第9話 賑やかな今日が始まる――欠けた日常の中で(8)
アンティナ同好会の裏の活動には、他者に秘密が悟られないための拠点が必要だ。
しかし、こういった建築物について無頓着なところのある俺は、どのような建物が裏の活動に適しているのかは、他者に判断してもらうしかない。だからクラリスに任せることにした。もちろん嫌な予感しかしなかったが……彼女の仕事は完璧だった。
叡明学園近くにある古びた屋敷を買収し、今は改修を進めている段階だ。室内は、壁や床材の張り替えのために剥がされており、改装を終えるのにはまだ時間がかかることを予感させる。
あと、やけにピンク色の塗料の缶がやたら目につくんだが――ちょっと多過ぎないか? すでに後悔し始めているが、完成形を見ないことには判断できない。むしろ判断するのが怖い。
しかし拠点の完成を待つわけにはいかない。
サラスに相談された、ギフテッドと呼ばれる特殊な才能を持つ学生が誘拐されたと思われるあの事件のせいだ。
この事件に関しては、多くの組織の管轄をまたがっているため、権限が干渉しあって動くのが難しいという状況にある。
被害者の安全を考えると、裏の活動として早くこの事件を解決する必要があった。
「で、だ――」
鏡に映っているのは、やる気を全く感じない目をした少女。それが誰なのか、名を口にする必要もないだろう。
「なんで俺が、こんな格好をしなきゃならないんだ?」
さて、服をサイズ合わせだと言われて着たら、なんでこんな格好になっているのだろうか。
「ええ、学生がかわいい姿で喫茶店でアルバイトをする。そして、その店には同好会の友人が集う。バイトの子だから、オーナーは特別に奥の個室を使わせてあげる――まさしく完璧な論理。完璧すぎて自分が怖くなるほどです」
鼻息も荒く言い放つのは、いつも通りクラリスだ。彼女の瞳に過剰なまでに強い情熱を感じるが、気のせいではないだろう。
「店を用意する理由は分かった。俺が聞いているのは、なぜ俺がウェイトレスの服を着せられているのかという点だ」
黒を基調とした服には、フリルとレースが所狭しと縫い付けられている。感想を一言で表すのなら、やたらに豪華な服。かろうじてウェイトレスの制服だと分かるが、これ作業に向いていないんじゃないか?
「お嬢様の可愛い姿を、私が見たかったからです」
清々しいまでの私情だった。
「お嬢様はやめろ。……よくはないが、ウェイトレスまで譲ろう。本当は譲りたくないが、今は忘れる。だがな――」
頭に手をやると感じたのは、やけにふわふわとした感触。それは俺の尊厳を、現在進行形で削り取っている物体。決して俺の頭の上にあってはいけない、禁断のアイテム。
「なんで俺が、猫耳付きカチューシャなんて付けてるんだ?」
「かわいいからです」
絶対、お前の趣味だろ。
「ですがお嬢様、考えてもみてください。こんなにあざとくて、かわいい格好をした女の子が、裏で事件を解決する手助けをしているだなんて、誰が想像するのでしょうか?」
「……くっ」
目を背けていた現実だった。
確かに、こんなふざけた格好の子供が事件の解決に貢献しているなどと言おうものなら、まともな人間なら何かの冗談だとしか思えないだろうな。認めたくはないが、カモフラージュとしては、中々優秀な装備なのかもしれない。
俺の精神がゴリゴリと削り取られている点を除けばだが。
「俺、少し前まで、いい年した男だったんだが」
「今は、理想のお嬢様なので些細なことです」
「俺にとっては、些細じゃ済まないんだが?」
今も、鏡を見るたびに、俺の尊厳が悲鳴を上げているんだぞ。
「ご安心ください。ウェイトレスに猫耳カチューシャだけではございません、叡明学園以外の制服に、ゴスロリなど、各種かわいいを取り揃えております。きっとご自分の愛らしさに気付ける日が来ることでしょう」
「自分を愛らしいなどと、考える日は来て欲しくないんだけどなー」
今さら、コイツの脳みそに、なにを言っても手遅れだろうな、きっと。
「人選ミスという言葉の意味を、今日ほど痛感した日は――あるが、大半がお前関連なんだよな」
そのように言って、更なる絶望を振り返る。
それは、この店の書類上のオーナーはこいつであるという恐ろしい事実だ。
俺は、なぜこいつに拠点の確保を任せてしまったのだろうか? こうなることは……いや、想定を上回っているが、悲惨なことになるのは目に見えていたのにだ。
あぁ、分かっている。こいつはその優秀さを、俺が他の人間に指示を出せないよう、先回りして外堀を埋めるのに使ったんだ。しかも急いで裏の拠点を作りたい状況だったせいで、それをやられたら、こいつ以外に選択肢が残らなかった。
他の拠点を用意するか? いや、こいつの言う完璧な論理は確かだ。弱体化が知られるリスクを減らすのに、ここ以上に役立つ場所が思いつかない。
「バイト代、はずみますよ?」
「それ、元を辿れば俺の金だからな」
この店の改装費も運営費も、全額、俺の財布から出ているんだぞ。
「本音はさておき、建前の話をしましょう」
「今までのが全部本音なのが恐ろしいよ」
こいつの場合、嘘は滅多に言わない。直球で欲望をぶつけてくるからタチが悪いのだ。しかも、俺が今の姿になってから、その傾向が明らかに強まっている。
「先生の弟子である私が運営する店には、当然、他の弟子たちも顔を見せます。彼らは社会的地位が高いので、個室に通される。そこでバイトの子が、注文の品を運ぶついでに少し話をする」
その通りだが、これ建前なんだよな。
「そうすれば、堂々と彼らとお話ができる。そうすれば、より正確な情報が手に入る上に、指示も出しやすくなる。よって同好会の活動が行いやすくなる。これも完璧な論理です。ああ、優秀すぎる自分が怖いです」
「お前なら、そこまで考えるよな。もっと俺の尊厳に優しい形で、その優秀さを発揮して欲しかったと思うのは、贅沢な悩みなのかな?」
俺は深いため息をつき、スカートの裾を摘まむ。本当にヒラヒラしているな。こんな物を俺が履く日が来るなんて思っていなかった。
「もう尊厳は捨てちゃいましょう」
「嫌だよ!!」
ものすごくイキイキしながら酷いことを言うな、コイツ。
だが、悔しいことに、こいつの計画に乗るのが、今の俺にとってのベストなんだよな。
この店を拠点にすれば、各組織の幹部になっている弟子と接触しやすく鮮度の良い情報も手に入る。
さらに、あいつらへの指示も直接行える。しかも幹部クラスの情報が入ってくるのなら、各組織の諜報員がメンバーになったとき、裏切っていないか確認することもできる。
(どうしよう。メリットが大き過ぎる)
だが、もう少し文句を言えばウェイトレスから解放されるか? いや、無理だな。諦めて話を進めよう。
さて――。
「この話は終わりだ。同好会活動のために、いくつか噂を流して欲しい」
同好会の活動は、綱渡り的な要素が大きい。リスクを減らすために、世論を操作して、使える手札を増やしておきたい。
「ぼ、……謀略の賢者、いや、これはやめて、賢者とだけ名乗ることにする。自分で名乗るのは精神的にきつい。自分で賢者と言うのもなんだが、そこは目をつぶってくれ。まず賢者には、密かに育てている八番目の弟子がいると噂を流してくれ」
八番目の弟子などいないのだが、この噂は意外と役に立つだろう。
「これは、学生が事件解決をして、その手柄を治安部隊に譲ったのが世間にバレた場合に役立つ。賢者が弟子を通して知恵を貸したと言えば、彼らの面子もそこまで傷つかないからな」
もっとも、必要とする場面は避けたいものだが。
「はい。今の段階で広まり過ぎると悪い影響が出るでしょうね。しかし全くの無名であっても役に立たない。ですから拡散の速度に気を付けて噂を広めようと思います」
本当、こういう仕事の話をしている時は優秀なんだよな。最近は、変態のお姉さんでしかないのに。
「併せて、今の段階ではなく、誘拐事件を解決した後の準備もしておきたい」
権力の空白を埋めるのなら、目の前の事件を解決するだけというわけにはいかない。いくつか手を打っておこう。
「俺らの三大勢力と、アンティナ評議会は、合同で治安維持部隊を一時的に作ることになるだろう。その合同治安維持部隊が、俺達の調査で事件を解決した段階で、その功績を称える話を広めてほしい」
「噂は、複数の媒体を通して広めた方がよろしいのではないでしょうか」
「確かにそうだな。そうしてくれ」
しかし、これだけでは民衆の頭には、職務を全うしただけだとしか記憶されないだろう。変態のお姉さんに、もう少し働いてもらうか。
「その話を広める際だが、この合同治安部隊に最高に魅力的な呼び名をつけてくれ」
これも並行して、やってもらわないとな。結果が、まったく違ってくるはずだ。
「解決した事件の内容や部隊の活躍などと一緒に、考えた呼び名を世間に広めるようにしてほしい」
「世間が憧れるような呼び名をつけて、職務遂行のはずが英雄譚に仕立て上げる事も可能となる――と、いうお考えでしょうか」
「その通りだ。本格的に、権力の空白を埋める組織を作るときに、この英雄譚はきっと役に立ってくれるだろう」
本当に優秀だよな。尊厳が抉られても、この優秀さのせいで、仕事を任せないという選択肢はとれないんだよなぁ。変態のお姉さんなのに。
「他には――急ぐ必要はないが、女子高生を主役にした演劇を公開して欲しい。そうだな……ルカに依頼をしてくれ。あいつならいい人材を紹介してくれるだろう」
ルカは、楽団を率いて他の国にすら足を伸ばしている弟子だ。あいつの芸術関連の人脈は凄まじいからな。任せておけば大丈夫だろう。
むしろ演劇の人気が高くなりすぎても困るんだが、致命的な結果にはならないはずだ。
(こいつ、さっきから俺の顔を脳に焼き付けているようだな)
色々と指示を出す中で、こいつの視線がずっと俺の顔から外れていないことには気付いている。これまでの言動を考えれば、俺の猫耳姿がよほどお気に召したんだろう。
だが、あれこれ言ったところで、いつも通りこいつのペースに呑まれる未来しか見えない。変態のお姉さんに勝つのは、至難の業らしい。
諦めて、話を続けることにした。
「色々と言ったが、次で最後だ。これは、他とは毛色が違う指示になる。お前達は、連名で芸術コンクールを開いてくれ。内容はなんでもいいが、金は俺が出すから盛大にやってほしい」
これも、あと一つ、手を加えておくか。
「それとコンクールを終えた後で、この店と隣接する場所にアトリエなどを作ると、どのような効果が出るのかを確認してくれ。人に知られない形で、同好会の裏の活動への影響も調べておいてくれ」
「ふぅ、仕事が山積みですね。これは是非とも、相応のご褒美を頂かなければ」
クラリスが、欲望にギラついた視線を送ってくる。おい、変態のお姉さん、なにを企んでいる。
「ぉ、お前、次は何を着せる気だ?」
最近、ブティックに行くことが増えたって報告が来ているんだが? それ、俺に変な物を着せるためじゃないよな?
未来を想像して慄き、クラリスに答えを確認するか迷うも、その時が訪れる事はなかった。
予期せぬ来訪があったためだ。
軽快なベルの音が鳴ると、喫茶店のドアが開いた。まだオープン前のはずだが……は?
入ってきたのは、サラスとアメリアだった。
なんで二人がここにいるんだ?
「拠点の場所をお伝えするのは早い方がいいと考えまして、お二人をお呼びしておきました」
お、お前、そういうことは早く言え!
「ね、ネコ耳……ウェイトレ……ぶふっ」
サラスが俺の姿を見た瞬間、吹き出した。必死に口元を押さえているが、肩が小刻みに震えている。 そりゃそうだ。つい先日まで、中身はいい年した男だったヤツが、猫耳ウェイトレスをやっているんだぜ?
「よ、よくお似合いですよ……? その、似合いすぎて困るくらいに……」
アメリアの優しさが、鋭利な刃物となって胸に突き刺さる。フォローになってない。むしろ止めだ。
「え、ええ。本当に、信じられない位に似合っているわ。あ、安心し……ぶふふっ」
キツすぎる。俺が原因だが、犯人は別にいるのに、なんでこんな居た堪れない空気の中に放り込まれなければならないんだ!?
沈黙していては、俺におかしな肩書きが付きかねない。爆弾は、爆発しないから危険なんだ。いっそのこと爆発させて、中にある全ての爆発物を無くしてしまえば、それは危険物ではなくなる。
そうだ、答えはこの手の内にあるのだ!
「ぁ、ありがとうニャン♪」
俺はやる気のなさで定評のある目を見開き、両手を猫の手のように招く。そして全力の愛想を振りまいた。
「ぶふぉッ!!」
サラスが沈んだ。これ以上ないくらい腹を抱えて笑っている。
アメリアも背中を向けて震えているが、その震え方があまりにも小刻みすぎる。あ、今ちょっと呼吸困難になってないか?こういうのに、慣れていなかったのか。だが、安心しろ、俺も羞恥心で呼吸をするのが辛いからな。
そんな俺達をよそに、元凶であるクラリスだけは、なんとも嬉しそうに目を輝かせ、うっとりとコチラを見つめていた。
お前……あとで覚えておけよ。
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