第22話 推理の完成が始まる──欠けた街の中で(1)

 ギフテッドの誘拐を依頼した裏ギルドに、治安部隊が迫っている。


 その凶報が男の耳に届いたのは、夜の黒が街の輪郭を染め始めた頃だった。


 賢者の手によって設計された、このアンティナの街。


 三つ巴の牽制が産み落とした、権力の空白地帯。男とて、この状況が長く続くとは思っていなかった。


 だが、予想をはるかに超える早さで終わりが訪れた。三大勢力が人員を出し合った、臨時の合同治安部隊。その結成という形で、終わりが突きつけられたのだ。


 ──謀略の賢者が動いた。


 これまで賢者が空白地帯を放置してきたことに対し、裏社会では様々な憶測が囁かれてきた。


 荒唐無稽な妄想も多いが、真実味を帯びた、予言じみたものも少なからず存在した。


 その一つが、空白地帯は「害虫」を集めるための罠である、という説だ。十分に溜まったと判断された瞬間、一斉に駆除が開始される。――その最初の生贄に、自分が選ばれたというのだろうか。



「……フンッ、やってくれたな」


 苛立ちと共に、心臓の鼓動が早まる。内側から突き上げてくる焦燥感によって、男の冷静さは失われつつあった。


 埃っぽい部屋の中で、ベッドに横たわる少女に目を向ける。


 ギフテッドを置いていくのは惜しい。だが、このまま捕まれば、計画に支障が出る。


 止むを得ず男は、最低限の荷物だけを掴み取ると、ギフテッドの少女を置き去りにしてアジトを後にした。


 石畳の路地を、息を切らすことなく歩く。下手に走れば、目立ってしまうのは分かっている。だから、月光を避けて影に隠れるかのように、人目を避けながら早足で移動していく。


 肺の奥まで突き刺さる夜気は冷たく、吐き出す息が白く濁る。無人の街に拡がる、石畳を踏む僅かな足音がやけに気になる。


 やけに不気味だ。


 少しでも早くこの街から抜けだしたかったが、やはり走れば目立つ。男は急く気持ちを抑え、歩幅を僅かに広げるだけにとどめた。


 ようやく街の一角に辿り着く。だが、それは判断ミスだ。


「なっ……!?」


 足元の地面に、鮮烈な魔力が迸った。


 同時に石畳を押しのけ、格子状の障壁がせり上がる。それは逃走経路を断つ――堅牢なる青白い光の柵であった。


 一ヶ所だけではない。周囲のいくつもの場所に、同様の柵が現れている。


「……やられた」


 男は状況を理解すると共に、歯噛みをする。


 彼とて魔術士の端くれだ。目の前の障壁が放つジリジリとした熱、そして大気を拒絶するような震えから、直感で理解した。迂闊に触れれば、その瞬間に身体が焼き切られると。


 これは単なる障害物ではない。相当に高度な技術が組み込まれた、獲物をこの場所に閉じ込めるための罠だ。


 男は、周囲の建物にも目を向ける。


 やはりだ。全てに魔術的な措置が施されていた。


「ハッ、蜘蛛の巣に捕まったか」


 自嘲気味に吐き捨てた。今さら気付いたのだ。


 辺りに建ち並ぶ倉庫、研究棟、食料店……。すべて賢者が所有する施設だ。


  さらには、この異常な静寂。人の息遣いも、窓から漏れる灯りも、生活の残滓すら何一つとしてない。


 迂闊だった。


 身を隠すことに意識を割きすぎ、アジト周辺の調査を最低限で済ませてしまったツケが、死神の鎌となって返ってきたのだ。


 ――仕組まれていた。


 男は理解する。この街の仕組みの一端を。


 賢者は、場所ごとに時間を区切り、人が完全に消えるようあらかじめ調整していたのだろう。街という巨大な機構そのものが、今や男一人を捕らえるためだけの牢獄として機能している。


 無人の街。それは獲物を追い詰めるためだけに設計された、完璧な狩り場。


「これが謀略たるゆえんか」


 まさか、ここまで大胆な罠を、街に仕込むとは。


 男は思考の乱れを正し、次にどう動くべきなのかを考える。ここが牢獄だとするのなら、この場所から囚人を連れ出す看守なり処刑人がいるはずだ。


それが来るまでに脱獄できるのが理想だが──どうやら無理だったようだ。そう結論付けると、男は視線を一点に向けた。


 男が視線を向けた先、そこからは闇を切り裂く、僅かな音が響いている。


 規則的な音が波紋のように広がる。建物の壁に木霊するその足音は、不気味なほどの存在感を持って迫ってくる。


 やがて石畳の上に、はっきりとした足跡を刻み、その姿が浮かび上がった。


 現れたのは、黒いスーツを纏った何者かだった。月光を反射する、銀色の髪と黒いスーツに刻まれたラインが、闇が支配する夜の中でやけに眩しく感じられる。


 正体が掴めない。


 仮面で顔を隠している。体を黒いハーフコートで覆っている。それらだけが理由ではない。


 男か、女か。そんな基本的なことすら、その立ち姿からは一切読み取れない。存在そのものが霧のように、あるいは底の見えない淵のように、認識の網をすり抜けていくような感覚だ。


 しかし、この状況、この場所であれば、何者かの推測は容易だった。


「賢者の狗か」


 男は短く、呪詛を吐くように告げる。


「どうでもいい話だ」


 その声が響いた瞬間、男の脳は不可思議な感覚を捉えた。


 目の前の人物の声は、女の声のようでもあり、男の声のようでもある。あるいは、その両方が同時に重なり合っているようにも聞こえる。


 何よりも異常なのは、これほど不可解な認識の齟齬そごを強いられながらも、自らの脳が違和感を抱いていないことだ。論理をもって他の知識と比較してようやく気付けたにもかかわらず、平然と異常であると分析できている事実そのものがおかしい。


 男は奥歯を噛み締め、さらに警戒の深度を引き上げる。


「ギフテッドの誘拐について、話してもらおう」


 違和感は声だけに留まらない。


 月光の下に立つその姿は、はっきりとしたものだ。しかし脳が理解する、目の前の人物の姿は陽炎のように存在が揺らいでいる。


 肩幅は窄まり、背の高さが数センチ単位で上下する。生物としての輪郭が、まるで安定しない。


 いや、違う。視覚情報が変化しているのではない。脳に届けられる信号に、強烈なノイズが混ざっているのだ。目の前の人物の姿を記憶に留めようとしたそばから、詳細な情報が砂嵐のように崩れ落ちていく。


 男の背筋を、生理的な嫌悪を伴う恐怖が駆け抜けた。


 人か? 魔物か? それとも、賢者が作り出した禁忌の怪物か?


 違う、そんな生ぬるい物ではない。


 判断するには情報があまりに足りない。だが、確かなことが一つだけある。目の前のそれは、言葉で分かり合える類のものではないということだ。


 男は無言のまま、中指と親指を鋭く弾いた。


 乾いた音が夜気に響く。


 次の瞬間、虚空が歪み、真空を削り出したかのような半透明の魔導短刀が三振り、音もなく生成された。男はそれを即座に手に取り、流れるような動作で放つ。


 狙いは喉、心臓、そして眼窩。致命の急所を違わず射抜く、一撃必殺の投擲。


 しかし。


 黒いスーツの何者かは、一歩も動かなかった。


 ただ、首をわずかに、それこそ紙一枚分ほど傾けることから始まり、その後も僅かに動くだけで、超高速で迫る刃のすべてを平然と回避した。


「……っ!?」


 空を切った刃が背後の壁を抉り、石礫を散らす。


 避けた? この距離で、予備動作すら見せずに?


 無言のまま、戦いの幕が切って落とされた。


 次の瞬間、黒い影が爆ぜるような加速で距離を詰めてくる。


 洗練とは程遠い、稚拙極まりない雑な踏み込み。だが、その速度は物理法則を嘲笑うかのように常識を逸脱していた。


 男は即座に理解する。先ほどの回避を可能にしたのは、技術ではない。この圧倒的な身体能力に裏打ちされた、異常なまでの反射神経なのだと。


 その者の拳が唸りを上げ、周囲の空気を爆ぜさせる。


 男は咄嗟に後退しながら、新たな刃を展開して盾とした。


 それは衝撃を斜めに逃がす、熟練の受け流し。


 だが、刃を介して伝わった衝撃は、男の腕の骨を軋ませ、脳を揺さぶるほどに重い。


 ──動きは素人。だが……!


 戦いそのものの技量は低い。間合いの管理も甘く、無駄な動きも多い。


 しかし、それを補って余りある膂力と速度が、小細工をすべて粉砕していく。人間という枠組みに収まりきらない暴力の奔流。


 男は舌打ちしたくなる衝動を、奥歯で押し殺す。そんな隙を見せれば、次の瞬間には喉笛を食いちぎられるだろうから。


 相手の正体は依然として霧の中だ。しかし、一瞬でも手を休めれば、この怪物に呑み込まれるのは確信できた。


 銀光が閃き、街灯を、壁を、次々と砕き割る。


 魔法と肉体が衝突するたび、破壊音が無人の街に反響し、夜の静寂を無惨に引き裂いていく。


 男が放つ真空の刃がどれほど空間を切り刻もうとも、その何者かが怯む様子はない。 刃の隙間を、雑な、しかし捕らえられぬほどの超速で縫い、最短距離で接敵してくる。


 その脚力は、もはや災害の域だ。


 一歩踏み出すたびに石畳がクレーター状に砕け、鋭い破片が四方へと撒き散らされる。


――これは、人間として扱ってはならない。


 魔術と暴力が火花を散らす、極限の応酬。


 幾度か相手の拳と男の刃が激しく交錯し、火花と魔力の残滓が視界を埋め尽くす。


 その混乱の隙を突き、男は結界の際を滑るように移動し、ようやく十数メートルの距離を取ることに成功した。


 肩で荒い息をつきながらも、男は冷徹な眼光を崩さずに睨みつけると、低く言葉を投げた。


「名前を聞きたい」


 時間稼ぎのようにも思える問い。


 だが、もしそれが叶う状況であれば、どれほど良かったかと男は心中で毒づく。


 この檻において、無意味な対話を重ねる余地などない。逃げ場のない格子状の結界が放つ青白い光が、男の焦燥を冷酷に照らし出していた。


 男の問いに対し、黒いスーツを纏った何者かは足を止め、沈黙する。


 ※


 その沈黙は、ただの拒絶ではない。重苦しい圧力を伴い、周囲の空気そのものを凝固させるような密度を持っていた。


 身につけた黒い仮面の如き沈黙の内側で、思考は高速に巡る。


 自分は何者であるべきか。


 理想と呼べるほどキレイな物ではない。汚泥と腐り切った屍を下に隠した美しい絨毯の上に立っているのが自分だ。どこまで行っても、その事実に変わりはない。


 答えは、とっくに決まっている。


 だが、それを口にするのは、絨毯の下に薄汚い何かを新たに隠すようなものだ。


 この行為を人々は褒めたたえるだろう。善であると言い、正義のためだと語り、そして感謝すらする。


 自分は、それらを口にする美しい者達を騙し続けねばならない。これからも、ずっと──。


 なら、薄汚れた罪を増やそう。この世で最も汚れた存在が、美しき理想を語るという罪を、この絨毯の下に隠そう。


「共鳴者。それが俺の名であり、罪の名だ」

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