこに居るよなあ。そして、戦っているときたか」
白石の視線は、映像の中の「兵士たち」に注がれていた。
怪物を倒し、仲間を抱え、必死に火を消している人間たち。
「彼らは我々を襲うために来たのか、
それとも、何かに追われて逃げてきたのか分かりませんが、昨今の熊害どころの相手には見えません。火力が必要です」
防衛大臣を代行する局長が、異例中の異例、あえて警察の火力では無理だと、発言した。
「どう見ても人間らしき集団の中へ、武力を投入するつもりかね? さすがに無理あるだろ」
白石は、自分に言い聞かせるように万年筆をポケットに仕舞った。
その手は、わずかに震えていた。
それは恐怖ではなく、一人の政治家として、日本の、そして人類の歴史の分岐点に立たされたことへの、武者震いに近かった。
「総理、内閣官房報、第一報の文案です」
連絡官がタブレットを差し出す。
白石はそれに目を通さず、正面を見据えた。
「『ただいま調査中』。
それだけでいい。
……今は、相手が何者かを知ることが先決だ。
一分一秒を惜しめ。
日本中の知恵を、この地下に集めろ」
東京湾の夜は、まだ明けない。
日本政府という巨大な官僚機構が、未知なる「異世界」を飲み込むために、静かに、しかし力強く加速を始めた。
・内閣総理大臣 白石イラストとキャラクターシート
https://kakuyomu.jp/users/aliceandtelos/news/822139842353640256
・ダンジョン島アヴァロン城壁都市地図
https://kakuyomu.jp/users/aliceandtelos/news/822139842350222990
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