第5話
リセットされるのは構わない。ただ、その前に、ペンダントを……わたくしの四つ葉のクローバーを返していただかなければ。
「あの……少し、よろしいかしら? 先程拾ってくださった、わたくしのペンダントを返してくださらない?」
そう声をかけると、わたくしと並んで立っていた男性は、顔を背けたままなぜか言葉を返してこない。わたくしから話しかけられるとは思っていらっしゃらなかったから、驚いている。という訳ではなさそうね。なんですの? まるで気まずくて言葉を選んでいるとでも言いたげな様子だわ。……まさか、返せないというの?
「お、お願いいたしますわ! せめて、リセットされる前に、手元に戻しておきたいの。たとえ消えてしまうのだとしても、最後まで、身につけておきたいのよ!」
懇願にも近い必死さで、訴えることしかできないわたくしは、本当に無力だわ。
外の世界の娯楽として作られ、それに縛られ生きるしかない。そう教えられたあの時は、確かに腑に落ちた。けれど、嘘であって欲しいと心の奥底では何度も願ってきたの。今の今までずっと……。
この世界が虚構であること、わたくしを含む全ての人間が、AIという作られた存在であるなんてこと、素直に受け入れられるものですか。それなのに、ヒロインの最後の姿が、脳裏を過ぎる。
突然この世界に現れたこの方は、例えるなら神の眷属。先程、ヒロインを消し去ったことから読み取れるのは、彼らの指先ひとつで、この世界は簡単に変えられてしまうということよ。そう理解してもなお、わたくしの足はその場に縫いとめられてしまう。
神に慈悲を乞うなんて、なんと浅ましいのかしらと、わたくしの理性は嘲笑うけれど、心があの方の約束を、手放したくないと叫んでいるのよ。
「え!? ちょっと、跪かなくていいから! 違う違う! あの、さ。とりあえず、頭を下げるのやめようか。ね? そんなことしなくても大丈夫だから」
慌てたような男性の声を受けて顔を上げると、わたくしの視界が歪んでいた。いつの間にか、閉じた目蓋の裏に涙が滲んでいたのね。深く息を吸い、気持ちを落ち着かせる。
わたくしの手を取り、立ち上がらせる彼の表情には、複雑な心境が浮かんでいた。
「えっと……ペンダント、ペンダントね。はい。あの……悪いんだけど、転がってきた時に中身見えちゃった。……ごめん」
「中身を見られたことは気にしませんわ。拾っていただき、ありがとうございます」
差し出されたペンダントを受け取り、中身を確認する。外の金細工には傷があるけれど、中身は無事だわ。そっと両手で包み、四つ葉のクローバーが帰ってきたことを噛み締める。
「そっか、なら良かった。……それ、四つ葉のクローバーだよね? 随分色褪せてるみたいだけど、ドライフラワーってやつ?」
「いえ、これは……」
思わず言い淀んでしまったけれど、彼は外の世界の方なのだから、隠す必要がないことに思い至る。
「これは、わたくしがこの世界で歩んできた時間を表しておりますわ。これをいただいたのは……四十七年ほど前でしょうか」
「は? 嘘でしょ? え、だって、あのマヨラーがプレイしてたのは一年くらいだよ?」
話が噛み合わなくて、わたくしは首を傾げてしまう。マヨラーというのはDXマヨもりもり様のことで合ってるはずね。となれば、外の世界とこの世界の時間の進み方に、齟齬があるということではないかしら。
「今回のヒロインの方が、こちらの世界に滞在していたのは三年ですわ。それ以前にも、何人かヒロインのお相手をいたしましたから、わたくしの体感として、三年間を十六回という計算になります。この四つ葉のクローバーは、わたくしと同じ時間を刻んでいたらしく、自然とこうなっていたのです」
よほど衝撃だったのか、「マジか……」と小さく零し、男性は愕然として固まってしまわれたわ。
考えてみれば、これはわたくしというバグを放置していた年数でもありますものね。時間の進みが違うといえ、長年問題を改善できずにいたという事実を、突然突きつけられてしまった瞬間なのではないかしら? 受け入れ難いのは当然ね。
四つ葉のクローバーを覆うガラス面を指先で撫でる。この四つ葉のクローバーは、あの方の約束と、わたくしの待つという覚悟の証だったけれど、ここにきて、彼らの怠慢の証拠にもなってしまったというわけね。
偶然だけれど、創造主である彼らを少しでも揺るがすことができたのならば、上出来よ。少なくとも、皮肉のひとつも送れなかった相手に、はじめて届いた小石ね。
「そんな長い間、俺は、メアリーをひとりにさせてたのか……」
絞り出すような男性の呟きが耳に届き、それに応えるように顔を向けたわたくしは、彼の痛ましげな視線に射抜かれた。
「ごめん、そんなに待たせてると思ってなかったんだ。こっちだと、せいぜい二年くらいだったから。それでもまぁ、待たせてるなって焦ってたんだけど……」
悔いるような言葉を紡ぐ彼から、目を逸らすことができない。内容は理解できるのに、その意味を正しく咀嚼できない感覚だわ。だって、そんな、まさか──
「あなた……しめ鯖嬢、なの?」
「うわぁ。今、その名前で呼ばれるのはさすがに気まずいかも。あん時、もっとマシな名前にしとけば良かったな」
その、恥を誤魔化すように眉を下げて笑う癖に、見覚えがありますわ。あの方も、時折、そうやって笑ってらしたもの。本当に、本当にあなたがそうなのね? 今度こそ、本当に泣いてしまいそうよ。
「お待ち、しておりました。約束を覚えていてくださって、本当に嬉しいわ。……でも、ループしていなければ、わたくし、おばあちゃんになってしまっていてよ?」
責めているわけではないけれど、嫌味を添えるのを忘れてはいけないわ。そうするとね、「本当にごめんなさい!」と勢いよく謝るあの方が、合わせた手の隙間からチラリとこちらを盗み見るのよ。以前であれば、きちんと謝罪なさいと叱っていたところだけれど、今はそれが懐かしくて、まるであの頃に戻ったみたいになれるのよ。
わたくし、あなたに伝えたいことがたくさんあるの。でも、それは今でなくてもいいわ。まずは、今回のエンディングやリセットについて確認しなければいけないもの。わたくしは、彼に説明を乞う。
「これからのことなんだけど、まずゲームは一旦サ終になる。これは決定事項なんだ。あ、サ終っていうのは、サービス終了の略語でね、娯楽として提供するのをやめるってこと。外部ツールを使うやつが、思ったよりも多くてさ、メアリーのキャラ依存バグの原因は、AI学習のリセットがされないってところまでは突き止めたんだけど、直そうにも根幹のプログラムにまで影響が出てくるようになっちゃって。もう参ったよ。永遠にイタチごっこさせられて、マジで地獄よ。いつも割を食うのは技術屋なんだからさ、正直、やってらんないよ。まぁ最終的には、修復もなんもあったもんじゃなくなったから、人件費とかのコストと売上を天秤にかけて、上の連中がサ終にするって判断したわけ」
「話の半分も分かりませんでしたが、あなたが、とても頑張っていらしたのは伝わりましたわ」
「やっぱり察しがいいね。さすが悪役令嬢」
「それ、不愉快なのでやめてくださる?」
はじめて交流した時をなぞるようなやり取りに、お互い笑顔を浮かべる。たとえこの世界が、この時間を最後に終わりを迎えたとしても、あなたに会えたのだもの、それだけで、救われた気がするわ。わたくしは決して、ひとりで抗っていたわけではなかったのよ。
神にもできないことはあるでしょう。だって彼らは本当の神ではないわ。わたくしを未来に連れていくという約束が果たされなかったとしても、悔いはない。
「あ、それで、この後のことなんだけどね」
「えぇ、娯楽の提供をやめるという話ね? この世界は存在できなくなるということで、合っているかしら?」
わたくしの問いに、彼はニヤリと口角を上げて応える。不敵な笑みというか、イタズラを隠している子供というか、どちらにせよ、なにか企んでいらっしゃるに違いないわ。本当にこの方は、ろくでもないわねぇ。
「多分だけどさ、俺、あの約束、守れると思うよ」
それを聞いたわたくしは、驚きのあまり目を見張ってしまったわ。得意げに胸を張っていらっしゃるけれど、どうやって叶えるというの?
「改めて自己紹介するね。俺の名前は川岸 蓮。これが日本……じゃなかった、外の世界での名前。こっちの法則では、レン・カワギシになる」
「レン・カワギシ様」
「そう。で、こっからが大事な話ね。俺、こっちの世界で生まれ変わることになったみたいだから」
驚いているわたくしを尻目に、「よろしくね」などと平然と言ってのける姿に、軽く怒りさえ覚えましてよ。イタズラに成功したようなお顔で、わたくしの様子を伺っているのも腹が立つわ。
本当に、本当に理解が追いつかないわよ! この方は、いったいなにを仰っているの? この世界に生まれ変わるなんて、そんなこと、どうしたらできるというのよ!?
「……あなたはやはり、こちらの予想を常に超えていないと気が済まないのね。分かったわ、まずは話を聞きましょうか。わたくしにも分かるように、ちゃんと、一から、説明していただける?」
腕を組み、高圧的な態度をあえて取らせていただくわ。こうでもしないと、この方はのらりくらりとはぐらかしてしまうかもしれないもの。逃れられないと降参してもらわなければ。
「いいよ、メアリーには全部話すよ。でも、残念。時間切れだ。そろそろ強制停止が解けるからね。落ち着いて話ができるように、後日、改めて連絡するよ」
そう言い残すと、彼は音もなく消えた。取り残されたわたくしが戸惑っている時間は短かったわ。次の瞬間には、確かに世界が動き出したの。
何事もなかったように殿下がたは退室し、楽団のリハーサルが再開される。舞踏会の準備に勤しむ生徒たちは、時間が停止する前の一連のやり取りさえ、なかったかのように振る舞う。
「メアリー様、どうかされましたか?」
「……なんでもないわ。少し、考えごとをしていただけよ」
こうして、誰に知られることもなく、呆気なく断罪劇の幕は降りた。
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ループする悪役令嬢は、ヒロインへ物申す。 宵紘 @yokou_world
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