第3話


 自室の書棚を開き、鍵をかけている木箱を取り出す。中にはもちろん、十六回分の日記帳が古い順から並んでいるわ。今日のことを記す前に、ゲームの情報を中心に書き留めた、最初の一冊を手に取った。

 保管には気をつけていたつもりではあったのだけど、四十六年という歳月は、紙を劣化させるには十分だったようね。この日記の束だけが、本当の時を刻んでいる。不思議だわ……。

 ミルクティ色とでも呼べば良いかしら。変色し、かさついた紙の表面を、文字の凹凸に沿って撫でる。

 三年間を十五回よ? そして今回も、すでに一年が経過している。わたくしが過ごしていたであろう時間の重さを改めて実感した。正しく時間が進んでいれば、わたくしはとっくに孫がいる年齢になっているのよね。

 なんとも言えない暗い気持ちにじわじわと支配される。いつ……いつ終わるの? 以前のように、エンディングの度にわたくしの記憶もリセットされていれば、こんな暗澹たる思いを知ることもなかったのに……。


「ダメね……。弱気になって放り出したところでループは続くし、わたくしの役目が終わるわけでもないわ。今は庭園迷路のイベントについて調べましょう」


 パラパラとページを捲り、該当の箇所を探す。半分を過ぎた辺りで、ハラりと本の隙間から何かが落ちてきた。


「これは……あの方がくれた、四葉のクローバーだわ」


 触れた瞬間にほどけてしまいそうな色あせたそれを、慎重に拾い上げると、一瞬にして、あの日の光景が蘇ってくる。あの時初めてゴール近くのテラスの存在を知ったのよね。


 今日と同じように、一部始終を見学していたわたくしに、しめさば嬢が視線で合図をくれた。数分後、殿下と分かれ、引き返してきたしめさば嬢と迷路の前で落ち合うと、せっかくだからと迷路を散策することにしたわたくしたちは、自然とガゼボに辿り着いた。

 普段のあの方の態度と違い、とても申し訳なさそうにしていたのを覚えているわ。


「あのさ、メアリーは……俺のこと怒ってない?」


「あら、なぜです? あぁ、わたくしが殿下の婚約者だからかしら?」


「それもあるけどさ、その……俺が余計なことを教えちゃったから……」


「あぁ……そっちのことね」


 交流を持ち始めてしばらくは、わたくしの話を聞く代わりに、キャラクターでは絶対に知り得ない、いわゆる神の領域と呼べるような知識まで与えようとなさるから、少々困ってしまったのよね。バグというものに興味があるのは構わないけれど、想像することも困難な外の世界の知識なんて、わたくしが得たところで混乱するだけでしてよ。

 なおも気まずそうな態度を取り続けるしめ鯖嬢には、他にもなにか、伝えたいことがあるご様子。


「あなた……ご自分が退場したあとのことも、心配されているわね?」


 もし、わたくしが記憶を持ったままループするということになれば、知らなくてもいい情報まで与えてしまっている今、いらぬ心労をかけてしまうとお思いなのではないかしら。


「今更ですわね。世界が一度終わり、また入学式の日に戻されるかもしれない。それは理解いたしました。わたくしの記憶が残る残らないという問題も、その日を迎えてみなければ分からないのですもの、今はただ、静観いたします。それともなにか、この状況を打開できる手段がありまして?」


「それは……いや、やめとこう。タラレバを語ったところで虚しいだけだ」


 この方は、元来お優しい方なのでしょうね。認めたくはありませんが、わたくしは作られた存在のはず。命を持たない人形のようなものであるわたくしに感情移入し、なんとか幸せになれるように頭を悩ませていらっしゃるのだわ。


「あなたが責任を感じる必要はないのではなくて? ただゲームを楽しんでいるだけのあなたが、そのバグ? とやらをどうこうできる訳でもないでしょうに。わたくしのことは気にせず、エンディングへ進めばよろしくてよ」


「いや……うん。そう、だね……」


 なにかしら? 歯切れが悪いわねぇ。調子が狂ってしまうじゃない。

 導かれるように自然とガゼボに入るわたくしとは違い、しめ鯖嬢は、なにか考えごとでもしているように、ガゼボの周りをフラフラと歩き回る。わたくしにはわたくしの考えがあるように、この方にも、この方なりの考えや思いがあるのでしょう。気にはなるけれど、今は放っておいたほうが良さそうね。

 先程まで、このガゼボを含む庭園迷路を走り回っていたしめ鯖嬢の子供のような姿に、わたくしも幼い頃に王宮の庭園で迷ったことがあったなと、思い出を重ねた。


 顔見せを兼ねたお茶会で、わたくしは興味本位でパルテールに入り、抜け出せなくなってしまったのよね。高い位置から見た時は迷いそうにもなかったのに、わたくしの身長とほぼ同じ高さの生垣は、庭園装飾ではなく立派な迷路として機能してしまった。

 わたくしを探しに来た殿下が、笑顔で手を差し伸べてくださったあの時。恋に落ちたとは言えませんけれど、それでもあれは、確かに救いだったのよ。……まぁその思い出さえも、作られたものなんでしょう。本当に、悪趣味だこと。


「メアリー、ちょっとこっち来て」


 呼ばれた方へ視線を投げると、ガゼボを覆うつるバラの隙間から、しめ鯖の後ろ姿が見えた。随分低い位置に頭があるわ。しゃがみこんでいらっしゃるのかしら?


「はい、これ」


「なにかしら……まぁ、四つ葉のクローバーね?」


「探してたわけじゃないけど、見つけたからあげる。そんで、これは約束の証ね。いつか俺が、メアリーに未来を届けるから」


 ……そう、あの時、わたくしとあの方は約束を交わしたわ。「それまで待っていて」と、確かにしめ鯖嬢は言っていたじゃない。今までなぜ、忘れていたのかしら。

 約束を思い出したことにより、隠しアイテムのことなどすっかり忘れたわたくしは、これ以上四つ葉のクローバーを劣化させたくなくて、慌てて侍女を呼びつける。手すきの者が集まり、全員でわたくしの無理難題に頭を悩ませた結果、侍女長が装飾品に仕立てるのはどうかと提案してくれたの。


「お嬢様の大事な思い出であるならば、ロケットペンダントになさいませ。奥様の装飾品と一緒にお仕立てに出せば、すぐに済みますとも」


 数日後、わたくしの手には四つ葉のクローバーが収まった小ぶりなペンダントが届けられた。

 あの約束から随分遠いところまで来てしまったわね……。今もあの方は、わたくしのことを気にかけてくださっているかしら?

 現実世界とこちらの時間の進みが違うらしいという話は聞いているわ。わたくしが途方もないと感じていても、あちらではその半分にも満たないのではないかしら。あの方は、今も、きっと……わたくしを未来に連れていってくださるという約束のために、奮闘しているのだと信じたい。

 約束の証として贈られたのに、忘れてしまっていた四つ葉のクローバー。これからは、あの方を信じる証として、わたくしが身につけましょう。いつか訪れる、その時のために。


 庭園迷路のイベントを終えたあと、季節は足早に過ぎ去って行った。

 わたくしには確かめようがないのだけれど、多分、彼女はスキップという機能を使ったのではないかしら。駆け足で好感度上げと、イベント回収とやらをしているみたいなのよね。

 明日は課外実習で海に行くのよねと考えていたはずのに、次の瞬間にはすべてが終わっていた。あれは本当に不思議な感覚よ。体験していない思い出が増えていると自覚しているのに、それを否定しきれない。だって鮮明に思い出せるのだもの。

 これも……きっと幼い頃の思い出と一緒なのね。わたくしが生きた人間ではなく、作られた存在であるという証拠。

 なにも知らないままでいられたら、幸せだったのかしら……。


 その後も、彼女はイベントをすべてスキップしていたのだと思うわ。気づいたら終わっていて、ただ結果だけが残る。収穫祭も、冬の星見も、学園祭も、ことごとくあっという間に過ぎてゆき、噂だけが私の元に届くということの繰り返し。きっと、しめ鯖嬢が教えてくれた『最難関の逆ハールート』というものを目指しておられるのではないかしら?

 今までわたくしがお相手した誰もが辿りつけなかったその逆ハールートとは、攻略対象とされた殿方全員と恋仲になるのですって。エンディングのプロポーズも全員で仲良くやるのだそうよ。わたくしにはちょっと、理解できない状況だわ。悪役のわたくし以外、国中が祝福するというのだから、なんともヒロインに都合の良い世界よねぇ。

 外の世界でも、これは普通のこととして受け入れられるものなのかしら? わたくしがヒロインと同じ立場に置かれたとするならば……ダメね、どう考えても耐えられそうになくってよ。


 三年目も終りが近づき、大きなイベントは残すところあと二つ。エンディングと、その前に必ず用意されている断罪イベントよ。

 ヒロインが選んだルートにより、断罪イベントの場所とタイミングは違う。今回、わたくしの予想通りの逆ハールートをヒロインが辿っているのだとしたら、断罪劇の舞台も時期も、どうなるのか分からない。卒業後の夜会がエンディングだから、それより前なのは確かなのだけれど……困ったわね。


 「メアリー! 君に話がある!」


 それは、卒業生の門出を祝う記念舞踏会の最終リハーサル中のことでした。

 わたくしは前任の生徒会役員でしたので、後輩への引き継ぎも兼ねて、数日前から共に確認作業にあたっていたのです。生徒以外に出席される来賓の方々の名簿に漏れはないか、進行表に無理はないか。テーブルの配置や、外部に依頼してる楽団の選曲に至るまで、すべての最終チェックを頼まれていましたから、わたくしは朝からずっと学園中を奔走しておりましたの。

 講堂の中心で、在任中の生徒会メンバーとわたくしが、楽団の皆様が奏でる音に耳を済ませていると、ハロルド殿下をはじめとした攻略対象者の方々とヒロインのおでましという、華々しい断罪劇の火蓋が切って落とされたのです。

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