第23話 推理の完成が始まる──欠けた街の中で(2)
無数に乱立する組織。国境という名の壁。
幾億もの人々が抱く、バラバラの意志。それらを彼ら自身の判断で響き合わせ、一つの巨大なうねりへと変える。目指すのは、世界の共鳴だ。そしてその調和が完成した先で、世界をその参加者すべてに委ね、己は静かに歴史の影へと消える。それが、賢者が見た世界の結実。
そうだ、消えねばならないのだ。薄汚い偽物は。
※
「共鳴者、か。……短い間だが、覚えておこう」
男は吐き出すように笑う。その
名乗りを求める。それはこの場を、単なる制圧ではなく「命の奪い合い」に変えるという、覆ることのない意思を固めた証に他ならない。男の覚悟は、静寂を切り裂くまでに鋭く定まった。
――共鳴者。それが今ここで自分が殺すか、あるいは自分を殺す者の名。
この街に設置した格子の柵を起動させ、己を袋の鼠に追い込んだ以上、賢者の狗であることは疑いようもない。だが、もはやそんな出自はどうでもいい話だ。
己の行く手に立ちはだかり、その道を断とうとする以上、目の前の存在は否定しようのない敵でしかない。それも、今ここで芽を摘んでおかなければ、いずれ自分たちの世界を飲み込む巨大な壁となる。そんな確信が、男の脊髄を震わせる。
「同志よ。先に逝かせてもらうぞ」
男が呟くと同時に、腕輪の錆びた色調が爆ぜる。
溢れ出した粘着質な魔力が、大気を侵食するより早く男の肉を裂き、飢えた蛇のごとき触手となって骨の髄へ食らいつく。
──軋み、裂け、変質する。
人の形を維持しようとする理性が、異形の奔流に一息に呑み込まれていく。己の根本から裏返るかのような、凄まじい苦痛は一瞬。それは取り返しのつかない刹那。その間は、男の覚悟をいっそう深めるのに十分なときであった。
夜の闇に立つ影は、もはや人としての輪郭を失った。そこに在るのは、おぞましき異形。
男の血管は、皮膚の下でどす黒い墨を流し込んだかのように膨れ上がり、脈打っている。濁った紫へと染まった眼球からは、知性や理性といった光が霧散し、純粋な破壊衝動だけが燻っている。
溢れ出す魔力は、周囲の輪郭を陽炎のように歪ませるほどの密度。それは常人であればその圧力に肺を潰され、呼吸さえままならぬ死の領域。しかし、その暴力的な魔圧を正面から浴びながらも、共鳴者が微動だにする様子もない。
「ぁぁ……共鳴者よ。お前の目に映る私は、まだ人間か」
喉の震えが奏でるのは、嗄れ歪み、湿り錆び付いた鉄板をこすり合わせたかのような、おぞましい鳴動。その不快な微振動は、大気を伝って共鳴者の鼓膜すらもざらつかせた。もはや声も、姿も、その在り方すらも、全てが人ではない何か――すなわち人外。
「……魔人、か」
共鳴者が静かに呟く。
その様子に、戦慄も嫌悪もない。ただ、目の前で起きた劇的な質の変化を、冷徹な観測者の目で捉え続けていた。
「あぁ。魔人を知っているのなら、分かっているだろ?」
男――魔人は、口の端を裂かんばかりに吊り上げ、歪んだ笑みを浮かべる。
「私の命は、あと数日で尽きる……。だが、ここで仕留めればいいだけだっ!」
踏み込みの一歩。ただそれだけで、強固な石畳がクレーター状に爆ぜた。魔人は弾丸のような速度で距離を詰め、共鳴者へと肉薄する。
「我ら魔人から逃げて、寿命が尽けるのを待とうなどと思うなよ!お前らの用意したこの檻の外には、人がいる──」
絶叫と共に、体内の魔力が臨界点を超えて爆発する。
「──この街の全ての人間が――お前を逃がさないための人質となったのだからな!!」
街に眠る住人すべてを脅迫材料として使い、共鳴者の退路を塞ぐ。魔人にとっての最悪の選択肢――自分の寿命が途絶えるまで逃げ続けられるという道を塞ぐために。今や敵の逃げ場を塞いでいた檻は、人の肉を使った共鳴者を閉じ込める檻と化していた。
「これが、魔人の力だ」
両腕を突き出すとともに、生爪を無理やり剥ぎ取るような音が重なって響く。音の正体、それは皮膚を内側から突き破って現れたどす黒いナイフ。一つや二つではない。無数のナイフが、己の主たる魔人の肉を裂き、血と魔力を混ぜ合わせて現れた。
「はは、……さぁ、続きを始めようか」
一斉に放たれた刃の雨は、空気を切り裂く音すら立てない。代わりに響くのは、耳元で囁かれる呪詛のような低い唸り。
それは闇夜の中、獲物の背後へ音もなく忍び寄り、一撃でその命を啜る人喰い鳥の羽ばたきを思わせる。さらには、刃の群れが意思を宿したかのように軌道を歪ませる様もまた、やはり人喰い鳥を連想させた。
逃げ場などない。だが──足りない。魔人は勝利を確信しながらも、本能の内に拭いきれない嫌悪感に似た予感を抱いていた。
「グ、……追加だ」
悲鳴にも似た叫びと共に、魔人は己の腕を刃にさらに内側から喰い破らせた。どす黒い弾幕が、追い打ちをかけるように射出される。それは空を埋め尽くす死の雨。逃げ場のない路地において、この殺意の奔流から逃れる術はない――常人であれば、だが。
共鳴者に、退く様子はない。
網膜を焼き尽くすほどの弾幕を視認した瞬間、共鳴者は右手の指を手刀のように揃え、前方へと真っ直ぐに伸ばす。次の瞬間、新たな光が闇の中に降りた。
蒼い閃光が走り、迫りくる刃の数割が、接触した瞬間に叩き落とされる。共鳴者の右腕。そこにはいつの間にか、腕と完全に一体化した蒼い光の剣が成形されていた。
振るわれた光剣が、夜の闇を切り裂く。一撃、一撃の筋は、剣術と呼ぶにはあまりに雑で鋭さを欠いていた。しかし、それを振るう身体能力と反射神経が、あまりにも常軌を逸している。
理不尽なまでの速度と膂力で振り回される光の刃は、それ自体が回避不能の暴力ですらある。弾幕が分断される。粉砕される。霧散していく。光の軌跡が夜に幾何学模様を刻みながら、黒い刃を塵へと変えていく。
「魔術……ではないな」
魔人の紫の瞳が、その異質な輝きを捉え、細められた。
「マキナ・マイスターか!」
確たる証拠はない。だが、そこには確信があった。魔術特有の予備動作もなく、複雑な幾何学模様の魔法陣も必要としない。それらを全てマキナに行わせる。共鳴者の戦い方は、まさしく機構によって魔術の深淵を模造し、塗り替えていく怨敵のそれだった。
「ふ……」
魔人は、両腕に再度の刃を生やしながら、歪んだ笑みを浮かべる。
「ふ、ははは……そうか、最期の相手がマキナ・マイスターとは……! これなら、この命を捨てた甲斐があるというものだ!」
その瞳の奥、昏い悪意に鮮烈な火が灯る。目の前に立ちはだかるのは、もはやただの敵ではない。己を、そして同士たちの存在意義を根底から否定した、時代が生んだ仇敵だ。
恨みはない。所詮はこの世など、強者が繁栄し、弱者が滅びるだけのこと。だが――目の前の相手は、己の全存在、全寿命を使い潰してでも、喉元に喰らいつかねばならない仇敵だ。ならば、やることは一つ。抱いた執念はより深く、より価値のある呪いへと昇華される。
「共に、地獄に落ちてもらうぞ、共鳴者っ!!」
魔人の咆哮が、街全体を震わせるほどの魔圧となって弾けた。だが対する共鳴者に、動じた様子など一切存在しない。
「地獄への道案内など必要ない」
短い、氷のような返答。
魔人が放つ、命を燃やす熱。共鳴者が纏う、全てを凍てつかせる冷。二つの相反する意志が、光剣と魔力の刃という形をとって、真正面から激突する。
蒼い光剣が黒い刃を弾くたび、そこには火花ではなく、爆ぜるような蒼いプラズマと黒い泥のような魔力の残滓が飛び散る。一撃交わすごとに大気は電鳴に震え、無人の街路には、この世のものとは思えぬ異質な破壊の軌跡が幾重にも刻み込まれていく。
共鳴者の動きは、あまりにも直線的で、そして無駄に満ちている。重心の移動も、流れるような連撃の型もそこにはない。
だが、その無茶苦茶な動きを、圧倒的な地力──生物としてありえない身体能力で強引にねじ伏せ、魔人と渡り合える領域へと持ち上げている。それは技術を積み重ねてきた者に対する、理不尽極まりない冒涜ですらある。
対する魔人は、洗練された戦闘訓練の結晶そのものだった。足運び、間合いの管理、急所への最短経路。それら完璧な軍事的挙動に、魔人としての身体能力と、自らの肉体を削りながら無尽蔵に刃を増殖させる化け物の要素を上乗せしている。
本来であれば、練度と物量に勝る魔人が絶対的に優位となるはずだ。しかし――やはり、目の前の相手は理不尽に過ぎる。
「……ッ、何なんだお前は!」
魔人は後退しながらも、冷徹に共鳴者を観察し続ける。
やはり剣筋は素人同然だ。フェイントもなければ、次の一手を誘うような重心の操作もない。だが、剣を振る速度だけが異常すぎる。さらには、攻撃の後に生じるはずの致命的な隙を、共鳴者はその馬鹿げた身体能力で強引に踏み潰し、ゼロ距離から次の連撃を叩きつけてくる。
距離を離そうと試みても、先程までとは違い、視認する暇さえ与えぬ踏み込みで最短距離を詰め、拳を放ってきた。それらは、魔人が長い年月をかけて磨き上げた戦いの技を嘲笑う、純粋な暴力の奔流であった。
これだけならば、まだ異常な身体能力を持つ生物の枠に収まっていただろう。だが、決定的な違和感は別のところにあった。
「グゥッ!!」
魔人の腕、肩、背中、そして脚。皮膚を内側から食い破り、新たに生成された数十のナイフが全方位から射出される。対する共鳴者は、それを防ぎ、斬り落とし、踏み込み、かわす。
――だが、おかしい。
弾幕の中に潜めた、急所を狙った刃の方向が微妙にずれている。一方で狙いをつけない弾幕は、問題なく共鳴者に迫っていく。
が、やはり化け物だと魔人は内心で毒づく。
理由は見当がついている。共鳴者が現れた瞬間に感じた、あの違和感なき不自然さだ。
男とも女とも判別できず、輪郭さえ脳に理解させず、あまつさえ理解出来ないことすら感じさせないあの異様さだ。あれのせいで、遠距離から狙った攻撃は、微妙にズレた場所に向かってしまう。だが弾幕として放つ刃の方に期待することもできない。雑な剣術ではあるが、剣速や身のこなしが速過ぎて、触れることすら出来ていないのだから。
――やむをえない。
魔人は、刃の弾幕で相手を牽制しながら、接近戦を織り交ぜることにする。
黒と蒼。光剣と呪詛の刃が激突する。
空気は悲鳴を上げ、踏みしめられる石畳は粉々に砕け散り、夜の静寂そのものが引き裂かれていく。
──この化け物の限界は、どこにある。
魔人は焦燥を押し殺す。これほど理不尽な力の行使を続けていれば、体力が尽きるのも早いはずだ。だが、その時が訪れるのは避けねばならない。プライドのためではない。勝ち方へのこだわりでもない。ただ、直感が告げているのだ。この理不尽な化け物は、体力の限界が近づけば凶悪な切り札を切ってくると。
──そんな物を使わせるわけにはいかない。
切り札を使われる前に、五体満足ではない状態まで追い込む必要がある。たとえ奴が奥の手を繰り出したとしても、それを十全に発揮できぬほどにまで肉体を破壊しておかねば、理不尽な暴力に跪かされるのは自分だ。
この戦い、もはや体力も、命も惜しんでいる余裕などない。魔人の悟りが、攻撃にいっそうの狂気をもたらす。
マキナの技術と魔術の禁忌が、夜の街路で激しく噛み合う。
蒼と黒、冷光と呪詛の奔流が衝突し、剣と刃が打ち合わされるたびに、雷鳴にも似た衝撃音が大気を震わせ、周囲の建物に亀裂を走らせていく。一層の力を込めた双方の刃が、真正面からぶつかり合った。限界まで圧縮されたエネルギーが一気に解放され、世界が白く染まる。
──轟音。
爆風に煽られ、共鳴者と魔人は同時に大きく後方へと跳ね飛ばされる。石畳が深く抉れ、生じた衝撃波が古い建物の壁を激しく揺らす。
「どうした、共鳴者ッ!」
魔人が喉を震わせて吼えた。濁った紫の瞳は、命を燃焼させる狂気と、思い通りに運ばぬ戦況への焦燥に激しく揺れている。
「貴様……なぜ、命を賭けないっ!俺が、命を惜しんで倒せる相手だとでも思っているのかっ!!」
それは、捨て身の覚悟を持たぬ者への、魔人なりの傲慢な断罪であった。
対する共鳴者は、目すらガラス質な素材で隠された仮面故に、その感情を読みとれない。しかし、応えは蒼い光剣を静かに構え直すことで返す。
「俺の命は、自分で捨てるわけにはいかないんだよ」
「……なんだと」
なにを言っている。命を賭けないだけではない。こちらは命を薪にし、己の全てを燃料とし挑んでいる。それなのに目の前の仇敵は、己の命の使い道すら自分で決められない甘ちゃんだった。なら、自分はその程度の相手を倒すために、この命を捨てたというのか。
「ふざ……けるな…………ふざけるなぁッ!」
己の命の価値を否定されたことへの怒りが、魔人の体内でどす黒い奔流となって噴き上がった。
対する共鳴者は、その激情に冷徹さをもって答える。
「知れ……。命を捨てた者の絶望は、死の先にではない。生きた先にあるのだということを」
蒼い光剣を構え、最後の戦いへと意思を向ける。
「お前の命を拾い上げることで、それを教えてやる」
再び衝突する、蒼と黒。
距離という概念を踏み潰すほどの理不尽な身体能力で、一気に共鳴者は魔人と肉薄していた。これまでとは比較にならない衝撃が、夜の街を震撼させる。共鳴者が振るう蒼き光剣に、さらなる出力が上乗せされていた。
黒い刃と蒼い閃光が噛み合い、互いの魔力と機構を削り合いながら、凄まじい熱量とプラズマを周囲に撒き散らす。
「なら私は――」
鍔迫り合いの至近距離。魔人の声が完全なる狂気と共に響き渡った。
「生に執着する者の無価値さを、死の瞬間に教えてやろう。お前の命を、その甘さごと、粉砕してなァッ!」
魔人の咆哮。
全身の魔力を一点――右腕へと集中させると、いっそう禍々しき黒に染まった刃が、共鳴者の光剣を上方へと弾き飛ばした。
共鳴者の光剣は腕と一体化した武装だ。剣を弾かれれば、反動で右腕そのものが、防御不能な角度まで大きく跳ね上げられる。
――隙ができた。
「獲ったぁッ!」
魔人は確信した。勝利の糸を掴んだことを。腕を真っ直ぐに突き出す。その一動作に合わせ、魔人の皮膚を内側から食い破り、これまでの数倍の密度を誇る黒い刃の群が牙を剥く。
この距離。この角度。そして、この瞬間!!
いかなる化け物であれ、これを回避する術はない。
「これで、終わりだぁぁぁぁぁッ!!」
魔力を、命すらも、全てを捧げ黒い棘が放たれる。
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