第1章 魔導機兵ルミナリスⅠ~始原の感情
私の名前はルミナリス。
この冒険の旅に出た目的、私が果たすべき役割が今終わりを告げ、大きな悲しみと喪失感の中、自分の中にある“気持ち”を整理するためにも、この記録をしたためている。
これからの私の身の振り方をどうするのか、何を為すべきか……いいえ、何を為したいのかを見つけ出したいと思う。
美しくも悍ましい、悪夢のようなあの日々を見返せば、これから先、何を指標として行動すれば良いのかが見えてくるだろう。
私の始まりは……クレデンティウム帝国の大侵攻により、神聖王国連合の首長国マクシュハエル王国が滅びた“大王都陥落の日”よりも、さらに二千九百二十四日前。
私が私であると認識した、懐かしいあの日だ。
「ねえ、貴女。貴女の瞳は青みを帯びて輝いているのね。素敵じゃない。お父様、私、この方をとっても気に入りましたわ」
バラの香りがよく似合う、屈託のない笑顔の美しいヴェリットお嬢様――唯一ご主人様と認識しているお方だ。
帝国の貴族にして軍司令を務めるルヴェリア家は富み栄え、ヴェリットお嬢様も何不自由なく育たれた、明朗にして心映えの豊かなお方であった。
私は、そのヴェリットお嬢様の専属護衛兼侍女として、帝国特例法「将官保護令」に基づき配属された。
「良いか、コグナルマグナ七〇三。帝国魔導装甲部隊軍司令としての権限を以て貴機官に命令する。私の娘ヴェリットを唯一無二の主人であり保護対象として、貴機官の全機能をもって、いかなる時も守り、その安全を確保せよ。貴機官は本日ただ今より、本命令をすべてにおいて最優先事項として行動するのだ。命令の上書きは許されない。以上だ」
これが、その時に下された命令。
私は帝国の魔導技術で作られた女性型魔導機兵であり、人間ではない。
完全自律指向で調整された、特別機体であるコグナルマグナ型と呼ばれる千体しか製造されていない希少機種で、他の魔導機兵に無条件で命令可能な将官機だ。
外見は随分と人間に寄せて作られてはいるが、顔や体は、一目見れば誰しも機械であると認識できるよう設計されている。
諜報部隊のように人間に溶け込む任務があるわけでも、暗殺任務を請け負うわけでもないので、一目で機械とわかる姿は、却って安心感を与える意図がある。
体内には貴重な魔導核を備え、戦地での軍の指揮、情報把握能力、状況判断のための並列演算、強大な魔物や高火力な攻撃魔法を使用する敵を想定した迎撃・排除能力と防衛機構を組み込まれている。
治安の行き届いた帝国首都内の、さらに安全な御屋敷でのヴェリットお嬢様の護衛任務には過剰な戦力だが、旦那様が軍司令であり、より高機能の護衛を望まれたゆえの配属と理解している。
もともと私には名前などなく、「コグナルマグナ型七〇三式五六五壱弐〇四」という個体認識番号しか与えられていなかった。
しかし、配属された二日目、『涙の満ちる夜』に催された夜会の席で、お嬢様より名をいただいた。
神々と巨人、神龍の覇権争いで打ち砕かれたとされる蒼く輝く月の欠片たちが、美しくも哀しく彩る『星の涙』。
そのすべての星の涙が煌々と輝く満天の夜空の下、月明かりが反射する私の目と顔をご覧になったお嬢様は、
「決めましたわ。貴女のお名前をどうしようかって、ずっと考えていたのだけれど、たった今閃きました。星の涙が輝く乙女……ルミナリス。これが貴女のお名前ね。どう? 気に入ってくれたかしら?」
そう、にこやかに笑いかけて名前を付けてくださった。
あの時、私の演算機能に不思議な干渉が入り、ほんの少し乱れていた事実が記録されているが、今ならばそれが何であったか分かっている。
私は――嬉しかったのだ。
これが私の始まりであり、始原の感情として、一番に大切にしているものでもある。
私は今、型式番号ではない、私自身の名を持っている。
私はルミナリス。帝国で造られた元魔導機兵で、感情を持った機械だ。
そして、この細やかなことが数奇な運命を織りなすかぎ針となり、私をあの美しい悪夢の大奔流へ押し流してしまうきっかけになるとは、思索領域を遥かに超えた、まさに“運命”と呼ぶべき出来事だった。
人の成長とは、実に早いものだ。
私がヴェリットお嬢様と出会ってから五年。
あどけなさを残していた少女は、今や誰の目にも麗しく、気品と優しさを兼ね備えた淑女へと成長された。
私は魔導機兵として、昼も夜もお嬢様に仕え続けた。
快適であられるよう常に傍で仕え、時に相談相手となり、時にただ寄り添う。
お嬢様はそんな私に、辛いことも楽しいことも、嬉しさも嫌なことも、すべてを打ち明けてくださった。
あの頃の私は、感情というものをまだ十分には理解できていなかったが、ただ一つ、はっきりしていることがある。
私は幸福だった。
なぜなら、お嬢様の傍らにいることが、大好きだったのだから。
花のように可憐で、美しく、鷹揚にして、誰にでも優しく微笑まれるお嬢様。
もしこの気持ちを伝えることができたなら、お嬢様はどれほど喜んでくださっただろうか。
今となっては二度と叶うことのない、私の秘めた願い。
お嬢様の面影も、声も、仕草の一つひとつも、悲しいお顔も、花のような笑顔も、そのすべてが私の記憶領域に厳重に保存されている。
それは、唯一無二の宝物だ。
そんな愛おしき日々も、唐突に終わりを告げてしまった。
燃え盛る業火の悲劇の日――私の記憶域に、あまりにも鮮烈に刻みつけられている、あの日。
私の長い旅路の始まりであり、もし私が人であったならば、眩暈がするほど悍ましく、そして皮肉なほど美しい、永遠に終わらぬ悪夢の日々だと記しただろう。
私は魔導機兵という機械人形。
記憶域が壊れぬ限り、忘却という呪いも祝福も、私には存在しない。
選択的な記憶の消去は可能だが、それらはすべて私を形作る『魂の輪郭』であり、決して切り捨ててはならないものなのだ。
嬉しさも、悲しみも、痛みも、苦しみも、楽しさも――そのすべてが私を形作り、私だけの存在証明となっているのだから。
私の名はルミナリス。
感情を持ち、記憶を抱きしめて生きる、機械だ。
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