第4話
派手な音をわざと立てるように突然ドアを開け放つのだもの、その常識のなさに、驚いて数秒固まってしまいましたわ。
「まぁ、ハロルド殿下。一体どうなさいました? わたくしは今、明日の舞踏会のリハーサル中で手が離せませんの。そのお話は、あとではいけませんか?」
舞踏会の要であるワルツの最終リハーサル中に、無関係な彼らが押しかけてくるなんて、冗談ではありませんわ。
断罪イベントで、本来わたくしが言うべきセリフなど、知ったことではなくってよ。わたくしがなにを言っても、多分殿下から返ってくる答えに変わりはないのだから、苛立ちを含んだ言葉を返しても許されると思うのよ。
「メアリー、君との婚約を、今この時を持って破棄させてもらう」
ほらね? なんにも変わらなかったわ。
AIとやらは学習するのでしょう? ならば、わたくしの言葉に少しくらい迷いを見せてもいいと思うのだけど、それすらもない。
こちらを睨みつける殿下には、楽団員の存在も後輩の存在も見えていない。もちろん、その楽団員も後輩も、わたくしを庇ったりリハーサルを中断させられたことに対する抗議もない。目の前のヒロインを除いた全員が、ゲームのキャラクターとして当たり前の行動をしているだけなのよ。それは分かっているわ。でも……それでも……。
「……なぜ、とお伺いしてもよろしいかしら? わたくしに……一切の落ち度はない、と自負しているのですけれど」
「身に覚えがない、と? 君が今まで彼女にしてきた仕打ちを、忘れたとは言わせない!」
ゲームのハロルド殿下ルートでは、婚約破棄を言い渡されたことにより激昂するわたくしが、ヒステリックに責め立てながらヒロインに詰め寄る場面。でも、そんなことはいたしません。本来のゲームの流れである、『危険を感じた殿下の指示により、後ろ手に拘束されて強制的に跪かされる』なんて醜態を、晒してなるものですか。例えわたくしの運命が、プログラムというもので決められているのだとしても、抵抗できる限りは、抗って差し上げます。
「メアリー……君がこれほどまでに愚かだったとは、失望したよ。……彼女を拘束しろ」
こちらこそ、あなたたちにはずっと失望していてよ。これから先もずっと、ね。
ハロルド殿下の指示により、わたくしは拘束される。しかし、毅然とした態度を崩さず大人しく従っている以上、強引に跪かせることはできない。だって無抵抗な人間を引き倒すようなことをしてしまえば、そちらが悪役になってしまうもの。立場の逆転など起こってしまっては、プレイヤーがゲームを止めてしまう可能性すらありえると思うのよ。だからわたくしは賭けに出て、そして勝利した。無様な引き際など一欠片も見せてやるものですか。
わたくしの肩と腕を掴んで拘束するのは、攻略対象者でもある殿下の側近の方。なるほど、衛兵ではなく彼らが役割を担うのね。こういう細かい部分に、ハロルド殿下ルートの断罪との違いが出るのだわ。
「この場で彼女へ謝罪すれば、君のこれまでの行いを不問としよう。さぁ、メアリー。跪いて誠意を見せるんだ」
ヒロインの腰に手を回し、そっと労わるようにわたくしの前へと誘う殿下。甘い視線で彼女を見つめておりますけれど、その愛しいヒロインの表情をちゃんとご覧なさいな。彼女はまた、あのなんとも言えない顔をしておいでよ。シリアスな場面が台無しだわ。もう少し我慢なさいませ。
それにしても、殿下のセリフには深い、深い、ため息が出てしまうというものよ。どうしてもわたくしを跪かせたいのね。攻略対象者である殿方に囲まれて大事に扱われるヒロインと、無様に床へ這い蹲る悪役という構図は絶対なのだわ。
「……お断りいたします」
わたくしがそう告げた途端、掴まれていた腕を後ろに引かれ、肩に強い圧がかかる。捻り上げられた痛みに顔が歪んでしまうけれど、そんなことに構ってなどいられない。謝罪を強制させられるという事実に、怒りが込み上げる。
このままゲームのキャラクターとして定められた行動を取るべきなのでしょう。それがこの世界でのわたくしの在るべき姿。でも、それがどうしたというの。わたくしは、違和感を自覚したあの時から、ひとりの意思ある人間として生きてきたわ。それさえも作られたものなのだとしても、そこで考えることを止めて甘んじて生きるかどうかは、わたくしが決めるのよ!
乱暴に体勢を変えられ、さすがに耐えられなくなったわたくしは、痛みを逃がすように前屈みの姿勢を取る。その拍子に、胸元でパチンと小さな感触が弾け、なにかが床に落ちた音がした。首にかかっていたチェーンの留め具が、抵抗している間に外れてしまっていたのね。
チェーンから解放されたソレは、床を滑るようにわたくしから遠ざかる。クルクルと踊るように移動していく四つ葉のクローバーの入ったペンダントトップは、誰かの足元にあたることで、ようやく静止した。
あれは、男性の革靴だわ。体勢を固定されているため視線が上げられず、足先しか分からない。誰、誰なの? 少し足を引いたその方は、ペンダントトップを拾おうと手を伸ばす。イベント中に動ける男性は、攻略対象者だけ。
嫌……嫌よ。やめて、お願い、触らないで──
「やめて! それを壊さないで!!」
わたくしの言葉を受けて、一瞬、手が止まる。しかし、再び動き出したその掌に、ペンダントトップは包まれてしまった。あぁ、あの方が確かに存在していた唯一の証拠でもある四つ葉のクローバーが、こんな簡単に奪われてしまうなんて……。
例え世界がリセットされても、きっとあの四つ葉のクローバーはわたくしの元には戻ってこないわ。ゲームには存在しないアイテムですもの、なかったことにされるでしょう。
身につけるべきではなかった。ペンダントになど、するべきではなかったのよ。約束を思い出せないままだったとしても、日記に挟んだまま、大事にしまっていれば良かったのだわ!
自分の愚かさに後悔が押し寄せる。かたく目蓋を閉じ、項垂れることしかできない。それでも、どうにかして取り戻せないものかと知恵を絞る。けれど、焦りからかちっとも名案は浮かばないわ。諦めたくないという気持ちと、どうにもできないという現実がせめぎ合い、唇を噛み締め苦悩する。意味はないかもしれないけれどと、もう一度声をかけようとしたその時、パンパンと短く乾いた音が講堂に響き渡った。これは……誰かが手を打った音?
『管理者権限ノ行使申請ヲ受理。管理者レベル照合。権限有効。影響範囲チェック。承認。プログラムβ発動。コード L-IRREGULAR-LOCK_07 実行シマス』
突然頭上から聞こえてきたのは、感情を一切感じさせない、無機質な声だった。それと同時に周囲に存在していた人の気配が、おかしなことに、消えてしまった。今もわたくしの肩や腕を掴んでいる手に人肌の温もりはなく、まるで人形に触れているよう。一体、なにが起こっているの……。
「ちょっと、え、なに? 急にフリーズしたんだけど! 管理者って……運営が出張ってきたってこと!? なんで!?」
静まり返った異様な空気を切り裂くような、ヒロインの声が耳に届く。先程の意味の分からない単語ばかりの音声は、やはり外の世界のものだったのね。
オロオロと落ち着きのないヒロインの気配だけが伝わる。随分と混乱しているようね? 奇遇だわ、わたくしもよ。
「はいはい、騒がないよ〜」
場の雰囲気にそぐわない、軽薄な物言いの男性の声と共に、こちらへ近づいてくる足音が聞こえる。記憶の中を探ってみても、今まで一度もお会いしたことがない方のようだわ。無理矢理頭を上げてみるけれど、首を捻ったところでわたくしの視線が捉えられるのは、その方の腰くらいまで。それでも分かるのは、わたくしのペンダントを拾い上げたのは、この方だということ。
「え〜っと、稼働中の強制停止によるシステムエラーは……よし、ないな。それで? キャラ名が『DXマヨもりもり』ね。そんでユーザー名が……あぁ、これかな。『Mayo4Life』って、お前……マジかよ。もしかしてマヨネーズのマヨなの? 人の名前とかじゃなく? はぁ……食生活ヤバそう」
マヨネーズとやらがなんなのかは分かりませんが、男性の声に呆れが含まれているのは確かね。ヒロインは抗議してらっしゃるようだけど、風に吹かれるカーテンのように、その勢いを受け流していらっしゃる様子だわ。
「あ〜あ〜もぉ、不正行為フルコンボでログ真っ黒じゃん。外部ツールに挙動改変、アイテム不正入手と……お前、相当やらかしてんね」
何ひとつとして単語の意味は分かりませんが、外の世界のお話なのは確かね。先程のヒロインの言葉にあった運営という呼称は、ゲームを制御している立場の方、ということね? そしてヒロインは堂々と不正行為を行っていた、と。
この男性は、それを咎めにいらっしゃったのだわ。だから、わたくしが一度もお会いしたことがなくても不思議ではないということ。不審人物というわけではなくて安心すると共に、ペンダントトップを返していただけるかもしれない期待が芽生える。
「なんで責められてんのか、意味わかんないんだけど!? だって皆やってんじゃん! 攻略サイトに載ってる情報通りにやっただけだし!」
「攻略サイトって非公式のやつだろ? そんなん、運営がOK出してる情報なわけないでしょ。金かけてまで犯罪者になるなんて、愚かだねぇ」
外の世界において、ゲームという娯楽に手を加えることは犯罪とされている、という解釈であっているかしら? などと考えているわたくしを、男性がさりげなく起こしてくださった。
肩や腕の拘束が解かれ、体勢を直すと、少しよろけてしまったわ。大きく息を吸い、落ち着いてから辺りを見回す。自分が想像していたよりも、異様な光景だわ。
男性と、ヒロインと、わたくし以外の人間は、全て時が止まったように静止している。気配がないと思っていたけれど、音さえもないことに、この時はじめて気がついた。
「犯罪って……冗談でしょ? なんで私だけ……。周りの友達だって同じようなことやってるのに、なんで私だけが怒られなきゃいけないの!?」
「その友達が、なんのゲームで不正してんのか知らないけどさ、お前の場合、結果的にこのゲームを壊したんだよねぇ。もう修復不可だってよ。お前のせいでサ終。これ、どんだけ会社に損害与えてるか、分かる?」
激昂するヒロインと、それを躱しながら彼女がなにをしたのか説明している様子の男性。外の感覚のまま言い合うお二人を、わたくしは眺めることしかできない。無意識に撫でていた手首には、薄ら痣ができていた。これで生きてる人間ではないというのだから、もうなにを信じたら良いのか分からないわね。
「今のうちに、親御さんに話しときなね。手続きに時間はかかるだろうけど、確実に損害賠償請求とかされると思うから、覚悟しといて。あ、そうだ。お前、今の時点で垢BANね」
その言葉を合図に、ヒロインの輪郭がパラパラと砕けて消えていく。悲壮な表情で抗議しているのでしょうけれど、その声ももう、こちらには届かない。アカバン? という措置が、正しく実行されたのでしょうか。
「弊社製品をご利用いただき、ありがとうございました〜」
貼り付けたような笑顔でヒラヒラと手を振る男性は、ヒロインの姿が全て消えるまで見送っていた。静寂の中、残されたのは男性とわたくしの二人だけ。気まずい、というよりは、この状況がいつまで続くのかが気がかりだわ。
ヒロインがいなくなってしまった今の状態では、エンディングを迎えることはできなくなったはずね? 以前、この世界での生活を、放置するヒロインに出会いましたけれど、その時は、即座にリセットされましたわ。多分、ゲーム自体を消してしまったのだと思うのよ。でも今回は、少し状況が違う。リセットはされるのでしょうけれど、タイミングが分からないわ。
リセットされるのは構わない。ただ、その前に、ペンダントを……わたくしの四つ葉のクローバーを返していただかなければ。
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