第14話 謎解きが始まる――欠けた論理の中で(3)

 村の近くの森は、昼間でも空気が冷たく澄んでいて、肌に張り付くような冷涼な感触があった。


 陽光が届きにくい森の奥へ進むにつれ、落ち葉と湿った土の匂いが混ざり合い、鼻腔をくすぐる。どこか獣の気配も交じった原始的な匂いだ。


「森を歩くのは、アンティナから出ないお嬢ちゃんたちだと、少し辛いかもしれないけどねー。なるべく合わせて歩くから、無理はしないこったね」


 軽く見下しているな。


 だが、お前たちの認識は、このあと変わると心の中で宣告してやる。仕事が終わる頃には、「アンティナの学生は体力がアレだよね」という評価に確定していると。


 ……などと脳内で意気込んでいる間に、アメリアの背中が少し遠のいてしまった。慌てて彼女たちの後を追う。


 少し離れたことで、改めて彼女のズボン姿が目に入り、溜息をつきそうになった。まさか森に、優雅なレースのフリルがついたスカートで入ろうとするなんて。引き止めてズボンに履き替えさせたが、あの時の世間知らずな頑固さには、正直、危うさを感じた。


(そのあたりは、俺が気にかけておいた方がいいだろうな)


 今後の付き合い方を自分なりに定義しつつ、俺は背筋を伸ばし、慎重に一歩を踏み出す。


 足元には、長年の間に複雑に張り巡らされた木の根や、昨夜の雨で湿った小枝が隠れている。こういった自然の障害が多い場所に入るのなら、やはり体幹を鍛えておくことは大切だ。些細な段差で足を取られて体勢を崩すことが少なくなるからな。


 そのことを切実に知っているからこそ、以前、高いコーチ代を払ってプロのトレーナーに体幹を得ようと頼み込んだ。


 しかし、コーチは俺の頼みを真剣に聞かず、ただ俺の肩を叩いて哀れみの目を向けるだけだった。そうか、やはり俺の運動神経は、そういった目を向ける類の物だったんだな。


 だが、それは普段の俺だ。


 今はナノマシンで体を強化しているおかげで、この鬱蒼とした森の中であってもまともに歩けている。ナノマシンを使い過ぎると、アメリアにバレてしまう危険があるのだが、使わないと一時間も持たずに倒れるのだから仕方がない。食事中に飲んだ偽薬の効果だと、アメリアが信じてくれたことを祈っておこう。


 俺たちを先導する女冒険者の名はリーンという。


 この森に慣れているのか歩みは速い。その足はどこを踏めばいいのかを知っているかのように安定している。それに小枝を踏む音すら最小限だ。あまりにも淀みのない足取りに、わざと俺たちを疲れさせようとしているのでは? と、疑いたくなるほどだった。


 だが、横を歩くアメリアは、ほとんど息を切らしていない。どうやら俺が異様なまでに遅いだけのようだ。ナノマシンを使っているのに、これほどの体力格差があるとは。やはりアメリアはただのお嬢様ではないなっ! と、自分の体力から目を逸らしておいた。


 世の中、見てはいけない現実というものがあるのだ。


 静寂の中、枯れ葉を踏む音だけが響くなか、さらに歩き続けた先、ふいに森の密度が薄くなり、開けた空間が現れる。


 そこには、空から細く差し込む陽の光を反射しながら、白に近い薄紫の花がかすかに揺れていた。


「……っ」


 俺は、思わず息を飲んだ。


 一輪や二輪ではない。木立の合間、苔むした岩肌の周りに、その純白の花サンイーリフが、薄い雪が積もったかのように群生している。


 花びらは繊細で薄く、光を受けて銀色にも見える。あたり一帯の空気が、その花の存在によって張り詰めているように感じた――のは、あまりに不自然な群生ぶりに、俺が内心でドン引きしていたせいかもしれない。


「……本当に、ありましたねー」


 アメリアの声は、森の静寂に吸い込まれそうなくらい小さかった。だが、驚きと共に呆れにも似た感情は、はっきりと読み取れた。俺も同じ意見だ。


 だってなー。


 賢者が禁じた植物が、都合よく整備された庭園のように自生などするものか。


 ましてや、これほどサンイーリフだけが一ヶ所に密集し、森の光が当たる開けた場所に存在するなど。人が手を加えない限りありえない。もう少し、うまくやれよと言いたいところだが、悪い事の先生になってやるつもりはない。ここは黙っていることにした。


「蜜の採取をさせていただいてもいいですか?」


 俺の問いを聞くと、リーンは腰に下げた銀色の短剣に手をやりながら、大柄な体を少し崩した楽な姿勢になった。一緒に来た二人の冒険者も同様だ。


「ああ、いいよ。この辺りには、大型のモンスターはいないが、それでも護衛は必要だろ。周りはアタシ達がしっかり警戒しておくさ。そっちは蜜の採取に集中しな。……だから、約束通り学園の件、頼んだよ」


 彼女は口の端をニッと上げ、冗談っぽく言ってくる。その声には、裏表のない豪快さが滲み出ていて、荒くれ者達の集団を率いてANEGO(姉御)とか呼ばれていそうだな、と想像させるものだった。しかし、その目は油断なく周囲の森を見張っているあたりプロということか。


「とりあえず、蜜を集めようか」


 俺はアメリアにそう告げ、足元の邪魔にならない岩の上に携行用の布を広げた。


「はい。やったことはないので教えて下さいねー。ちゃんとやれるかなぁ」


 アメリアは不安そうな表情をしたが、すぐに好奇心に目を輝かせた。


 俺はサンイーリフの群生の中へ跪き、採取の手本を示す。花弁に触れる指先には、その柔らかさと、湿気を含んだような少しの冷たさが伝わってきた。


「この布は三重になっている特別な布でね、花弁に触れる部分は液体を吸いやすくしてあって、その下の布は蜜の成分を蓄えておくためにあるんだよ。そして一番外側の布は、水分を蜜から取り出すためにある。花弁に圧力をかけないように、軽く触れさせておけば、少しずつ蜜が布に染み込んでくる。でも、間違っても力を入れて花弁を潰しちゃうと、蜜が青臭くなるし、この布も使えなくなるから気をつけてね」


 俺は注意深く、花弁を潰さないよう優しく布に押し当てる。蜜の甘い香りが、ほんのわずかだが鼻腔をくすぐる。注意事項を伝えながら、慎重に蜜の採取を続ける。この作業は、細心の注意を要する。


 そしてある程度の作業を行い、布がじんわりと淡い黄色に色づいたところで、次は小瓶に布に染み込んだ蜜を絞り出す作業だ。


「瓶が小さいのは、蜜は空気に長く触れていると香りが無くなるからだよ。蜜を瓶に少し溢れる位に入れたら、すぐに瓶の口を閉じることが、質の高い品質にするコツだよ」


 俺は、絞り出した蜜の表面張力が小瓶の口でぷくりと盛り上がる瞬間を見計らって、素早く蓋を閉めた。


 そういえば弟子達に、この蜜集めの方法は教えたことがなかったな。今さら教えても、実践する時間もないだろうが。アメリアに教えられたことで、俺が持つ知識を無駄にせずに済んでよかったかもしれないな。


 そんな事を考えながら、蜜集めを続ける。二つ目の小瓶を閉じようとした、その時だった。


 一瞬、森の静寂を切り裂くような、軽い、しかし異常な音が響いた。


 それは、上空から落ちてきた物を草が優しく包むかのような、もしくは布が擦れるような短い音。


 俺は反射的に音のしたそちらを見ると――


「アメ……」


 ――アメリアと言い終わる前に、俺もまたその場に倒れ込んでしまった。


 顔面が地面に近づく瞬間、サンイーリフがクッションになったせいか、痛みはなかった。それに伝わってくる土の冷たさはさほどではない。代わりに、強烈な花の香りに包まれる。問題は、鼻がこれでもかと花にくすぐられている事くらいか。


 ほどなくして、足音が聞こえ始める。それは一人ではない。二、三人か。その足音は、枯れ葉や小枝が散らばる草の上を歩くことに慣れているように感じさせた。職業的な、遠慮のない足取りだ。


 そして、頭上から、待ち望んでいたような、冷ややかな声が降ってきた。


「へえ。学園には、世間知らずのお嬢ちゃん達ばかりみたいだねー。また騙されるなんて」


 聞き覚えがある声であったが、気軽さは失われている。だが、間違いなく冒険者の女、リーンの声だった。


「まさか、まっさきに話すのが、欲しかった言葉とはな」


 俺は心の中で毒づく。彼女達は、例の誘拐事件に関係しそうな話を、不用意に口を開いた。どうやら、彼女達に、悪事の隠蔽や口裏合わせのコツを教えてくれる先生はいなかったようだ。


 ゆっくりと、起き上がる。弱っていると思われるように、肘で体を支えながら。


 もう演技は必要ないが、この程度の労力で、相手がまだ薬が効いていると思って油断してくれたら、後の展開がお得だからな。


「へー。まだ意識があるんだ。しぶといね。……アタシらの仕事を知っていて、わざと罠に掛かった上でここに来たってんなら、見逃せないけどねー。どっちだい?」


 リーンはつまらなそうな顔で、俺の返答を待っている。


 俺は顔の筋肉を緩め、わざと判断力の鈍った表情を作ってやる。


 サンイーリフには、花に特定の薬品を垂らすことで、花弁から気化性の眠り薬を発生させるという性質がある。しかも、その薬は一定時間、その場に留まり続ける。そして、空気中の濃度が臨界点を超えた途端、一気に強力な効力を発揮し始める。


 悪意を持って使われれば、中々に厄介な植物だといえる。なにしろ、これだけ厄介な眠り薬ができるのに、周りからは無害な純白の花畑にしか見えないのだから。前知識のない者は、簡単に騙されてしまう。


 それが、賢者として、俺がサンイーリフの栽培と使用を禁止した理由だ。


「いえ。わたし達はサンイーリフの通常の花粉対策をしたら、ちょっと対策が足りなくて倒れただけで……」


 俺は弱った演技のついでに、彼らを勘違いさせておく。


 嘘ではないんだよな。サンイーリフの花粉には、軽微だが眠り薬に近い作用がある。これの対策となる薬の使用が、そのままヤツラが用いた強化薬品を使われた場合への備えになるのだから。


 しかも、この対策薬は、錬金術の初歩、ありきたりな食材で数分あれば作れる程度の難易度だ。


 このため、薬で倒れた俺らが急に起き上がろうとも、俺たちが誘拐事件を調べるために、周到な準備をしてこの場に来たと判断するのは難しいだろう。


「はは。そうかい。どっちでもいいさ」


 リーンは肩を鳴らすと、骨が軋むような乾いた音が響く。


「捕まえちまえば、一緒だからねぇ」


 その一言で、周囲の空気が悪意を孕んだ重圧に満たされた。


 リーンの言葉を合図とし、背後にいた二人の男が、威圧するようにゆっくりと近付いてくる。


 俺は体勢を立て直すと、アメリアを背中に庇うように半歩下がらせた。


「後ろに」


 彼女は怯えたように、俺の袖を軽く握る。


 その指先は、微かに震えている――ように見えただろう、リーンたちには。


 俺はその手をそっと外し、代わりに彼女の手の甲を軽く二回だけ叩く。


(アメリア、図太いな。この状況でそれをやるなんて)


 一人の男が鼻を鳴らし、俺の首筋目掛けて、雑に手を伸ばしてきた。


 さあ、本番だ。


 今こそ高い金を払ってコーチを雇い、無駄に鍛えた成果を見せるとき。


 俺は即座に右拳を握りしめ、男の顎目掛けて力の限り打ち込む。


 だが、男は嘲笑うかのように俺を見下すと、俺の拳をまるで止まっているかのように難なく避けた。そのまま、躊躇なくカウンターを俺の右頬へ叩き返してくる。


 なんてゆっくりな動きなのだろうか――俺の拳は!


 ナノマシンで補強してなお、元々の運動能力が貧弱すぎる。


 見下されて当然だ。いや、むしろ見下されない方がおかしい。


 俺の腕は攻撃を終えて限界まで伸び切り、もはや防御は間に合わない。男の腕が風を切り、俺の頬を捉えようとしている。



――当たったら痛そうだが、永遠にその時は来ない。



 乾いた炸裂音が、男の耳元から静寂を暴力的に引き裂いた。


 男が驚きに体を硬直させる。


 耳の真横で炸裂音がしたのだから当然だ。彼の思考が一瞬停止したのが見て取れた。


 反射的に、音の発生源である俺の右拳に視線を向けようとする。


 だが、もう遅い。


 次の瞬間、右手に握られた粉末が白い煙幕へと変わり、敵を包みこんだ。


 俺を殴ろうとしていた男も、リーンも、彼女の横にいた男も全てをだ。


 殴ったのはフェイク。


 貧弱な俺の拳が大男を殴り倒せないのは百も承知だ。


 殴るそぶりをして、袖の内側から滑り出させた四角い筒を、ナノマシンで強化した超握力で握り潰したのが炸裂音の正体。


 握り潰して粉末状になった筒は、俺の手袋の縫い目から滲み出たナノマシンによって分解され煙幕となった。


 発生した白い煙幕は、ただの目眩しではない。目と鼻と口といった粘膜によく染みる賢者様お手製の品だ。


 クラリス曰く、理想のお嬢様で美少女な俺のナノマシンだ。喜んで味わってくれ。いや、やっぱ気持ち悪いから喜ぶのも味わうのもやめてくれ。黙って、嗚咽しながら苦しんでくれるだけでいい


 いや、それも複雑な物があるな。


 やはり俺の前から永遠に消えてくれるだけでいい。それも出来ないのなら、仕方がない。――俺がこの場から消えてやろう。


「お手をどうぞ」


 風上にいた俺たちに、煙幕は届かない。だから少しだけキザっぽく手を差し伸べた様子は、アメリアにはハッキリと見えただろう。


 舞台俳優のような、不自然なほど優雅な仕草だったらいいなーと、思わなくはないが、これだけの舞台演出を頑張ったんだ、下手な芝居でも多めに見てくれ。


 アメリアが小さく笑う。


 その笑みには、先ほどの怯えの演技はもはやなく、彼女は明るい表情で俺の手をとった。


 森の中で、逃避行を開始する。もっとも被害は追いかける側の方が、いや追いかける余裕はないようだ。


 白い煙は、森の奥から吹き込む微かな風上にいる俺たちの味方だ。


 背後で、何かが倒れる音、罵声、そして苦しそうに咳き込む声が聞こえる。


 ふむ、予想以上に煙幕の攻撃力が強かったようだが、まあ、いいだろう。


 俺たちは手を繋いだまま、サンイーリフの群生を飛び出し、森の木々を縫うように走り続ける。落ち葉や木の根は、ナノマシンの恩恵を受けた俺の強化された体幹にはもはや障害ではない。


 それにしても、本当にアメリアは図太い。


 冒険者と対峙したとき。俺が後ろに下げた彼女が、怯えたふりをして俺の袖を握ったのは、指示を求めるという合図だ。その後、俺が二回だけ手を叩いたのは、逃げようぜの合図だった。


 まさか、あの状況で、躊躇なく、事前に打ち合わせていたとはいえ、迷うことなく実践するとはな。


「アメリア。名推理、期待してもいい?」


 走りながら、一瞬だけ振り返って訊ねてみた。


 僅かな瞬間に見えたのは、彼女の自信に満ちた顔。この表情こそが、最高の答えなのだろう。


 それでも、俺は彼女の答えを聞きたいと感じた。


「ええ」


 彼女は息を切らすことなく、小さく笑う。


「これで、事件の形は見えましたよ。あとは……」


 一瞬、彼女の声の種類が変わった気がした。それは、イタズラを仕掛ける子供のような、好奇心と悪戯っぽい含みを帯びたものだった。


「……私の名推理を最後まで見られるかは、リクアさんの体力次第ですね」


 俺も、思わず笑ってしまう。全く、嫌味な言い方をする。


 安心しろ、アメリア。


 体力の低さで他の追随を許さない俺だが――お前に言った体力増強薬を飲んだという設定のもと、実際はナノマシンを使いまくっている。


 足を持ち上げるとき、重さを全く感じない。呼吸は深く安定し、視界も冴えている。体力があるというのは、なんとも素晴らしいことか。


 これなら、お前の推理を特等席で聞けそうだ。

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